後悔
「お前が、笑うな!!」
風は冷たかったし、この曇天じゃ星のひとつも見えやしなかった。そんな、バッドエンドにはお誂え向きの空の下で、伊波は笑っていた。
「泣くなら泣けよ」
本当に、訳がわからないと思っていた。この際全部言ってやる気で、小柳は口を開く。
「なんで、笑うんだよ」
しかし、出てきた言葉はその一割だって音には乗せてくれやしない。そんなものだとわかっていても、こんな時に、少しくらいの例外が許されたっていいじゃないかと思った。
気分は最悪だった。拳を叩きつけたい衝動を堪えて、視線だけは依然、伊波を捉えていた。
「こやが、泣くの」
伊波は笑っていた。
「いいんだ、お前が泣くなら俺が笑うし、逆ならまた逆なだけ。全部俺が持ってくから、だから、お前は」
伊波の言葉は、最後まで続かなかった。
「そんなの」
他でもない、小柳が遮ったからだ。
小柳はポロポロ泣いていた。駄々をこねる子供みたいに、それはもう格好なんてつきやしなかった。
「お前ならいいんだよ」
小柳は叫ぶ。
「きっとお前が成長して、老いて、俺よりも先に死んで! そうなるもんだと思ってんだ」
こんなに叫んだって、一歩が恐ろしかった。
もう直ぐ目の前なのに、一歩を踏み出すのが、その手を取るのが怖くて仕方がない。触れた手を振り払われるのが、寂しくて虚しくて、どうしようもなく嫌で仕方がない。
しかし、今行かなければならなかった。そうでなければ小柳は、きっとこの日を生涯悔やむだろうことが易々と想像できたのだ。
「ここにいてくれ、伊波」
ひとつだって興味がない風な顔をしていた。しかしその瞳が僅かに揺れたのを小柳は見逃さなかった。
風に身をまかせ
たんぽぽは、その綿毛を遠くに飛ばす為に背を伸ばすと聞いたことがある。
「あの」
伊波は、ちょうどたんぽぽのように無理をして笑顔を貼り付けたまま、強張った顔で言った。
「それは、我々に “死ね” という認識で間違いありませんか」
「って言ってみたけど、駄目だったねぇ」
そして今、彼はその任務地の、乾き切らない地面に肢体を投げ出していた。風だけは絶え間なく流れているものだから、割れたゴーグルの隙間から風が入り込んでは前髪が踊った。顔を撫でる優しい風を受けながら、しかし次の瞬間には、うつらとしていた意識はあっという間に覚醒した。
「──」
「っ、」
その名前にはどこか聞き馴染みがあった。しかし思い出す間もなく、次の言葉が降ってくる。
「──、起きろ」
「え、」
「そこは、お前の夢じゃないだろ」
「まって」
ぶわり、大きく風が吹いた。
その風に背を押されるまま、伊波は一歩踏み出していた。
ぱしゃん、と軽い水音が鳴る。それで初めて、伊波は自身が小さな川に片足を突っ込んでいたことを自覚した。
愛を叫ぶ
──私は、愛なんてと嘲る可哀想な彼にこそ、他でもない愛を叫ばせたいのです。
そう笑った彼女の瞳が、なんだかどこまでも冷え切っていたのをよく覚えていた。
彼女はよく笑う人だった。そしてよく食べ、よく泣き、よく寝ていた。片手で数えるに足る日の遠出の帰り、助手席で舟を漕ぐ彼女を見た時、なんだかどうしようもなく離したくないと思ったのだ。
しかし彼女の視線は一向にこちらを捉えることはなかった。彼女にとって僕は良い友人であり、それ以上でもそれ以下でもないのだ。ただ都合よく、適度に心地よく、必要最低限の配慮を要する、そんな人間のままだった。
彼女に意味ありげな本数のバラを渡した日、彼女は愛を叫ばせたいのだと言った。空を知らない人に虹を語るように、雨を知らない人に水たまりのメロディを聴かせるように。
幸いなことに、僕ならそれをよく知っているなんて、そんな言葉は嘘でも出てこなかった。彼女が言葉を愛していることはよく知っていたし、嘘を嫌うことも理解していた。
「じゃあ、ラーメン食べに行きましょう」
「いいけど、他の女の子にそんなのいわないでね」
「どうして」
「だって、可愛くないもの」
ハンバーガーやたこ焼きはあまり適していない。同じように、汗をかいたりするものも好まれにくい。
「わかってます。でも、貴方はいいでしょう」
「まあね。さ、行こうか」
彼女の背中を追いかけながら、その耳に揺れる赤いピアスを見つめていた。彼女の愛はとうの昔に結ばれて、僕のはいつまでも宙ぶらりん。
「わ、あの焼き鳥めっちゃ美味しいらしい!たべよ!」
けれどまぁ、宙に浮いた人間からしか見えない景色もあるのだろう。
「ふふ、走ると転びますよ!」
ならば僕は、このまま良き友人であろうと思うのだ。
楽園
楽園。
人はそれを桃源郷と呼び、地獄と呼び、理想郷と撫でながら悲劇を謳う。
伊波にとって、それは限りなく地獄に近い理想郷だった。そんなアトランティスは確かに憧れで、しかしそこに底なしの絶望があることを嫌というほど知っていた。
だから、というのもなんだか不躾だとは思うのだ。しかしながら、伊波の現状はほとんど間違いようもなく、そんなアトランティスを模倣した様であった。
もしも未来が見れるなら
もしも未来が見れるなら、昨日空を飛んだ君を追いかけるだろう。倒産したラーメン屋の常連にだってなるし、サ終したゲームからは早々に手を引くだろう。黒歴史みたいな写真だって消さずにおいただろうし、きっと今よりもずっと増えている。
いっそ憎いくらいに清々しい空を見上げながら、俺なそんなことばかり考えている。そんな風に、有る事無い事、一切合切に後悔し尽くしている。