あやや

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8/19/2023, 12:43:57 PM

 美醜の観点から見れば、彼女は自身の顔を美しいと感じる。下地を塗り、ファンデーションをのせ、肌に色を足した後の顔は、もっと美しいと感じる。鏡の中の自分と目が合えばその顔は上の中であるように感じ、芸能人とはいかぬものの、高校時代クラスにいたマドンナとも引けを取らぬような、美しさがあると思う。
 しかしひとたびその姿で外に出て、人の目を感じると、彼女は萎縮しきってしまうのだった。
 鏡を通さぬせいでわからない自身の顔が幾多に変形し、変異し、理解を超えた形をつくるのだ。それはあまりにも醜悪なのではないだろうか?彼女はそう考えて、いつも街を歩く。
 人間というものは、全てそのような危惧を背負い、生きるものなのだろうか?鏡という自身を映すものがなければ、何一つ自身を見つめ直せない欠けた生き物。
 朝塗ったリップは腫れた唇のように見えていないだろうか?アイシャドウをなった瞼はアザのように見えてないだろうか?チークも、肌が汚れているように見えていないだろうか?
 それは彼女の心をいつでも締め付けるのだけれど、それでも彼女は鏡を見ると安堵し、自信を美しいと感じるのだ。そうして明日はどうなってしまうのかと怯えに震える。
 
 そうして翌る日、彼女はまた鏡を見て——言葉を失う。そこに映るのは奇形だった。頭は不自然に膨らみ、目は腫れて眼球はほとんど隠れ、唇は馬鹿みたいに大きくて分厚く気持ちが悪かった。
 バケモノだ。彼女はそう思う。そうしてそれが自身の顔だと気づき、絶叫しながら近くにあったコップで鏡を叩き割ってしまった。ああ、お気に入りのコップにはヒビが入って、ずっと使っていた鏡はもうすでに直すこともできない。
 割れた鏡にすら薄ら汚れな醜異なバケモノが映っているのを見て、彼女は、もう何を信じれば良いのかわからなくなった。

8/9/2023, 4:46:34 PM

昨日のお題の小説を投稿し損ねたので今日は昨日のお題【最初から全て決まっていた】で投稿します。

「僕は時たま思うよ。最初からすべて決まっていたら、なんで素晴らしいんだろうと」
 彼はまっすぐ整った黒髪を、指先でちりちりいじりながらそう言った。静まり返った教室の中、聞こえるものは凡そ7時になりかける時計の針の音だけだ。差し込む夕日は彼の顔を半分橙に染め上げ、光を照り返した睫毛が薄灰色にひかる。
 少年はそれを見惚れたように見つめ、しかしその目に感嘆も恍惚も浮かべることはない。目を向けるものが他にいないから、なんとはなしに、目の前の存在に目を向けただけであった。
「そなんだ」
「自身の選択には責任が伴うだろう。僕たちは一度一度それを背負っていかなければならない」
彼はずっと、笑顔を絶やすことはなかった。話と対照的なその態度は笑顔に反して不気味であって、それが少年に好印象に映ることはないだろうけれど、それでも笑っていた。
「だからその責任を全て、全ての人間のレールを作る作業員にでも被せられたら、と思うわけだ」
「そうかな」
 少年はやはり何の内容も要していなかった。何の内容をも含むことなく、ただ、見せかけで頷いて見せた。
「仮に全て決まっているとして君は」
「うん」
 少年は笑わないし、彼は笑っている。彼は全知のような顔をして、疑問を呈した。
「君はレールに乗っているのかな」
「うーん、」
 少年は笑った。不思議なことだが、彼はそれを始めて見たかのような気分に襲われ——事実、少年は笑顔など浮かべたことがないことを知った。
「君が思うのなら」
 その後に何か言葉が続くかと考えて、しかし少年はその続きを口にはしなかった。
 君が思うのなら。君が思うのならどうなるのだろうか。その答えは決まりきっている。
 君が思うのなら、レールに乗れる。レールに乗ったように、見せかけられる。
「じゃあ君は、最初から決められてないんじゃないか。それなら君は、全てのものが最初から全てを決められていたとしても、主導し、自由であるんじゃないか」
「まあつまり、そう言うことなんじゃないかなあ」
 少年はまだ笑っていた。口元はゆったり弧を描いて、目はずっと彼を見つめていた。それは恐ろしいほどの静寂。風は吹きやみ、カーテンは静止し、入り日は固定され、秒針は動きを止め、笑みは形を変えず、彼は動けなかった。
「君は聡いね?」
 動き出す。猛烈に。赤い布に向かう猛牛のように。人に迫る死のように。夕日が斜陽に表現を変え急速に墜落し、地球の裏を回ってから朝日となって差し込んで、そしてまた落日へと変わって、それがあまりにも速く、一瞬ほどで繰り返された。時計は針を1から12に戻してそして11に戻ってそしてそのまま反対へと回転する。秒針はゆっくり周り短針が異常に速く転回する。頬に風が強く叩きつけてくるくせに、カーテンは長閑に揺れてみせた。
 しかし少年は依然笑っていた。
 そして彼は動けなかった。何一つとして発することはできず、畏敬とも恐怖ともつかぬ感情が胸に満ちることだけが、彼に自身が正常に動作していることを知らせた。
「じゃあ、教えてあげるね」
 紡ぐ言葉を聞くべきかわからなかったのだが、彼は察する。聞くしか道はないのだ。
「最初から全て決まっているし、全てはレールに乗っている。レールはたった一つの存在によって構成されて、君たちはそれを知ることはない」

