どこまでも続く青い空、か。難攻不落な山のピークに立つときなら、きっとこの上なく素晴らしい風景だろう。(私は登ろうとは思わないけどね)
そんな空も良い。
でも私は、いろいろな空も好きだ。
嵐の気配が近い空とか、雨上がりに虹が出ている空とか、朝の太陽が染める金色っぽい空とか、夕方の茜色が鮮やかな空とか。
彩雲を見たことがある。大きくはなかったけれど、内側から強く光り輝く虹の七色はものすごく美しくて、近くを歩いていた見ず知らずの年配女性を呼び止めて一緒に見上げたくらい、珍しい美しさの彩雲だった。
自分の真上の空に、進む方向へ完全な円形の虹が十一個も光っていたこともある。そのとき私は車を運転していて、太陽の方へ向かって進んでいた。上見て前見て上見て前見て上を見る、という、良い子は絶対に真似してはいけない状態だったが、あんまり綺麗で、わたしは「よい子」でいられなかった。
青空は、言うまでもなく晴れやかだ。
虹は、励ましでもあるそうだ。
雷鳴を連れた黒くてアクティブな雰囲気の雲は、不謹慎ながらテンションが上がる。
私はもう歳をとってしまって、晴れやかでない日もたくさんあることを経験してきた。どんな空の下でも、必死に生きる。
ただ、私がこの人生を完了して旅立つときは、空には晴れやかであって欲しい。なんだか、そう思う。
転がり落ちるように気温が下がり、空には白鳥の賑やかな声が聞こえる。秋を楽しめたのは短い期間だった。にわかに防寒着の人たちが増えて、私も冬の外套を引っ張り出した。「そろそろ衣替えか」などと思う暇すらなかった。慌ててあたたかい服やコート、マフラーや手袋を準備して、衣替えの整理はこれから取りかかるという体たらくの今年である。
「今は紅葉が見頃です」と、酷暑の後の遅い彩りが伝えられた二日後、その岳は冠雪した。9月下旬前、山裾に紅葉の気配はまったく無かった。今は10月下旬に入ったばかり。
白鳥は大急ぎ。熊はちゃんと寝られるだろうか。実りが足りる前に雪が来てしまった。
私も自分の外套に、修繕が必要な部分を見つけてしまった。使いながらの直しになる。
季節変わりはもっとゆっくりで良い。
夏が長居したから帳尻を合わせるように冬が突進して来るのでは、薄手のコートも出番が無くて、ちょっと残念だ。
中学生のとき、合唱部に入っていた。合唱部というと「文科系の部活」というイメージがあるかもしれない。とんでもない。実際の活動はバッキバキに体育会系だった。とりあえず、私の学校はそうだった。
放課後、木造の旧校舎へ続く渡り廊下に入るとき、音楽室からピアノの演奏が聞こえない日は、恙無く部活が終わる。
始まる前に腹筋運動と背筋運動を60回ずつ。毎日のことだ。その後発声練習。それから各パート(ソプラノ・メゾソプラノ・アルト)に分かれて、取り組んでいる楽曲の練習。進度によってそれだけひたすらだったり、合唱練習したり。最後に再び腹筋運動と背筋運動を60回実施。このルーティンが基本である。
これが、渡り廊下に入った時点でピアノ演奏が聞こえると、私達部員は緊張感が爆上がりする。「演奏」と書いたが、聞こえてくるのは「魔王」を「ぶっ叩いてる」不穏な怒りの響きなのだ。この響きが音楽室から轟くときは、顧問の機嫌が悪い。立て板に水。部活の基本メニューが割り増しになる可能性が高く、指導に対する反応・反射が遅いと、いとも簡短に腹筋・背筋運動が倍増する。あなおそろしや。
ある日、長めに魔王をぶっ叩きまくっている顧問に、のんびり屋の1年生がのんびりと訊いた。「先生、どうしたの~?」と。その勇者に顧問の答えて曰く、「職員室で面白くないことがあったんだ!!」と。大きな声だった。
顧問は若い女性教諭だった。当時27歳。その時代は現在ほど「女性同僚も尊重するのはデフォ」という空気は無かったから、職員室で不愉快な思いをすることも少なくなかったろう。彼女の見た目はとても可愛らしかったから尚のことだったろうと、今になって解る。
もちろん、彼女は立派に音楽教師であり、部活での指導はきちんとした声楽の訓練だった。「どのくらいの声量が必要か」と部員に問われて、「大きな川の向こう岸に声が届くようになれ」と答えたので、私は近くを流れる一級河川へ、近くに住む部員友達と出かけて行き、両岸に分かれてそれぞれ発声した。ファルセット発声で、双方とも声は届いた。面白くなってしまって、長時間の間、音階を変えながら発声していたら、二人とも声が枯れてしまった。
今、そんな風に思い切り大きく声を出すことは、まず無い。腹筋はシックスパックじゃなくなったし、出せる音域も狭くなってしまっている。
家の中で楽しく歌うのも、今の御時世では苦情が来そうで遠慮してしまう。
声が枯れるまで声を出したのは、おおらかだった昔の、よろしき思い出の中だ。
始まりはいつも…
始まりはいつも…
と、考えて、敢えて「始まり」と感じる何かがあったかどうかいまいち判らないことに気づいた。新たなフェーズに入った実感がビシビシ感じられるようなことは少なかった気がする。しかも、それは自分自身の考え方が急に新しい方向へ開いたり、明確な気付きが意識に啓いたりした時で、そこから色々な物事が必然的に展開してゆく流れになる。
…と、ここまで書いて気付いた。「始まり」はいつも、後からついてくる。自分自身の中で変化や変容が起こった後からだ。逆のパターンは無いようだ。
さて、じゃあ何を以て「始まり」とするのが適切なのだろうか?
気付きの前に何かがある。何も無いなら気付きも導き出せない。
新しきへシフトする展開を「始まり」とするならば、その前に自分の内に変化変容があり、その変化変容を導いたのはそれ以前の物事だから…やっぱり、どこが「始まり」かわからなくなる。すべては「ひとつながり」なのかもしれない。
始めの無い始めから、
終わりの無い終わりまで。
「私はアルファであり、オメガである」って、大昔に誰かも書いていた、そういえば。
すれ違いが起こるとき、私達は必ずと言っていいほど、どちらかが不安な気持ちでいた。
諸事情に阻まれて、不安から生まれた小さな誤解を直接に解く時間やタイミングを、掴めない。そんな状況が少し続くと、いつの間にか「恐れ素材で作ったサングラス」が両目を覆っている。
心配をかけた恋女房からビンタを食らい、「大っ嫌い!」と言われてしまった旦那。その「大嫌い」が「大好き」の言い換えだとひしひし解るけれど、単純に「大っ嫌い」という言葉は堪える。
忙しさに追われて大変だけど平気そうな顔して頑張ってたら無理が祟った彼女。恋人に心が伝わらなくて彼は拗ねてしまった。
どちらも誤解が解けて仲直りに至ったのだが、「不安」が主役のような顔をして居座っていた。
不安という奴に、主役の座をくれてやってはいけない。あなたの感情はあなたのものだけど、あなた自身ではないのだから。ミスキャストを押しのけて、ちゃんと話をしよう。「すれ違い」のままじゃ、ずっと寂しい。