あやや

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昨日のお題の小説を投稿し損ねたので今日は昨日のお題【最初から全て決まっていた】で投稿します。

「僕は時たま思うよ。最初からすべて決まっていたら、なんで素晴らしいんだろうと」
 彼はまっすぐ整った黒髪を、指先でちりちりいじりながらそう言った。静まり返った教室の中、聞こえるものは凡そ7時になりかける時計の針の音だけだ。差し込む夕日は彼の顔を半分橙に染め上げ、光を照り返した睫毛が薄灰色にひかる。
 少年はそれを見惚れたように見つめ、しかしその目に感嘆も恍惚も浮かべることはない。目を向けるものが他にいないから、なんとはなしに、目の前の存在に目を向けただけであった。
「そなんだ」
「自身の選択には責任が伴うだろう。僕たちは一度一度それを背負っていかなければならない」
彼はずっと、笑顔を絶やすことはなかった。話と対照的なその態度は笑顔に反して不気味であって、それが少年に好印象に映ることはないだろうけれど、それでも笑っていた。
「だからその責任を全て、全ての人間のレールを作る作業員にでも被せられたら、と思うわけだ」
「そうかな」
 少年はやはり何の内容も要していなかった。何の内容をも含むことなく、ただ、見せかけで頷いて見せた。
「仮に全て決まっているとして君は」
「うん」
 少年は笑わないし、彼は笑っている。彼は全知のような顔をして、疑問を呈した。
「君はレールに乗っているのかな」
「うーん、」
 少年は笑った。不思議なことだが、彼はそれを始めて見たかのような気分に襲われ——事実、少年は笑顔など浮かべたことがないことを知った。
「君が思うのなら」
 その後に何か言葉が続くかと考えて、しかし少年はその続きを口にはしなかった。
 君が思うのなら。君が思うのならどうなるのだろうか。その答えは決まりきっている。
 君が思うのなら、レールに乗れる。レールに乗ったように、見せかけられる。
「じゃあ君は、最初から決められてないんじゃないか。それなら君は、全てのものが最初から全てを決められていたとしても、主導し、自由であるんじゃないか」
「まあつまり、そう言うことなんじゃないかなあ」
 少年はまだ笑っていた。口元はゆったり弧を描いて、目はずっと彼を見つめていた。それは恐ろしいほどの静寂。風は吹きやみ、カーテンは静止し、入り日は固定され、秒針は動きを止め、笑みは形を変えず、彼は動けなかった。
「君は聡いね?」
 動き出す。猛烈に。赤い布に向かう猛牛のように。人に迫る死のように。夕日が斜陽に表現を変え急速に墜落し、地球の裏を回ってから朝日となって差し込んで、そしてまた落日へと変わって、それがあまりにも速く、一瞬ほどで繰り返された。時計は針を1から12に戻してそして11に戻ってそしてそのまま反対へと回転する。秒針はゆっくり周り短針が異常に速く転回する。頬に風が強く叩きつけてくるくせに、カーテンは長閑に揺れてみせた。
 しかし少年は依然笑っていた。
 そして彼は動けなかった。何一つとして発することはできず、畏敬とも恐怖ともつかぬ感情が胸に満ちることだけが、彼に自身が正常に動作していることを知らせた。
「じゃあ、教えてあげるね」
 紡ぐ言葉を聞くべきかわからなかったのだが、彼は察する。聞くしか道はないのだ。
「最初から全て決まっているし、全てはレールに乗っている。レールはたった一つの存在によって構成されて、君たちはそれを知ることはない」

「こんなことも、結局戯れに過ぎないんだから」

 ぴたり、と。全てが突如として動きを止め——彼は気づく。それらが止まったのはちょうど、彼が最初の言葉を発する時の状態と同じであると。夕日は窓から差し込んで顔を照らし、カーテンは緩やかな風に揺られ、時計は凡そ7時になりかけていた。
 そうして彼は目の前を向けて、その前に誰をもいないことを確認する。
 
 そう、ここには最初から誰1人としていなかった。

 彼はそう考える。一体何が彼の違和感を刺激するのだろうか?少し逡巡を経るが、何一つとして答えが出ないので、彼はカバンを手にして立ち上がった。
「……帰ろう」
 彼はすでに答えの出てしまった問いを、しかしその答えを知らなくなった問いを投げた。
——最初から全て、決まっているのだろうか?

8/9/2023, 4:46:34 PM