『傘の中の秘密』
「え、相合傘?」
穂乃果と一つの傘の下に入って下校していると、
帰る方向の同じクラスメイトに声をかけられた。
「うん、傘忘れて…穂乃果が入れてくれたの」
「そうそう、帰る方向一緒だしさ」
今朝、盛大に寝坊した私。起床時間は午前8時20分。
天気予報なんて観れたはずもなく。
夕方から雨だなんて初耳だ。
「あーそういう事…」
「てっきり真理と穂乃果、そういう関係なのかと」
「ふふ、流石に違うよ〜」
「ま、うちら仲はいいけどさ」
穂乃果とは幼馴染、大親友だ。
だから困った事があれば、お互いすぐに助け合える。
喧嘩もするし意見が合わないこともあるけど、
そんなの、いくつも乗り越えてきた。
「ま、お気をつけて〜」
「うん、バイバイ」
クラスメイトが走り去って背中が見えなくなった所で、
私はようやく隠していた折り畳み傘を左手に持ち直した。
「危なかったね、ばれるとこだった」
「もうわざわざ手に持つのやめなって…」
…そう、傘を忘れたなんてまっぴらな嘘。
確かに、天気予報こそ観れなかった。それは事実だが、
私は普段から折り畳み傘を持ち歩いている。
だから、単純に私達は相合傘したくてしてるだけ。
「てか別にばれてもいいんだけどね、私は」
「私は恥ずかしいからやだよ…」
「じゃあ相合傘やめる?」
「それはもっと嫌!」
穂乃果に抱いている感情の名前は知らないが、
なんだか普通の友情とは違う味がする。そんな気がする。
「じゃ、また明日」
「うん、また明日」
家の目の前の交差点で私達は別れ、
残りの帰路は自分の折り畳み傘に入る。
先程までの余韻に浸りながら歌った鼻歌は、
雨音にかき消されてきっと誰にも届いていない。
『さらさら』
「沙原さんの髪、さらさらでめっちゃ好き」
七海との初会話はそれだった。
高校に入学してすぐの話で、流石に当時は困惑した。
話したこともない人が突然そんなことを言い出すものだから。
「そ、そうかな?ありがとう」
私がぎこちなく返すと、七海は私の前の席に座った。
机に肘杖をついて、くりっとしたまんまるな目で私を見つめ、
「私、おんなじクラスの小林七海!一年間よろしく」
にかっと眩しい笑顔を見せる小林さんは、太陽みたいだった。
私の対極に存在する存在。それでも私達は親友だった。
私に差す唯一の光はどこまでもあたたかくて、大切だった。
だから本当は喧嘩別れなんて、したくなかったのだ。
きっかけは些細なことだった気がする。
詳細は覚えてないけど、受験直前でピリピリしていた。
なんとなくすれ違って、全く言葉も交わさないまま。
同じ大学を受けたのに、結局私だけが落ちた。
私はそれがショックだったのか、悔しかったのか。
よくわからない感情のまま、仲直りすることは叶わなかった。
「七海、私のこと覚えてるのかなぁ」
ふと言葉が溢れる。
七海は私と違って人当たりがよく、友達が沢山居た。
私一人が居なくたって、寂しくなんてないだろう。
…私と違って。
あぁ、寂しいなぁ。
私は鏡に向き合って、髪にヘアアイロンを当てる。
七海が好きだと言ってくれた私の髪を、大事にしたいから。
あの日のまま、さらさらの髪のままで。
そうしたら、いつかまた出会える日が来たら、
私のさらさらの髪を褒めてくれるだろうか。
『まだ知らない世界』
「…今日のお題は…『まだ知らない世界』、か」
私は久しぶりに『書く習慣』というアプリを立ち上げた。
毎日ランダムに出題されるお題にあった小説を書いて投稿し、
相手から「もっと読みたい」と言ってもらえる。
たったそれだけ、単純なアプリだ。
なんでも三日坊主の私が、楽しいと感じた。
それは趣味のない私にとっては「まだ知らない世界」だった。
幸せに溢れた、魔法のような世界だった。
現実は暗く、決して楽しいことばかりではない。
嫌なことがあれば苦しい。何も周りが見えなくなって、寂しい。
いつの間に現実に飲まれた私は、この存在を忘却していた。
『書く習慣』。
私にとって久々のお題は、『まだ知らない世界』。
アプリを立ち上げるたびに、この世界は変わっている。
昨日のお題とは全く違う小説が立ち並ぶ、知らない世界に。
きっとこのアプリは、私に前を向かせてくれる魔法だ。
下を向いた日には、気まぐれにここに来よう。
そうしたらきっと、きっと誰かが。
「もっと読みたい」
そう言ってくれるだろうから。
「さてと、いっちょ書きますか」
この世界の私は「あめ。」で、現実とはまた違うけれど。
