飛べない翼
当然のように使っているこの翼は、ただ滑空するだけの偽物だ。再び飛び上がることも、複雑な動きをすることもできない、飛べない翼。まるで俺みたいだ、なんて笑った日があった。昔は飛べたのだ。ここに来る前、揃いの蜂蜜色と2人で肩を並べていた頃。もう結構経っちゃったな、なんて、見上げた空は変わらずの澄んだ群青色で、それすらどこか白々しい。この話題になると、誰かしらが悲しそうな顔をする。相棒なんかその筆頭だ、その顔も可愛いのだけれど。
ぐっ、と。思いっきり伸びをした。いつからかの、気分転換のルーティン。気分が上がるかと言われれば否だが、多少暗い思考を外側に沈めておける。
いつだったか、とある神様が言っていた。兄弟というのは、血縁でも何でもなく、それ以外の何か不可思議なもので繋がっているものだと。双子であるのなら尚のこと、と優しく笑って付け足して、何事も無かったように世間話に戻っていった。
そうなのだろうか。信じていいのだろうか。もう会えないかもしれない、なんて、月の下でひとり涙に濡れた日も、諦めようと無理やりに笑った日も。そういう努力全部が、水の泡になってくれやしないだろうか。
今日も変わらず朝日は昇って、心地いい風に背を押されるまま歩き続ける。ひとりでなくてよかった、なんて隣を見れば、何も知らない非常食はわけも分からず笑うのだ。それにつられて笑うまでが、いつもの僕ら。
穏やかで平和な、無為の時を愛してしまった、薄弱な自身へ。止めない足が一種の諦めだとしても、それはきっと、あるべき虚無だと信じている。
哀愁を誘う
秋の青空は澄んでいて、寝そべってそれを視界いっぱいに埋めつくしてしまえば、まるで空に落ちているよう、だなんて。
屋上でひとり、腕も足も投げ出して大胆に寝転がる。そうして初めて、青空は彼を飲み込んだ。別に、何を期待したわけではない。ただ彼の言葉を思い出して、だから実際にやってみた。それだけだ。少し冷たい風が頬を撫でる。ほんの1週間ほど前までは残暑だなんだと騒いでいたのに、今やアウター無しで外に出るのは些かリスキーとまで来た。なんて気まぐれな天気だろう。この心地よい空気だって、恐らく片手で数えられる程しか訪れないのだろう。そのうち、それを教授で着るのはどれくらいあるだろう。もしかしたらこれが最後かも、なんて思って、なぜだか寂しくなって目を閉じた。
目が覚める前に
目が覚める前。夢のような微睡みと、現実の静けさの狭間が好きだった。うとうと、もうひと眠りしようかと思い立った頃に、君の声が聞こえてくるのも好きだ。思い返せばこの声こそが好きだったのかもしれない。この声を待って、じゃあ起きるかぁ、なんて、しぶしぶ体を起こすのが日常だった。
朝から明るい日が差し込んで、君の声が聞こえて、ふたりで用意する朝食の香りが鮮やかだった。それが今や、どうだろう。朝なんて憂鬱の代名詞だ。日は淀んでむしろ冷たく、声なんて機械から流れる無機質なものばかり。朝食だって、食べたり食べなかったり。
君の声が好きだった。匂いも、雰囲気も、その存在そのもの全てが大切だった。そんな太陽が消えたって言うのに、世界は変わらず、憎いまでの晴天だ。
君がいなきゃ生きていけない。こんなにも僕は、君が全てだった。それを嫌味なくらい実感して、何もかも失って初めて気づく自分にだって腹が立つ。
次に目が覚める前に、君に会いたい。いっそ、そのまま目が覚めなかったらいいな、なんて。
怒らないでよ。大好きだ。
1年前
この璃月には、何人もの仙人が人間に混ざって当然のように息をしている。神代から生きる彼らは、見るからにその存在が偉大であったり、逆にひっそりと人を守っていたり、政務の根幹を担っていたりと、その在り方は実に様々だ。それもそのはず、一概に仙人と言っても、その存在自体が様々なのである。戦に生きる夜叉、からくりや細工にに長けた獣、音楽に生きる者、麒麟と人のハーフ、人に捨てられ人世を見失った者、などなど。これだけ多種多様であれば、その在り方も多様であればこそ。そんな自由な都は、今日も彼らに支えられている。
