はじめまして
「はじめまして」と言われればこちらも「はじめまして」と返す。日本人として当たり前のコミュニケーション。例えこっちが知っていても。
習ったことは無かったけど、小さい頃から踊ることが好きだった。パソコンを買い与えられた中学一年生からはYouTubeで色んな音楽に触れてより一層のめりこんだ。なんかの流れで町内の小さなイベントで踊らせてもらうことになって、当時好きでよく踊っていた曲をステージの上で披露した。二十人もいないくらいのパイプ椅子の埋まり具合だったがすごく緊張した。踊っている間の記憶はほとんど無くて、気がついたら曲が終わってお辞儀をして帰るところだった。裏に戻ると最前列で記録用にカメラを構えていたスタッフさんがさっきの自分のステージの動画を見せてくれた。そこには緊張で顔が終わっている自分とごちゃごちゃしているダンス。振りを覚えてなんとかやりきっているもののとても人に見せれるような完成度ではない。恥ずかしくてそそくさとその場を後にしようと市役所の方へ歩いていた時、一人の女の子が駆け寄ってきた。同い年、いや、小学生六年生くらいだろうか。
「あの、さっき踊ってた人ですよね?」
「え…あ、まぁ、一応…」
「ダンスすごく素敵でした。あの、サインもらえますか。」
「え…さ、サインですか…?」
こんな一般人にサインなんてあるものか。そう思ったけどダンスを褒められたのが嬉しくて渡された単語帳の後ろのページに適当に名前をそれっぽく書いた。
「えーと…これで、いいですかね?」
「はい!ありがとうございます…ファンになってもいいですか。」
「ファン…はぁ、そんな大層な人間じゃないんですけどいいですか。」
「大丈夫です。」
「あ、ありがとうございます…あ、じゃあ…さよなら。」
「はい。では、また。」
女の子は満足そうに去っていった。
それから五年後、紛れもなくその女の子が自分の前に現れた。まさか同じ高校、しかも部活動の後輩になるとは。
「はじめまして。」
「はじめまして。」
自分のファン第一号の彼女は当時と変わらぬ笑顔で自分にそう挨拶した。自分だけ覚えていることに少しだけ恥ずかしかったが、この子のおかげでダンスを嫌いにならずに済んだ。自分を嫌いにならずに済んだ。いつかこの子が思い出した時にはありがとうと伝えよう。
またね!
大好きな先輩で、初恋の人。後輩としてでもいいからずっと一緒にいたくて、想いを伝えるなんてことはとうの昔に諦めたはずなのに。お酒も入っていい感じに酔いが回ったころについに長年溜め込んでいたそれが口をついて出た。出会ってから十年。先輩は高校に入ってから知り合って五年ぐらいだと認識しているだろうけど、それよりも前からずっと恋焦がれていたのだ。先輩は私をそういう対象として見ていないことも知ってる。ただ、春から始まった新しい生活と、社会人として慣れないことばかりで疲弊していた心に、久々に聞いた先輩の声が優しくて、あたたかくて、ああ好きだと思ってしまえば止まらなくて。先輩はその綺麗な瞳を節目がちにしながら私の話を黙って聞き、答えが先輩に委ねられたらさっきまでの酔いが嘘のように冷静に丁寧に断られた。一つ一つにお礼を言われて、ありがたいと笑ってくれて、申し訳なさそうに謝られて、やがて気まずそうに俯いた。予想していた答えのはずなのに、もうなんか目の前が真っ暗で適当に理由をつけてその場を離れようとした。こんな終わり、嫌だなぁとは思うもののもう恥ずかしさで合わせる顔がない。一生の別れを込めたつもりの精一杯のばいばいを告げ、カバンとコートを準備して席を立とうとした時だった。
「またね。」
…え?言葉の意味が飲み込めなくてまるで時が止まったようにそれまでの忙しない手の動きを止めた。先輩は私の目をしっかり見ながら念を押すように言った。
「またね!」
「…"また"があるんですか?振った相手にまた顔を合わせることが?」
「うん。あってほしいと思ってる。そっちが嫌じゃなければだけど。」
「……自分勝手ですね。」
「自分勝手でごめん。でも分かってほしい。会えなくなるのは嫌だ。」
その目が、声が、先輩を形作るものが全て好きだ。それほど好きな人に「会えなくなるのは嫌だ」と言われ、振られたことも忘れて危うく照れてしまうところだった。本当にこの人はずるい。このまま終わらせてくれないところがずるくて、優しくて、好き。
春風とともに