「あめ。」もまた、私なのだから。
私の投稿を待っていてくれる、ごく僅かの人達へ。
「ただいま、お久しぶりです」
『春爛漫』
カキーン、と心地よい音が鳴り、野球少年たちの歓声が上がる。
春休みに入ったばかりの小学生達のはしゃぎ声が聞こえる。
桜は満開になり、花見客がぞろぞろとやってくる。
そんな春爛漫な河川敷の真ん中、
いい歳した成人男性がスーツ姿のまま寝転がっていた。
その名も四条健一、僕である。
暖かい春風が頬を撫で、優しい日差しが僕を照らす。
あまりの心地よさに現実を忘れ、眠りに落ちそうになって…
そこまできて現実に引き戻される。
あぁ、明日からニート生活かぁ。
僕はさっき、本当についさっき、職を失った。
クビ宣告をくらった直後、自暴自棄になってこうしている。
まぁブラック企業だったし、いっか。
…いやよくない、ただでさえ家賃カツカツなんだぞ僕。
「こんにちは、お隣いいですか?」
「へっ!?あ、あぁ…どうぞ」
突然すぎて変な声が出たが、
僕に声をかけてきたのもスーツ姿の男性だった。
僕とそう歳は離れてないように見える。
「僕が言えたことじゃないですけど、何してるんです?」
僕の隣に腰掛けながら、笑い混じりに聞いてきた。
まぁそりゃそうだ、こんな状況なんだから。
「いやー、お恥ずかしいんですけどね…」
「今さっき会社クビになって、自暴自棄になってました」
言いながらやっぱり少し恥ずかしくなる。
「まじすか!?僕もです!」
「え、ええ…!?あなたもですか?」
「はい、さっきクビになりました」
「なんか、現実逃避中?って感じです」
僕もそのまんま、同じ理由だ。
そんな偶然あっていいのだろうか。
…まぁあったからこうなっているのだが。
「あ、どうせだし名刺交換でもしますか?」
「僕、元〇〇商社営業部の谷口です」
文脈ってもんがなさすぎる…って、〇〇商社?
「え、僕も元〇〇商社です…」
「え、そうなんですか!?」
「はい、元〇〇商社事務部の四条です」
「これ、名刺」
谷口さんの名刺を受け取る。
確かに、見慣れた会社の名前が刻まれていた。
「わ…偶然ってすごいですね」
「本当ですね」
「この際仲良くしましょう!LINEやってます?」
「やってます、交換しますか」
春は別れの季節。そして、出会いの季節。
良い会社に出会えるように、谷口さんと一緒に頑張るか。
春風が強く吹いて、桜の花びらを僕らの方へ飛ばしてきた。
『七色』
「おはよう、昨日雨すごかったね」
「ほんと、全然寝れなかったよ」
「今日はお家でのんびりしようか」
「そうだね」
雨上がりの朝、昨日の大雨などまるでなかったかのような青空。
真夏の太陽は燦々と輝き、窓辺からリビングを照らしていた。
「はい、朝ごはんどうぞ」
「ありがとう」
バターの乗ったシンプルなトーストにカラフルなサラダ。
色とりどりの野菜は我が家で収穫したものだろう。
「ん、プチトマト美味しい」
「ね、美味しくできた」
二人で一緒に育てたプチトマトだ。
可愛がってやった。名前はぷち。
…ちょっと、食べるのは心が痛いけど。
そんなカラフルなトマト達を見て、ふと思った。
「そういや、虹出てる?」
「いやー、さっき見たけど出てなかった」
なんだ、せっかく雨上がりだってのに虹は無しか。
まぁ雨が降れば絶対に見れるってわけでもない。
今日は少し運の悪い日なのだろう。
「ちょっと水やりしてくるよ」
「わかった、行ってらっしゃい」
「あとで手伝いに来てね」
「はーい、食べ終わったら行く」
君が髪を風になびかせながらベランダに向かうのを見て、
俺はサラダをかきこんだ。
ちゃんと味わえる程度に急いだ。美味しかった。
「あ、ちゃんとご馳走様言った?」
「言った言った」
「ほんとにー?」
こちらに疑念を向けてきた君は僕に詰め寄るような仕草をして、
その拍子に水の入ったジョウロが傾いた。
ジョウロから出た水は、俺のサンダルに直撃。
「冷たっ!?」
「え、ごめんごめん!」
いいよいいよと言おうとしたが、
「…あ、虹」
思ったことが先に口走ってしまった。
「あ、ほんとだね、ちっちゃい虹」
俺たちの足元には、小さな虹が架かっていたのだ。
「きれいだね」
そう言ってる君が綺麗だよ。
なんてキザなセリフは言えたもんじゃない。
「ね、虹見れてよかったよ」
大きな虹こそ見えなかったものの、
小さな幸せは身近に転がっていたようだ。
前言撤回、今日は運のいい日だ。