「こんなことも、結局戯れに過ぎないんだから」

 ぴたり、と。全てが突如として動きを止め——彼は気づく。それらが止まったのはちょうど、彼が最初の言葉を発する時の状態と同じであると。夕日は窓から差し込んで顔を照らし、カーテンは緩やかな風に揺られ、時計は凡そ7時になりかけていた。
 そうして彼は目の前を向けて、その前に誰をもいないことを確認する。
 
 そう、ここには最初から誰1人としていなかった。

 彼はそう考える。一体何が彼の違和感を刺激するのだろうか?少し逡巡を経るが、何一つとして答えが出ないので、彼はカバンを手にして立ち上がった。
「……帰ろう」
 彼はすでに答えの出てしまった問いを、しかしその答えを知らなくなった問いを投げた。
——最初から全て、決まっているのだろうか?

8/5/2023, 3:41:27 AM

 つまらないことでも思い出になると、君は言った。多分それは都合のいい嘘で、恋人であるなら当然にあるべき嘘であった。
「別れましょう」
 その言葉は唐突に君の口から飛び出す。君にとってもちろんそれは唐突な話ではない。君は長い時間をかけてそれについて幾度も考えを巡らし、その言葉を僕に吐いたのだろう。それでも僕にとっては突然でしかない。それ以上でもそれ以下でもない。
 そしてそんな僕は、当然このように返してしまう。
「どうして」
 その言葉を咀嚼した君は嫌悪のような、気まずさのような、とにかくマイナスの何かを顔にうかべ、僕から目を逸らし、少し親指の爪を齧った。
「あなたがわからないのなら」
 齧っていた爪から口を離し彼女は続ける。爪には淡い水色とそれに合う同系色が敷き詰められ、さながら海のように美しかった。しかし僕はそれを、そんなものを齧って苦くないのだろうかとロマンスのかけらもなく思う。
 彼女は少し言葉に詰まっているようだった。迷い、口に出すか、どうしようかと。
「一生、それが続くんでしょうね」
 そして結局そう言った。

 それは、そう言った言葉はもう聞き飽きてしまった。僕にとってそれはもはや普遍ですらあり、いつだって別れにはその言葉があった。そしてその別れはあまりにも多く、語り切れるようなものではなかった。きっとその別れは彼女にとっては思い出にならない些事と化し、僕にとっても繰り返しの一つとして収束する。それはやはり都合のいい嘘でしかない。
 一生それが続くんでしょうね。
 僕は言葉を噛み締めた。咀嚼した。飲み込もうとし、飲み込めなかった。それを幾度もなく繰り返してきた。
 馬鹿なやつめ。

