あやや

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 神様が舞い降りてきて、こういった。
「ワタシはタマゴが好きです」
 その姿はまさに神々しく、仰々しく、壮大であり、信頼性が飛び抜けていたので、その瞬間場にいた人も、ヘリコプターからカメラが捉えた映像をモニターを媒介して見た有象の人々も、その神々しく仰々しく壮大であり信頼性の飛び抜けている存在が神であると、はっきりと理解した。それは動画になり世に広まり、おおよそ電波も何もかもない文明の途切れた集落の人々ぐらいしか、その存在を知らぬものはいなかっただろう。
 街中では「ワタシはタマゴが好きです」「ワタシはタマゴが好きです」、学校では「ワタシはタマゴが好きです」「ワタシはタマゴが好きです」、それはその時、地球の歴史であれば一瞬の時、文明あるすべての地に存在する音となった。
 時たま無垢ではないが無知なる子羊が現れて、「神がタマゴなとと特定の一つを好きだというわけがない!」「神は博愛主義なのだ!」といかにも神論者らしく語ることがあったが、それらはその威光を実際見ていない者たちであって、ひとたびその鼻先に御姿を突きつけられれば、彼らは黙り、涙を流し、焦燥し、もうなにも言えなかった。
 ネットではその「タマゴ」というのが魂悟と書き地球の根幹を支える大きなる力であるという、根も葉もないような、あるような微妙な仮説が流れ、それに釣られた者たちは好き勝手に騒いだ。
「ワタシはタマゴが好きです」
 その一言ののち、降臨なされた神はその御姿を留め、その場で一言をも発することはなく、ただ宙に浮くだけであった。
 そして、そこからゆっくりと、ゆっくりと人類は適応した。
 人々に受け入れられた。そのあまりの異質さに人々は慣れ、その下を通って通勤し、通学し、散歩をした。
 人々は慣れ親しんだ。子供は手を振り、大人は見上げては挨拶のように会釈をしたり、丁寧な言葉で出会に感謝を告げた。
 ついにはそれを利用し始める。巡教者が聖地を見に訪れ、興味を持った他地域の人々を誘い込もうと旅行会社はプランを作った。旗を持ったツアーガイドがお決まりの口上で説明を始め、知ったような顔をして観光客がうんうんと頷き、神を見上げた。
 そう、人類は適応する。
 そこまで行き着くに、数十年を要し、しかしながらそれは地球の全てを見ればただ瞬く間の出来事に過ぎない。人類へ実に素早く、尊きものに慣れ、尊きものを利用されるものにまで貶めた。それは、人類が気付かぬ人類の能力であり、欠点であった。
 そうしてある日、動かぬ宙の像が重たい瞼を動かす。そして、手をゆっくりと伸ばし、手のひら同士を重ね合わせた。その時、耳に否応になく入力され、しかしながら不快さなどを全く合わせない、強い音が響く。それは手を叩いた時の音に似ている。
 適応した人々は、その事態に驚き視線を上げ——すべてのものが動きを止めた。
「ヒトビトよ。ワタシは帰ろう」
 帰ろう。帰ろう。かえろう。
 それは、変革の合図であった。撃たれたように人々は騒ぎ出し、それを何者かが中継し、それは瞬く間に世界に伝播した。あるものがその意味を問い、誰かがその意味に無意味に答えを返した。誰かが叫び、誰かが泣いた。
 神はその御姿をふわりと上の方へと持ち上げて、ゆっくり、ゆっくりと引き上がっていった。地上から離れれば離れるほど阿鼻叫喚が場を包み、人類は焦燥した。
「ジンルイよ」
 それは凛とした澄み渡った声であり、偉業を感じ、威光を感じる美しく偉大なものであった。人々はその恐慌が嘘のように、その声を聞いて静まり返る。
「ワタシは、このセカイを見捨てるわけではない」
 その言葉は人々に安寧をもたらした。人々に一瞬、ざわめきが広がり、そしてまた沈黙へと移り変わる。そうして人々は、焦燥を捨て去り、畏敬と恍惚の目で神を見上げた。
 遥かなる天のもとで、神は未来永劫、私たちを見守ってくださる。降臨なさったのも、それを伝えるための行為で。

「ああ、それと、タマゴは誤りであった。
ヒトは卵生ではないな。ならばこう言おう。私はミナモトが好きだ」
 ミナモト?
「ジンルイは適応に優れすぎている。それはいけない」
 いけない?
「神を神と知りながら、それをリヨウするゴウマンさ。
それを裁こう。源へもどれ」
 もどる、とは?
「——アカゴへと」

 そうして神は降り立った大地を飛び去っていく。空の彼方へ、未知なるはるかへ。
 その御姿を拝むかのように、地上から赤子の泣き声がした。


 
 

7/27/2023, 12:03:37 PM