泡の中は快適だ。
安全な膜で守られて、僕たちはふわふわ漂っていた。
子どもの頃を思い出す。
どんなときも、親の愛情で守られていた。それなのに、僕たちは自由に外へ出ては、解放を味わって、そのままそこには戻らない。
色々あって戻ってきたのは、泡の中だった。
漂いながら僕は誰もいないところへ向かおうとした。ぶつかると割れてしまうから。泡は少しの刺激で割れてしまう。誰にも壊せないように僕は一生懸命に逃げた。そして、誰も壊さないように。
景色は移り変わり街中から山の中に来た。人っ子一人もいない。僕は自由だ。子どもの時のように。
でも、見つけた。
僕と同じような顔をして君もこっちを見ていた。
同じように、自由を味わった後に訪れる動揺。一人になるためにここに来たのに。君と僕は似たもの同士なんだろう。
少しだけ気持ちがそちらへ向いた。そのとき、僕たちは惹かれあって、泡がくっついた。
割れちゃう!
泡は弾んで大きく形を変えた。だけど、割れることなく泡は一つの泡になった。さっきよりも大きな泡。
君は僕の方を見なかった。僕も黙ったままだった。
だけど、泡は一つになってしまった。
僕が君の手に触れると、君は一度その手を引っ込めたけど、恐る恐る手を伸ばした。
僕たちは初めて顔を合わせて、前を向いた。
僕が本当に強くなれたら、泡は割れると思う。
君を守ってあげられるように、泡を割れるように僕は前を向く。
苦しい日常の中に女神さまがいればな、って思うんだ。
君も思うだろう? そうだろう。
彼女は、見目麗しい。そして誰にでも慈悲深い目を向けられる。そしたらひとびとは救われると思うんだ。
そんな人が、職場にいたら僕はいいなと思うんだよ。
なんでかわからないけど!気持ちがかきたてられて!
では聴いてください!
「女神はそれ慈愛というんだぜ!」
丘のふもとは、暗くて気味悪く映った。
彼は足早に家を目指した。明かりが灯る白い家に着いた時、彼は安堵のため息を漏らした。
戸を開けると、大切な人が胸に飛び込んできた。彼が何も言わないので、不思議そうに彼女は見上げている。
彼は唐突に口角を上げ、その場にひざまずいた。
「たいせつにするから、結婚して欲しい」
「うん」
差し出した指輪など関係なく、彼女は覆いかぶさるように抱きついてきた。
あいつの分まで、そう思うが口には出さない。あいつはどこかで生きている、そう思って彼女、そして彼も暮らしてきたから。
夕食のときに彼女は思い出したように言った。
「先生からの手紙、まだ開けてないの」
彼は手を伸ばしそれを受け取る。
『お元気でしょうか?
また、戦が始まります
どうかご無事で』
彼は思わず外を見た。暗がりに、雷が落ちる音がした。
「好奇心そのものなんだ」
その呟きは私の耳にはっきりと届いた。
何度目かの休憩に入ったおじいちゃんは、背中につけた機械から酸素を送り込まなければ、死んでしまう。それでも元気に生活し、ときには外に出ることもある。私はその後をついて行き、不測の事態に備えなければならない。
誰もおじいちゃんを止めることはない。なので、私もそれについていくしかない。
最初はおじいちゃんに付き合わされて、私は何をやっているんだろうと思っていた。でも、だんだんおじいちゃんは何をやっているんだろうという疑問へと変わっていった。
公園に行く理由はなんとなくわかる。散歩のためだし、植物を見てるから。街に繰り出して、服を見たり、道の真ん中で立ち尽くしてみたりするのはわからない。
もう行くよ、と声をかけると、はっとして向き直る。
「おじいちゃん、道の真ん中で何してるの?」
「今の若い人って、どんな感じかなと思って……」
私は驚いて聞き返した。
「服装とか見てるってこと?」
いやいや、とおじいちゃんは頭をかく。
「服はやっぱりわからん。でも話してることは、面白いなと思って聞いてるよ」
「あきれた」
私は首を振ったが、カフェとか電車内で人の話を聞きたがる癖はおじいちゃん譲りなのだと、内心理解してしまった。
「じゃあ、帰ろうか」
「うん、ありがとう」
おじいちゃんはふるふるとした背中を見せた。
「でも、ほんとうは、みきちゃんと過ごす時間が楽しくて」
「人身事故のため、運休」
アナウンスもなく置かれた看板に、一同ため息を漏らした。僕もその一人だったはずだが、内心嬉しかった。
会社に連絡を入れ、近くのカフェに向かった。
「こんにちは」
「え、どうされたんですか?」
彼女は目を丸くした。僕のスーツ姿を見たからだろう。
「電車止まっちゃって……。動くまでゆっくりします」
「大変ですね。ごゆっくりどうぞ」
彼女は店員の顔に戻ってお辞儀をした。
僕は休日に頼んでいる、トーストセットを注文した。
彼女は先にコーヒーと、トーストに塗るジャムやバターを、僕の前においた。
彼女に目を合わせようとしたが、そんな都合よくいかない。
トーストとサラダが運ばれ、僕はジャムを塗って食べた。
ジャムの甘さは僕の甘さ。
コーヒーはほろ苦く、僕の思いの行き所がない現状を表しているかもしれない。
彼女の目を気にせず、本を読んで過ごそう。たまに彼女のことを思い出すくらいがちょうどいい。
こんな時間がずっと続けばいいのにな。