嗚呼
先人が歩いて固めた茶色の土を踏みしめる。大通りを抜けて竹藪ばかり並ぶ山道をずっと歩いた先には特に建物は無い。そんなことはとうに分かりきっているが、雪がしとしとと頬を撫でる中でもこうやって歩いている。桜の木の下、小さな君の待つ場所へと。桜なら村にも普通に咲いていのに、君はなぜか山の上の小さな桜が好きだったから待ち合わせは大体この場所だった。幼い頃の自分にとっては中々に険しい山道なのに、君が待っていると思うとそれだけで足の痛みも吹き飛んでしまうのだから、恋とは本当にすごいものだ。この場所には本当に思い出が詰まっている。習っている剣道で村で一番強い相手に勝てたと自慢したのも、初めて手を繋いだのも、近くに咲いていた花の話を君が嬉しそうに話していたのも、二人して夕日が落ちるのをぼうっと眺めていたのも、この場所。
そして、花を愛でる君を思って、家の二つ隣に住む剣道を教えてもらっている三郎おじさんのとこの花畑のとこから白い花を三本摘んで持っていったあの日。いつもは温厚な君が花を盗んだことをきつく責め立てたので驚いた。ただ自分は君の喜ぶ顔が見たかっただけなのに。そりゃあ、勝手に花を摘んだのは悪かったと思ってるけど、自分と三郎おじさんの関係性ではそこまで怒られないと分かっていたから行動に移したのに。それに君があの花が綺麗と言ったのをずっと覚えていたからわざわざとってきたのに。そんな自分勝手な思いが心を蝕んで怒りが湧き、もう帰る、さよならと雑に別れを告げて山を降りていた時のこと。遠くの方で君の叫び声が聞こえた気がして振り返った。戻ろうと山を登るうちに嫌な汗がじわじわと出てきて足が震えた。父から聞いていた隣の村の山賊の噂。女子供関係なく斬り、自分の強さを誇示する野蛮な輩。見つけたら必ず走って逃げろと聞いていたが、自分は何せ村一番の剣の使い手、そんな奴なんて一発だと思っていた。それなのに、怖くなって、怖くなって、終いには足が動かなくなった。桜の木の下で君が倒れているのを想像して、息をするのが辛くなってその場にへたり込んだ。その後どうなったかはあまり記憶に無くて、次の日、三郎おじさんが、君に供えるために花を摘んだと勘違いして偉いなと頭を撫でられたことだけ覚えている。
久しぶりにこの場所に着いた。君はいない。きっといるんだろうけど、いない。三郎爺さんに分けてもらった種を植えて育てたこの白い花の花束をそっと木の下に置く。君の年齢が止まった後も自分は歳を重ねた。もう自分は結婚できる年齢になって、一人前だと認められたのに、君が年を重ねないせいで結婚できないじゃないか。嗚呼、君。愛しい君。眉が八の字に下がる優しい笑顔をする君。もうその笑顔を瞳に映すことはできなくとも、目を閉じればずっと君はその笑顔をしているよ。最後の日に笑顔にしてやれなくてごめんな。自分が悪かった。嗚呼、君が花をずっと愛していたように、自分も君をずっと愛しているよ。
3/9/2025, 1:30:09 PM