ー、とまぁ、そんな感じの報告書を認めて、刻晴は一息ついていた。約1年前、璃月の生みの親、繁栄の礎であった岩王帝君が亡くなった。それからというもの、政務はほとんどの人人の手に委ねられ、正に人の世が始まろうとしている。そんな黎明期真っ只中、その政務の中核の一端を担う刻晴が、暇であるはずがないのである。元より様々な業務に追われていたにも関わらず、その場にただの人間という存在が求められるようになったこの頃。刻晴はほとんど毎時毎秒、幾つもの部署から求められるようにさえなっていた。休む間もなく働き詰め。最早人がこなす物量を超えている、なんて愚痴を零しながら、一向に減る気配の無い資料の山と睨めっこを続ける日々である。
…とまぁ、この辺まで。
好き嫌い
午前11時、ちょっと早めの昼食の時間。今日は夜に任務があるのに伴って、午後に直前の打ち合わせがある。内容なんていつも通り、ほとんど代わり映えのしないそれを毎度行う意義なんて殆どないに等しいが、体裁は整えたいらしい。飽きもせずに毎度、組織への忠誠を確認するのだから笑えてくる。そんな上っ面のもの、私たちのような職種のものが取り繕えなくてどうするの言うのだ。つまりは任務に対しては全く無意味なのだが、『私は貴方たちの捨て駒であり、忠犬ですよ。』と貼り付けた笑顔を披露しに行く、ただそれだけ。
時間の無駄だなぁと思いながらも、足抜けの為には少しだって疑われる訳にはいかなかった。だから、欠席なんて選択肢はない。そんな現状にこれまでで何度目かの諦めを滲ませながら、学食をつつく。今日も変わらず、B定食。ここの学食の人員については定期的に調査しているから、内通者がいないであろうこともわかっている。まぁ万が一そんな事案があったとして、そんな簡単にくたばってやる気は毛頭ないのだけど。今日は味噌汁とご飯、サバの味噌煮。それと、付け合せのほうれん草のおひたし。比較的軽めの和食は、なんとなく疲れている時にはもってこいだな、なんて。B定食はいつも和食なのだ。胃に持たれる心配をすることはほとんどない。別に和食がとても好き、という訳でもなく、ただ心配事が減って楽だから、という理由でいつも選んでいる。万が一毒が盛られていたとしても、薄味でスパイスなどの刺激物が少ない方が気づきやすい。つまりは色々と効率がいい。それだけ。
ふと、向かいに座って同じようにB定食をつついているセラフの手元に目が止まる。ほとんど完食されたその皿の中、不自然にほうれん草のおひたしだけが鮮やかな色を放っていた。つん、と箸で器用に少量だけつかんで、口に運ぶ。それを繰り返している。普段は早食いなくらい、急かされるようにぱくぱくと口に運ぶ彼にしては、とても珍しい、異色な光景だった。そんな景色に思わず顔を凝視してしまって、それに気づいたセラフと目が合う。
「…もしかして、苦手、だったりします?」
「なにが。」
「え、それ。」
「…いや。なんとなく、ちょっと、…なんていうか。」
ぽそ。普段なら簡潔な言葉で紡がれる言葉も、今は何故か歯切れが悪い。
「なんとなく、嫌?避けられるものなら避けたい、みたいな。」
「…うん。」
その言葉に、思わず口角が上がる。
「じゃあ、私がもらってもいいですか。」
「え、なんで。」
「何となく嫌。なら別に、避けていいんですよ。」
今この場所では、何がのトラブルで行き倒れる危機、なんてものは早々起こりやしない。それに、そんな事態を回避できないほど私たちは無力でもない。
「明日は別のにしましょう。和洋中、どれにします?」
「…うーん。」
「じゃあ明日はA定食にしましょう。確かオムライスですよ。」
そう言いながら、ひょいと小鉢をひったくる。
確かに、今日のこれはちょっと水気が多い。確かに倦厭するのもわかるなぁ、なんて思いながら、もう一束掴んで口に運んだ。
よく考えてみれば、わざわざ和食を選ぶ必要なんてもうないのだ。スパイスが聞いていようが味が濃かろうが、好きなものを好きに食べればいい。そんな世界に憧れて、こちらの世界へ踏み出す決断をしたのだから。
あれが食べたい、これがおいしい。そんな会話で盛り上がれるようになるまで、世界中の料理を食べる気でいてもいいな、なんて。