「今何してる?」
あのころ、よく打ち込んでたラインを見直す。
あなたが何してるかばかりに気にしてたあのとき。私は何もできなくなった。だから、あなたは別れようって言ってくれた。
あの頃とは違う気持ちでこの言葉をつぶやく。
「あなたは、今何してる?」
あの頃と違って、私は答えを求めていないことに気がついた。
準備は整った。家を出よう。
大事なのは、私がこれから何をするか、だ。
窓の外に、入道雲が立ち上っている。あの奥には雨雲があるのだと、そう私は決めつけてじっと空を睨んでいた。
体操着に着替える時もじっと空を睨み続けた。早く。早く、来てくれ。
「梓ちゃん、怖い顔してる」
友達の碧ちゃんがほっぺたをつまんでくる。
「ちょっと待って、集中してるから」
私はその手を払い除けた。
私の念などつゆほども知らず、空は青いままだった。碧ちゃんが邪魔したせいだとちょっと恨んだ。
諦めて、階下の昇降口を出たその瞬間、本能的に水気を感じた。
「きたきたーー!」
私は叫び声を上げて外に出た。
入道雲の背後から現れた黒い雨雲が大地を濡らした。私はフォーと叫びながらその雨を全身に浴びた。
だがその次の瞬間、雨雲は消え去った。晴れ間が差し、校庭は見る見るうちに乾いていった。
「私の方の祈りが強かったようね」
背後から碧ちゃんが現れて、タオルで私の頭をもみくちゃにした。
「祈り?」
「梓ちゃんと一緒に体育したいなっていう」
タオルの隙間から、碧ちゃんの、今の空のように澄み渡った笑顔が見えた。
「神様は、怨念よりも、祈りか」
聞き返す碧ちゃんに、私は首を振ってそのあとを追った。校庭のその向こう側に虹が見えた。
「では、先生の過去を見せてあげよう」
神と名乗る翁は、私の額に手をかざした。
映像が見えたが、それは自分自身が見ているものではなく、誰かを通して見ているような気がした。
目の前には家族の団欒が映し出され、視点の人物はその一人であるようだ。裕福な家庭のようで、食卓に入りきらないくらいの食事が置かれている。
ふと、食事を落としてしまった。その人物の母は笑顔で皿や食べ物を掃除している。どうしてか、はっきりとしないもやもやした感情が私を包んだ。これは人物の感情が反映されているのかもしれない。
次の映像も食卓であった。人物は母や父の姿を交互に見ている。何をしてるんだろう。そう思った矢先、もやもやした感情の正体に気がついた。
父母の表情が、前の映像と全く同じだったからだ。寸分違わぬ微笑み。それは子供心におかしいことに思える。
その人物は立ち上がり、持っているスプーンを振り上げて地面に叩きつけた。すると母はあのときと同じ表情で片付け始めた。
それが、先生の、絶望の日々の始まりだった。
つぎに、ぼんやりと、オレンジの景色が見える。そこは私が住んでいる、この丘だった。
「まだ枯れてなどいない!」
彼は大きな木を背にして言った。木は大きいものの、今にも倒れそうなほどその幹は不安定だった。
そんな樹の様子を見かねたひとたちは、彼のいうことなど聞きはしない。
彼の目の前には、樹や植物を刈り取ろうと、巨大な機械が待ち構えていることもあった。それでも、彼は怯まずに手を広げ樹を守り続けた。
雨の日も、雪の日もそれが芽吹くのを待ち続けた。
私は暖かくなった外に出て、樹のもとに行った。そこは植物が茂り、花が咲き乱れていた。
大きかった樹は、さらに大きく太くなって、その枝には満開の桜が開いていた。
その根元に彼は横たわっていた。
私は、摘み取った一本の花を彼に献げた。やがて彼は植物たちに染み入るように消えていった。
僕は夜の暗闇の中、家を抜け出して、君が待つ秘密基地まで走った。
もしかしたらいないかもと思ったけど、君はちゃんとそこに仁王立ちしていた。
「遅いぞ。夜も更けちまう」
どんな物語を読んだら、そんな表現を覚えられるんだろう、と僕は君を見てるといつも思う。
僕たちはお菓子とジュースを机いっぱいに広げて、「宴会」をした。お母さんには夜に甘いものを食べたらだめだと言われてるから、僕は興奮していた。
そのあと、天井に広がる星空を見ながら、僕たちは将来の夢について語り合った。
僕は彩子先生みたいな先生になりたいというと、君は笑うことなく、
「きっとなれる。為せば成る、だ」
と言った。
ふと君は時計をちらりと見て言った。
「今日という日にバイバイだ」
僕たちはソーダが入ったコップを合わせた。プラスチックの当たった音が、髭男爵のあの音よりも、鮮やかに響いて消えた。
時計の針は両方ともゼロのところを指した。