願いが1つ叶うならば
もし、願いが1つ叶うならば、私は何を願うだろう。そう考えた時にふと彼女のことが頭に浮かんだ。たまたま同じアイドルオーディションで出会った私達。年齢と性別ぐらいしか共通項が無いし、学生時代に同じクラスだったとしても全く話さなかったようなタイプ。こんな出会い方じゃないときっとこんなに会話を交わさなかっただろうし、家族よりも生活を共にすることも無かっただろう。
そんな彼女に好きな人ができたと知らされたのは3ヶ月ほど前のこと。私はアイドルという職業上、その感情は褒められたものではないと彼女に言葉をかけた。そんなの彼女自身分かりきっていることなのに、彼女がどんな言葉が欲しかったのか、どんな言葉を期待していたのかも考えずにただ一方的に否定した。彼女がいつかアイドルとしてマイクを置いても、幸せそうに白いドレスに包まれた日が来ても、きっとずっと一緒にいられると思っていた。ひどい仕事の愚痴がいつしか旦那や子どもの話に変わっても、SNSや美容の話題がいつしか健康の話題に変わってもずっと。いることが当たり前で、いない未来なんて想像できないぐらいに生活に溶け込んでいた彼女が、グループを脱退すると発表されてから2ヶ月が経った。毎日していた会話が減って、LINEの一番上に固定された彼女とのトーク画面も最後の会話は2ヶ月前の日付が表示されていた。
卒業公演、綺麗なメンバーカラーのドレスを身に纏ってティアラなんてつけた彼女を見て、こんなやつなんかに泣いてたまるかと堪えていた涙が一気に溢れ出してしまった。どれだけ拭いても止まらなくて嗚咽するほど泣いてしまった。そんな私に彼女は優しく笑って抱きしめた。
「…結婚式じゃないんだから。」
「…じゃ、あ…ほんと、の…結婚式、にも…呼びなさいよ…?」
嗚咽で聞こえづらい私の声に彼女は当たり前じゃんと言いながら私を抱きしめた。もしも願いが1つ叶うならば、彼女が幸せになっていく姿を一番の友達として見られますようにと願おう。
嗚呼
先人が歩いて固めた茶色の土を踏みしめる。大通りを抜けて竹藪ばかり並ぶ山道をずっと歩いた先には特に建物は無い。そんなことはとうに分かりきっているが、雪がしとしとと頬を撫でる中でもこうやって歩いている。桜の木の下、小さな君の待つ場所へと。桜なら村にも普通に咲いていのに、君はなぜか山の上の小さな桜が好きだったから待ち合わせは大体この場所だった。幼い頃の自分にとっては中々に険しい山道なのに、君が待っていると思うとそれだけで足の痛みも吹き飛んでしまうのだから、恋とは本当にすごいものだ。この場所には本当に思い出が詰まっている。習っている剣道で村で一番強い相手に勝てたと自慢したのも、初めて手を繋いだのも、近くに咲いていた花の話を君が嬉しそうに話していたのも、二人して夕日が落ちるのをぼうっと眺めていたのも、この場所。
そして、花を愛でる君を思って、家の二つ隣に住む剣道を教えてもらっている三郎おじさんのとこの花畑のとこから白い花を三本摘んで持っていったあの日。いつもは温厚な君が花を盗んだことをきつく責め立てたので驚いた。ただ自分は君の喜ぶ顔が見たかっただけなのに。そりゃあ、勝手に花を摘んだのは悪かったと思ってるけど、自分と三郎おじさんの関係性ではそこまで怒られないと分かっていたから行動に移したのに。それに君があの花が綺麗と言ったのをずっと覚えていたからわざわざとってきたのに。そんな自分勝手な思いが心を蝕んで怒りが湧き、もう帰る、さよならと雑に別れを告げて山を降りていた時のこと。遠くの方で君の叫び声が聞こえた気がして振り返った。戻ろうと山を登るうちに嫌な汗がじわじわと出てきて足が震えた。父から聞いていた隣の村の山賊の噂。女子供関係なく斬り、自分の強さを誇示する野蛮な輩。見つけたら必ず走って逃げろと聞いていたが、自分は何せ村一番の剣の使い手、そんな奴なんて一発だと思っていた。それなのに、怖くなって、怖くなって、終いには足が動かなくなった。桜の木の下で君が倒れているのを想像して、息をするのが辛くなってその場にへたり込んだ。その後どうなったかはあまり記憶に無くて、次の日、三郎おじさんが、君に供えるために花を摘んだと勘違いして偉いなと頭を撫でられたことだけ覚えている。
久しぶりにこの場所に着いた。君はいない。きっといるんだろうけど、いない。三郎爺さんに分けてもらった種を植えて育てたこの白い花の花束をそっと木の下に置く。君の年齢が止まった後も自分は歳を重ねた。もう自分は結婚できる年齢になって、一人前だと認められたのに、君が年を重ねないせいで結婚できないじゃないか。嗚呼、君。愛しい君。眉が八の字に下がる優しい笑顔をする君。もうその笑顔を瞳に映すことはできなくとも、目を閉じればずっと君はその笑顔をしているよ。最後の日に笑顔にしてやれなくてごめんな。自分が悪かった。嗚呼、君が花をずっと愛していたように、自分も君をずっと愛しているよ。