春風に桜の花びらが運ばれて彼の髪に落ちた。少し傷んでいる派手な緑色の髪の上に薄いピンクの桜の花びらが乗っているのが春らしくてかわいい。
「…何?」
自分があまりにじっと見ているのを面白くなさそうに睨みつけてくる彼。コロコロ変わる派手な髪色、耳にはゴツゴツしたピアス、それに加えて目つきが鋭い彼は、あまりにも近寄りがたい見た目をしている。こうなる前のサラサラな黒髪の幼い姿を知っていなければ話さえまともにできなかったかもしれない。
「桜、ついてたのがかわいいなーって。」
優しく取ってあげると、面白くなさそうにぶすっとした顔をしながら「…ありがとう。」とお礼を言ってきた。かわいいとからかわれているのは不満だが、取ってくれたこと自体にはお礼を言ってしまう彼がかわいかった。彼の髪色が何度変わっても、ピアスの穴が増えても減っても、何度春が来ても、こんな風に桜を取ってあげるのは自分がいいなと思った。
涙
「別れろよ。」
「むり、付き合ってないもん。」
鬼のようなLINEが入ってたから何かと思って来てみれば、またあのクズの話題。既に酔いが回っている彼女は机に頭を突っ伏していた。付き合ってないから別れないなんてどんな頓知だ。
「問い詰めたの?前に女といたこと。」
「うん…はぐらかされたけど。」
また一口グラスを煽るからそろそろ水にしろと自分のお冷を押し付ける。グラスを替えたことに気づかないほど酩酊状態ではないようだが素直に水を飲むようになった。
「大体さ、嘘つくの下手なんだよねあいつ…すぐ目泳ぐし、へらへらしてさぁ……でもさ、そんなあいつのペースにのまれてへたくそな嘘信じようとする自分がバカすぎてむり…」
ついには泣き出してしまった。もうこうなったら自分の声は耳に入らないだろう。瞼が重くなってきている彼女に黙って目をやる。早く縁を切ればいいのにと思う。さっさと別れて早く次を探せ。ドラマなんかだと自分がもらってやるみたいな流れがあるがそれは残念ながらできない。彼女はあくまで友達。自分とは違うところで幸せになってほしい友達。だから、自分はマスカラの滲んで黒くなった涙をおしぼりで優しく拭いて、閉店までの数時間を寝かせてあげることくらいしかできない。彼女のこの涙の跡が綺麗に消えて、真っ暗な闇から早く抜け出せますようにと願った。
小さな幸せ
私にとって小さな幸せってなんだろう?なんか恋愛ハンドブックみたいなので小さな幸せに気づけるのがイイ女って聞いたから、時間もあるしここらでちょっと考えてみようかなーと思った。何があるかなー…あ、最近通販で届いた服、レビューが無くて不安だったけど写真通りでかわいかったこととか?んー、でも今後のお気に入りに入るしヘビロテするつもりだから結構大きい幸せかも……あ、スーパーで買ったポテチが10%増量だったこととか?いや、そもそもダイエットしてたからポテチ食べれるだけでも私にとっては幸せなんだよなー。あ、あとは彼氏からの頻繁なLINEがちょっと面倒だったけどその頻度が落ち着いたこととか?んー、それを幸せと言っちゃうのもどうなのって感じか。あ、あとは原作が好きな映画が公開されたこととか?いや、映画化ってなって結構テンション上がったし大きい幸せかー…あ、好きなブランドからパケが超かわいいコスメ発売されたこととか?!きらきらしてて綺麗でもうほんっとーに大好きなの。作ってる人天才!早く欲しいなー、予約しなきゃ…ってこんな気分あげてくれるんだから、これも大きい幸せか…んー、小さな幸せって難しいな。そもそもそんな幸せの前に不幸に気づいちゃう私はまだまだイイ女になれてないなー……
あー、こんな私だから彼氏にフラれちゃったのかな?超かわいい服だってデートのために買ったのに、着れなきゃ意味ないもん。ダイエットしてたのだってちょっとでもかわいいと思われたかったからなのに。映画化が決まって二人で見にいこうって言ってた映画も一人で見るしかないのかー。コスメだって、かわいいの欲しいけど、なんかストレスで肌も荒れてるし、そもそもバイトと学校以外に外出ないからあんまメイク気合い入れてないし買っても意味ないなー…LINEだって、返すの結構めんどくさかったけど来ないとこんなに寂しくなるんだなー。今は小さな幸せなんて感じられない。大好きな彼氏がいなくなった不幸さと、こんな私でも慰めてくれる大好きな親友に囲まれている幸せを噛み締めて生き抜こう。