モンシロチョウ
Cafe Zeffiroの店先には、ちょっとした花壇がある。定番のマリーゴールドから、ボリュームのあるユーフォルビア、朝顔のような花をつけるペチュニア、ちいさな薔薇のようなカリブラコア、料理に使えるローズマリー、バジル、ラベンダー。
春先から初秋まで、色とりどりの花々が、Cafeで安らかなひとときを求める人々の目を楽しませている。
「奏斗〜、土どこしまったん?」
「セラフが知ってる〜」
「後ろだな、持ってくるか」
カフェがお休みの、とある昼下がり。目に新しいエプロンをつけて、軍手をして、小さなスコップを握って。セラフと雲雀のふたりは、せっせと庭いじりをしていた。
やはりこれだけの量だ。流石に全くお手入れをしない、というわけにもいかず、とは言え雲雀ひとりで作業するには余りにも膨大だ、ということで、セラフに協力を仰いだ次第である。
四季凪と風楽はそれを傍目に見ながら、テラス席で書類仕事に追われている。
「あ、モンシロチョウ。」
暖かな陽気、それを囲む親しい友人。
まるで平和の象徴と言わんばかりに、真っ白なモンシロチョウが空を駆けていった。
今日の夕食はみんなでイタリアンパーティ。でっかいビザでも食べよう。そう思いながら、セラフは手を動かしていた。
一年後
「セラ夫、今日は早めに事務所に戻ってきてくださいね。」
昨日の大雨強風はどこへやら。今日は眩い青が煌めき、雲もひとつとない。最早恨めしい程の快晴である。
今日も今日とて迷い猫を探しに、さぁ街へ繰り出そうと扉を開けたところで、なぎちゃんが不意に呼び止めた。
「事務所じゃなくてゼフィロ直帰でもいいです。」
そこは任せるので連絡だけください、いつも通り。そう言いながら、猫の書類をまとめている。
「…なんかあったっけ?今日。」
「え?…まぁ、はい。」
「ふーん?、…?」
「別に忘れてるならそれで大丈夫ですよ。」
むしろ面白くなる。そう顔で語りながら、なぎちゃんがさぞ面白いというように微笑んだ。
「まぁいいや。行ってきます。」
「行ってらっしゃい。」
事務所のちょっと重めの扉を押して、ちょっともやもやを抱えながら。迷子の子猫に想いを馳せた。
「…ちょっと遅くなっちゃったな。」
あれから、目的の猫はすぐに見つかった。…見つかりはしたのだか。なぜか異様に逃げられるわ、逃げた先が交通量がとても多い大通りで肝を冷やすわ、あーだ、こーだ。
そんなんでいつもより少し心をすり減らし、無事猫を依頼先に届け、今に至る。
既に日は傾いて、橙色の先に濃紺が顔を覗かせていた。
これは、ちょっとだけ怒られそう。
怒るというか、心配をかけるというか。3人して心配だ、という顔を惜しげも無く体現して、こちらが顔を覗かせた瞬間にぱぁっと安心した!!と顔に出るのだ。少しだけ、なけなしの良心が痛んだり、痛まなかったり。
そんなこんなで、とても遠い道のりに感じた帰路を抜け、見慣れたゼフィロの扉の前に立った。明かりもついているし、何やら騒がしい気配もする。…帰ってきたなぁ、なんて。
「…たーだいまぁ〜」
声と共に、ぱぁぁん!!!と軽い、火薬の音。その音が余りに軽いから、特段身構えることもせずに音の発生源を目で探る。
…奏斗、ひば。それからなぎちゃんの手元。
それは拳銃でもなんでもなく、ごく普通の、市販のクラッカー。
「…なに?おめでたい日?」
その呟きに被せるように、3人の笑い声が響きわたる。
「ははは、何って!」
「ねぇ、アキラ!!」
「ふふ、ほんとに、、ねぇ」
「「「誕生日、おめでとう!」」」
『今日の主役』の襷と、謎のパーティサングラスと、テーブルいっぱいのご飯と。
「そういや、そうだなぁ。」
そういや今日は、5月の某日。久しく祝われることなんてなかった、それ故にほとんど意識していなかった、自身の誕生日。
「ほら!なにぼーっとしてんですか!」
「もうお腹すいてんのぉ!お前が帰ってこないから!!」
「はよ食べるかー!ほら、セラお!!」
「へへ、…うん。食べるかぁ!」
これからまた1年。vltでの、日々が始まる。
また来年もこんな時間が流れればいいなぁ、なんて思いながら、促されるままに席についた。
Happybirthday. 5.12.