7/27/2023, 12:03:37 PM

 神様が舞い降りてきて、こういった。
「ワタシはタマゴが好きです」
 その姿はまさに神々しく、仰々しく、壮大であり、信頼性が飛び抜けていたので、その瞬間場にいた人も、ヘリコプターからカメラが捉えた映像をモニターを媒介して見た有象の人々も、その神々しく仰々しく壮大であり信頼性の飛び抜けている存在が神であると、はっきりと理解した。それは動画になり世に広まり、おおよそ電波も何もかもない文明の途切れた集落の人々ぐらいしか、その存在を知らぬものはいなかっただろう。
 街中では「ワタシはタマゴが好きです」「ワタシはタマゴが好きです」、学校では「ワタシはタマゴが好きです」「ワタシはタマゴが好きです」、それはその時、地球の歴史であれば一瞬の時、文明あるすべての地に存在する音となった。
 時たま無垢ではないが無知なる子羊が現れて、「神がタマゴなとと特定の一つを好きだというわけがない!」「神は博愛主義なのだ!」といかにも神論者らしく語ることがあったが、それらはその威光を実際見ていない者たちであって、ひとたびその鼻先に御姿を突きつけられれば、彼らは黙り、涙を流し、焦燥し、もうなにも言えなかった。
 ネットではその「タマゴ」というのが魂悟と書き地球の根幹を支える大きなる力であるという、根も葉もないような、あるような微妙な仮説が流れ、それに釣られた者たちは好き勝手に騒いだ。
「ワタシはタマゴが好きです」
 その一言ののち、降臨なされた神はその御姿を留め、その場で一言をも発することはなく、ただ宙に浮くだけであった。
 そして、そこからゆっくりと、ゆっくりと人類は適応した。
 人々に受け入れられた。そのあまりの異質さに人々は慣れ、その下を通って通勤し、通学し、散歩をした。
 人々は慣れ親しんだ。子供は手を振り、大人は見上げては挨拶のように会釈をしたり、丁寧な言葉で出会に感謝を告げた。
 ついにはそれを利用し始める。巡教者が聖地を見に訪れ、興味を持った他地域の人々を誘い込もうと旅行会社はプランを作った。旗を持ったツアーガイドがお決まりの口上で説明を始め、知ったような顔をして観光客がうんうんと頷き、神を見上げた。
 そう、人類は適応する。
 そこまで行き着くに、数十年を要し、しかしながらそれは地球の全てを見ればただ瞬く間の出来事に過ぎない。人類へ実に素早く、尊きものに慣れ、尊きものを利用されるものにまで貶めた。それは、人類が気付かぬ人類の能力であり、欠点であった。
 そうしてある日、動かぬ宙の像が重たい瞼を動かす。そして、手をゆっくりと伸ばし、手のひら同士を重ね合わせた。その時、耳に否応になく入力され、しかしながら不快さなどを全く合わせない、強い音が響く。それは手を叩いた時の音に似ている。
 適応した人々は、その事態に驚き視線を上げ——すべてのものが動きを止めた。
「ヒトビトよ。ワタシは帰ろう」
 帰ろう。帰ろう。かえろう。
 それは、変革の合図であった。撃たれたように人々は騒ぎ出し、それを何者かが中継し、それは瞬く間に世界に伝播した。あるものがその意味を問い、誰かがその意味に無意味に答えを返した。誰かが叫び、誰かが泣いた。
 神はその御姿をふわりと上の方へと持ち上げて、ゆっくり、ゆっくりと引き上がっていった。地上から離れれば離れるほど阿鼻叫喚が場を包み、人類は焦燥した。
「ジンルイよ」
 それは凛とした澄み渡った声であり、偉業を感じ、威光を感じる美しく偉大なものであった。人々はその恐慌が嘘のように、その声を聞いて静まり返る。
「ワタシは、このセカイを見捨てるわけではない」
 その言葉は人々に安寧をもたらした。人々に一瞬、ざわめきが広がり、そしてまた沈黙へと移り変わる。そうして人々は、焦燥を捨て去り、畏敬と恍惚の目で神を見上げた。
 遥かなる天のもとで、神は未来永劫、私たちを見守ってくださる。降臨なさったのも、それを伝えるための行為で。

「ああ、それと、タマゴは誤りであった。
ヒトは卵生ではないな。ならばこう言おう。私はミナモトが好きだ」
 ミナモト?
「ジンルイは適応に優れすぎている。それはいけない」
 いけない?
「神を神と知りながら、それをリヨウするゴウマンさ。
それを裁こう。源へもどれ」
 もどる、とは?
「——アカゴへと」

 そうして神は降り立った大地を飛び去っていく。空の彼方へ、未知なるはるかへ。
 その御姿を拝むかのように、地上から赤子の泣き声がした。


 
 

7/19/2023, 6:29:37 PM

——あなたの視線の先には、いつも私がいる。
 それは、彼女の確信であり、これ以上ない傲慢だ。そして人間が持つには欲深き傲慢であるが、裏付けされた確信であった。
 なので彼女は今日も頬杖をつき、退屈な声を聞き流しながら窓越しの景色に視線を向ける。彼女を見つめる視線を感じるなどと、そんな真似はできないのだけれど、視線があることをやはり確信している。それは、太陽が東から昇り西に落ちていくように、ホモサピエンスにオスとメスがあることのように、常識にカテゴライズされることだ。
 指先で遊ぶように、その視線を確信しても、彼女はそれを返すわけではない。時たま、気が向いた時だけ、ちらりと流し見て微笑む。それだけが、その時だけが彼女とその視線の縁が結ばれる瞬間だ。
 光のようにその時は去り、彼女はまたその視線を知らんぷりする生活に沈む。だけれど彼女は、その視線を時折向ける時、人生で最も満たされたかのように素晴らしい心地を感じる。それは、受胎告知のような希望に満ち溢れた悦びである。彼女は歓喜し、しかしそれを表に出すことだけはしない。
 彼女は、その歓喜を封じ込めるその過程は、四六時中視線を向けることに足るように感じる。彼女にとって、2人は対等であり、途切れぬ視線を向け続けることと、歓喜を抑えることは等価である。彼女らは対等である。
(こういうのを、魔性のオンナというのかしら?)
 だけれどそれは全く対等ではない。彼女らは対等である。それが燦々と輝く事実である。
 魔性などというものは、手のひらで片方が踊る滑稽なショーと舞台にすぎない。
 そんな汚らわしい関係でないと彼女は思っている。対等である。対等は神聖なる美しさがあり、彼女はそれを信じている。
(私たちは対等だものね)

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