運命の人だったのに、どうして幸せになれないの
そう、さめざめと泣く彼女を慰めた。とはいっても言葉はかけない。ただ、機械的に相槌を打ち、震える背中を時折撫でてやるだけ。
もし言葉をかけようものなら、傷つけてしまうと判っていたから。
運命だと思っていたのはお前だけ。その証拠に周りはみんな止めたじゃないか。
不思議なことに、彼女も、世の少なくない女性が、なぜか自分は男を見る目があると信じて疑わない。傍から見たら一目で「ああ、こいつは人間のクズだ」と判る男に、どうしてか引き寄せられてしまう。
そして、こんな人だと思わなかった、結婚するまで本性を隠してた、なんて言うのだからお笑いだ。
いやいや、周りからのやんわりとした忠告も、率直な警告も無視しておいて何言ってんだ。
そいつのクズさが自分以外の誰かに向かっていたときは男らしい、頼りがいがあると言い、自分に向かってはじめて目が覚める。
それに気づかない限り、幸せなんて見つけられない。赤い糸の正しい行き先も判らない。
でも、言葉はかけない。
ちらちらと伺い見る目に気づかないふりをする。
彼女が欲しいのは共感と、同情と、慰めと、陶酔。決して、二の轍を踏まない教訓ではない。
僕の小指にもあるという糸の先が彼女でなくてよかった。
あの頃、悲しさ悔しさに泣いていた僕にこそ慰めの言葉をかけたい。
そんな糸、切れてしまって正解だよ! とね。
犬の散歩に出てかれこれ三〇分。
もっと行こうと引っ張る犬の、ふりふり揺れる緩い巻尾が可愛い。
このまま、されるがままどこまでも行ってしまえたら。
財布はなく、足元はダサいサンダルで、あるのは犬と充電が心許ないスマートフォンだけ。補助犬でもないこの子を連れては公共交通は使えない。いつ沈黙するかもわからないスマートフォンでは決済をするのも躊躇ってしまう。
どうしようかと思いながら、遮るものひとつない落陽に背を押され、どんどん家から遠ざかる。
家族仲は良好だ。小さな不満は多いけれど、家出の動機になるようなものはない。
ただ、なんとなく、漠然と、どこかへ行ってみたいときがあった。
それは、落ちる陽のせいかもしれない。そういう年頃なのかもしれない。あるいは、犬の力が強いせいかも。
なんにせよ、できもしないくせに、できもしないから、してみたい、行ってみたいのだろう。
この道の先にあるのは病院で、もっと行くと駅で、そこから四つめで降りれば夜行バスのターミナルがある。
でも、行かない。犬がいるし、充電ないし、財布ないし、足痛いし。そう言い訳してリードを引いた。
夢は夢のうちが一番キラキラしている。それを壊してまで行きたいと思える衝動も行動力も、残念ながら持っていなかった。
嫌だ。帰らねえ。四肢を踏ん張り拒絶する犬の顔が、青い首輪が掻き集めた肉のおかげでとてもおかしく可愛いことになっていた。
一年後どうなっているんだろう。
どれだけ考えても、ただひとつ歳をとっただけとしか思えない。それだけ、想像力が貧相で、夢や希望というものがない。
夢。希望。理想。願望。何をどう抱こうと自由なのに、貧相でつまらない人間性がそれを邪魔する。
どうせ。たかが。一年ぽっちで何が変わる。ただ皺が増えて、白髪も増えて、それでいて体力と気力は減って、無気力の勢力が強くなっていくだけなのに。
自分自身のことならそう諦められた。所詮つまらない人間だ。何かを成すような素晴らしさなど持たない凡人だ。
でも、それでも、そんなつまらない人間でも、抱きたいものがある。
背が伸び、できることがもっと増え、少しづつ生意気さを表し始め、口が悪くなるとしても。
各々、好き放題に転がりながら寝る頭を一つずつ撫でて、願う。
あなたたちの未来が良いものになりますように、と。
なんとなく、漠然と。
高校を出たら働いて、月に五〇万くらいもらえるものだと思っていた。
でも、高卒でそんな給料、夢のまた夢だ。
なんとなく、漠然と。
二十歳を過ぎたら恋人ができて、二〇代半ばくらいで結婚して子供を持つものだと思っていた。
でも、四〇を数年後に控えた今、子供どころか相手すらいない。
なんとなく、漠然と。
都会に行けば幸せになれると思っていた。田舎はクソで、都会は自由で華やかでなんでもあると。
でも、良いも悪いもあるのが世の常で、都会はなんでもあるけど何かが足りなかった。
もしも、高校生のあの時に。中学生に。もっと、小学生の頃に戻れるか、それとも声をかけてやれるなら、こう言いたい。
結局、どこにも理想の地はなくて、理想に近づく努力をし続けられた者だけが理想に手が届くのだと。
誰かが与えてくれるのを待っているだけでは、どこにいても、何をしても、理想のりの字も見えはしないのだ、と。
声が一番綺麗に聞こえるのは、雨の日の傘の下なんだってさ。
そんな雑学披露に、うんうんと、そうなんだと相槌を打つ。
適当に聞いているわけではない。ちゃんと聞いている。
その話は僕も知っている。声が雨粒に反射して、傘の中で共鳴するから、だっけ。
ほんとかどうかは知らないけどね。
ただ、得意気に話す声がとても耳に心地好いのは雨のせいでも、傘のせいでもない。
バタバタと傘を打つ雨の強さに辟易しながら、濡れるからもっと寄ってと真っ当な理由をつけて距離を縮め、歩幅を狭めて歩く。
雨水はローファーなんか簡単に通り抜け、靴下はぐぢゅぐぢゅと鳴いてとにかく不快。
それなのに、ほぼゼロの距離で並んで歩くこの状況がまだ続けばいいのにと思ってしまう。
幼馴染みが彼氏彼女に変化した、最初の帰り道がこれとは。良いのか悪いのか、どちらもあって甲乙はつけ難い。
けれど、声も視線も体温も独り占めできているのだからまあ、どちらかといえば良いと言ってもいいんじゃないだろうか。