明日世界が終わるなら
教室の窓側、最後列。所謂勝ちポジなるその位置で、奏斗は頬杖をつきながら窓の外を眺めていた。
今日も今日とて、眩しいほどの晴天。いつの間にやら常連になった眩しい青を背負いながら、世界は暑さに揺蕩っている。これが俗に言う蜃気楼と言うやつかな、なんて雑に思考に耽りながら、校庭で一際目立つビビットピンクを目で追っていた。まぁぴょんぴょんと元気なこって、先程の神妙な顔が嘘のようだ。はっきりとは見えないが、きっと今もあの人懐こい笑みを惜しみなく体現しているのだろう。
『明日世界が終わったら、どうする?』
そう、神妙な面持ちで呟いていたのがほんの数分前の彼だと、一体誰が想像できるだろうか。隣のクラスのバスケ部員に連れて行かれる直前、赤点の小テストを眺めながら、まるでそこにある問題文を読み上げるような自然さで。
『明日終わるにしろ、その赤点は変わんないだろ。』
『だよなぁ〜。…奏斗、ここ何?』
egoisuta、利己主義者。この物語の主人公は、これのお陰で破滅に突き進んでいく。自分を信じ、他人を蹴落とし、全ては利益があるか否か。そうやって、やがてひとりぼっちになった。
次はarrogance。慢心。慢心とポジティブは紙一重。緊張しているからと言って、なにも不安がないように振る舞うのは偏に慢心では無い。そんなことを、誰かが言っていたっけ。
『僕は多分、死に急ぐかな。』
何もかもが終わる瞬間なんて、きっと恐ろしくて耐えられない。ならいっそ、自分の命にさえ自分で引き金を引いてしまいたい。
『それはさせんからなぁ。別の考えといて。』
その言葉と、中途半端な赤点の小テストを置き去りに、彼は校庭に消えていった。バスケットボールを担いで。
校庭の雲雀と目が合う。ニカッと笑って、ぶんぶんと大きく腕ごと降って。奏斗〜!って声が今にも聞こえてきそうだ。
思わず笑って、小さく手を振り返す。そういや、放課後にバンド練があるとか言ってたな。ちょっとイタズラしに行こうか。
君と出逢って
牡牛座流星群。毎年10月から11月の何日か、夜の9時から深夜まで、1時間に大体10個程度。いつの日からか、この流星群が、下記の楽しみのひとつになっていた。
一昔前、職業柄、夜空を眺める時間が圧倒的に多かったあの頃。もう何度目かになるタッグを組んで、ほんの少しの世間話を挟むようになっていた頃。いつもの様に、今日は牡牛座流星群が見えるはずですよ、なんて。その言葉に導かれるまま、何気なしに東の空を見上げた時、幾重にも連なる白い導線が、地上に降り注ぐかのごとく光り輝くのが見えた。今も詳細に思い出せる。あの景色、温度、君の息遣いと、俺の手にあった鉄の冷たさまで。
「なぎちゃん。今日何の日か知ってる?」
「えー、10月13日…。何かありましたっけ?」
「正解はねぇ、さつまいもの日」
もう日が落ちる。5時前の、少し影が指す事務所。そのソファーに沈みながら、事務作業に勤しむ相方を眺める。
「…冷蔵庫に、スイートポテトと大学いもがあります。」
晩ご飯の後に、空を見ながら食べようよ。
夜の世界から抜け出して、君と作りあげた僕らの世界。この場所からは、昼の喧騒も夜の星空も、どちらもとてもよく見える。
君と出逢って、夜空を見上げて。そこで初めて、いつもそこにあった光に気がついた。君が月明かりだと言うのなら、俺はその下で、いつまでも君を見上げていたい。
耳を澄ますと
鳥の鳴き声、風の音、どこかの家の子供の笑い声、包丁て食材を切る音、仲間たちの談笑、それから。
昔から、自らの音を消すのが得意だった。音に限らず、気配や匂い、自分を自分だと認識するに至る要素の全てを、人に認知させないようにすること。それが、セラフが生きてきた世界での常識だった。それがとうだろう、今では寝息を気にせずに眠りこけて、起き抜けに何気なく、理由をつけずに周りの音に耳を澄ますことも容易くなった。これが平和ボケというやつかな、なんて嘲笑しながら、再び周囲に耳を澄ます。
『そこにない?』
『えー、カレーでしょ?ないよ?』
『あるってぇ。賞味期限ちかいやつ』
『たらい、ドレッシングの替えは?』
『それも奏斗んとこやね!おーい奏斗!はよ!!』
『だからないって!ドレッシングは?胡麻?』
『なにがいい?』
『んじゃ胡麻ね。…なんで5本もあんの?』
『そんなある?』
『ある。まぁ使っちゃうか、意外と。』
『カレーこれじゃないですか?』
『ほらぁ!こっちにないじゃん!』
『賞味期限、昨日。』
『賞味だから、まぁ。許せ。』
『そこは知ってんのな』
『セラが言ってた』
『意味は?』
『知らんよ?もちろん。』
『もちろんか』
『おうよ』
笑い声が響く。それにつられてか、少し口角が上がる気がした。
今日の晩御飯はカレーらしい。ゴマドレのサラダ付き。カレーのルーは昨日が賞味期限だったらしい。確かに少し前、桃の缶詰の期限が切れたとボヤいている雲雀に、賞味なら大丈夫だと話したっけ。これの元は、俺となぎちゃんの会話なのだけど。つまり元ではなぎちゃんである。
『あとルー入れるだけ?』
『そー!すぐできんよ〜。ご飯よそって!』
『セラ呼んで来ますね』
たんたん、聞き慣れた足音。
こいつも足音消さなくなったんだな、なんて。今日はそんなことばかり考えている気がする。
「セラ、起きてます?」
ガチャ。ドアが開くと同時に、聞き慣れたテノールが鳴る。
今日もこれに答えられる。それはきっと、限りなく幸運な事だ。
「起きてるよぉ〜」
目を開ければ、群青が微笑んだ。
「晩御飯。ふたりが待ってますよ。」
「カレーでしょ?賞味期限切れの。」
「なんだ、起きてんなら来ればいいのに」
「盗み聞きは良くないじゃん?」
「ならそれも隠し通せよ」
「それは嫌」
「はは、ほら、行きますよ」
耳を澄まさずとも、聞こえてくるたくさんの音。
車の音、鳥の鳴き声、近所の犬、
そして、聞き慣れた仲間たちの音。