秘密の場所
ベッドの下、鍵のかかった勉強机の引き出し、本棚の奥のもう一列、押し入れの奥の箱の中、写真アプリの非表示フォルダ、適当な名前をつけたパソコンのファイルの中、非公開アカウントのフォローリスト、TikTokのいいね欄。君がうまく隠せていると思っているもの、人に知られたくない君の趣味嗜好がつまった秘密の場所、私は全部知ってるよ……
「なんて言われたら怖くない?」
「うん、怖い。」
「…ふーん、じゃあ今言った中にやましいことがあるんだ。」
「えっ、ずるくない?そりゃ今の流れは言うでしょ。」
「ずるくない。じゃあ、まず写真アプリから見せて。」
ラララ
「え、つまり…教師はカラオケに行くな…ってことですか。」
「いや、そういう訳じゃなくて…佐藤先生がカラオケ行ったの見たって騒いでた児童がいたから、ほら、もし親御さんにまで話が行ったら面倒じゃない。だから次からは気をつけてねってことで…」
彩りの綺麗な給食を食べながら、さっき教頭に言われた言葉を思い返す。次からは気をつけてって言われても…芸能人みたく変装して行けってこと?いやいや、教職として不適切であろう夜の施設に入ることならその注意も理解できるが、カラオケでさえそんなことをしなければならないのか。高校から仲の良い五人でごはんを食べた後にカラオケ。いや行くだろ、普通だろ、何がダメなんだよ。悶々としながらスプーンで白ごはんを掬う。
はぁ、教師ってこんなに制限の多い職業だったっけ。学校にいる間は教師という生徒から見て隙のない完璧な人間を演じるのは当たり前だが、外に出たら好きにさせてくれ。前奏も後奏もカットして、歌詞の最後に続くラララを歌うのをやめてしまう今の子どもたちにカラオケの良さなんてわかるのか?ふぅと息を吐いて食事を終える合図として手を合わせた。
窓の外から優雅に鳴く鳥の声がうっすらと聞こえる。生まれ変わったら鳥になりたい。どこまでも高く飛んで、宇宙まで行きたい。しーんとした宇宙で、どこまでもらららと終わらない歌を歌って、声を枯らして浮いていたい。
風が運ぶもの
強風に煽られて運ばれてきたそれは一瞬で視界を真っ白に埋め尽くした。突然の出来事に声を上げることもできずにウールの柔らかい感触に揉まれる。
「ごめんなさい!大丈夫ですか…え、あ…原田さん?わ、ごめん、本当にごめん!」
「へ、あ、牧野くん…」
私の視界を覆っていたのは彼がいつも首に巻いていた白の大判のマフラー。ゆるく一巻きするその結び方が彼のスタイルの良さを助長させていて素敵だなと度々目で追いかけていたが、実際に彼と話すのは今日がほぼ初めてだ。いつも何かと騒いでふざけてしまう私と、物静かでいつもみんなの話をニコニコと聞く彼とは少しだけ住む世界が違ったから。
高校一年生も終わりを告げ、クラスが変わってしまう前に打ち上げでもしようと仲の良い子たちと企画を立てて、駅から歩いて少しのところにある焼肉屋さんを予約していた。集合時間の三十分も前に着いてしまったから適当に時間を潰そうと近くの海沿いの散歩コースを歩いていたら同じく早くに着いていた彼のマフラーが海風で私の元に飛ばされてきたのだ。なんという偶然。
「私は大丈……え、あ!ごめん、これ、ごめんなさい…」
白のマフラーに唇の輪郭を残すくらいべったりと自分のグロスがついていた。やってしまった。今日の打ち上げに浮かれて新しい真っ赤なグロスをつけてきたせいだ。母にも姉にも、なんなら買い物に付き合ってくれた中学の友達にも「ちょっと色濃すぎじゃない?」なんて馬鹿にされていたが自分では気に入っていたそのグロス。この色がかわいいからとろくにティッシュオフもせずに来たことを悔やんだ。どうしようと顔が青ざめた自分に対してマフラーを見た彼は優しく笑った。
「あぁ…!こんなの洗濯すれば取れるでしょー。それよりごめんね。綺麗なお化粧崩しちゃって。」
「あの時さー、本当に焦ったわ。マフラー飛ばしちゃったと思ったら相手があの原田樹里でさー!絶対怒られるって思ったから。」
「はぁ?私のことどんなイメージだったの!ひどーい。」
「だって樹里ちゃん派手だったし、クラスでも目立ってたもん。自分とは住む世界違うなーって。でもさ、あの時、マフラーにリップついちゃって顔真っ青にして謝ってきたのがなんかイメージと違ってかわいくってさ。そこで好きになっちゃったんだよね。」
もう風に飛ばさないようにと、前にプレゼントした黒のマフラーをきつく結びながら楽しそうに話す彼を見て思わず口角が上がった。