question
「もし私に何してもいいって言ったら何がしたい?」
二人きりの喫煙室、電子タバコを離したあこさんの口から想像もつかなかった質問が出てきて驚いた。その魅力的すぎるもしも話に静かに鼓動が高鳴るが、変に動揺を見せるのも気持ちが悪いと思うので首を傾げてかわいく笑ってみせた。こういう時だけは年下の特権を使わせてもらう。
「なにそれ、急にどうしたの?」
「別に?なんて答えるかなーって。」
自分が聞いてきたくせに興味がないという風に前を向いてタバコを咥える彼女。キラキラしたネイルのパーツがついた細い指であまりにも無機質な電子タバコを持っているのがどこか可笑しく思えた。うーん、なんて答えよう。真面目に答えるべきか、いや、反応を見て面白がっているだけなら真面目に答えたら答えた分だけ恥ずかしい。話のうまい彼女のことだからみんなの前で面白おかしく話されてしまうだろう。あれ、楽しそうな話に見えて割と何を答えても自分にとって損しかないな。自分は吸わないのに少しでも一緒にいたいからと喫煙室についてくるけなげな後輩にこんな仕打ちなんてひどい。というか、自分があこさんに好意を持っているのが分かっててこんな質問をしてくるなんて本当にこの人はタチが悪い。まぁそんな小悪魔的な側面も含めて好きになってしまったから仕方ないけど。ただ、いつも振り回されてばかりでは格好がつかないから、せめて綺麗な彼女の顔を少しでも赤く染めれたらいいな、なんて思いながら口を開いた。
「うーん、そうだなー。じゃあ、あこさんが想像した答えの、もう2段階、踏み込んだとこまでしたい。」
彼女は想定外というように少し驚きを見せたが少し考えた後に笑って言った。
「んー?じゃあ、私が考えてたのは付き合ってほしいだから…結婚して離婚ってこと?えー、嫌なんだけど?」
「え、ねぇ、違う!待って!!」
やっぱり彼女には敵わない。かっこつけるのには失敗したが、笑いながら喫煙室を出ていく彼女の後を追いながらやっぱりこの関係性も好きだなと思った。
約束
「はぁ、受験も卒業も考えたくないなー。あ、でもさ、卒業式の日、一緒に写真撮ろうね。」
美化委員会終わり、下駄箱に着くまでの他愛もない会話の最後に松田さんが呟いた言葉。それに答える前に彼女が友達を見つけて別れを告げて行ってしまったから確固たる約束とはならなかったものの、カレンダーアプリの来年の三月一日の欄に「写真」という2文字だけの予定を打ち込むほどには楽しみにしていた。人当たりの良い彼女とクラスの隅にいる自分では、委員会が同じという奇跡的な繋がりが無い限り、そんな会話を交わす関係性になれなかったと思う。実際、クラスも委員会も離れてしまった最後の年は会話も一切無かった。それでも、自分たちにはあの日の約束がある。そう信じて三月一日を待っていた。
待ちに待ったその日、そわそわとしながら松田さんのいるクラスに足を運んだ。みんなの輪の中心で涙を流す彼女は大きな花束を大事そうに抱えていた。ソフトテニス部で部長を務めていた彼女のことだから、その旅立ちを盛大に祝われたのだろう。さて、声をかけようにもこのクラスには松田さん以外の知り合いもいないし、大勢に囲まれているから近づくことさえままならない。場が収まるまで待とうと思っていたその時、輪の中心にいた一人の男が泣いている松田さんを抱きしめた。何が起こったのか理解するより前に、みんなが「ふぅー!」とか「きゃー!」とか茶化すように歓声を送った。
家へと帰る電車の中で、実現することのなかった「写真」という予定の通知が携帯に送られてきた。彼女が大事そうに両手で抱えていたあの花束は彼から貰ったものだった。自分がまた一緒にならないかという淡い期待を持って選んだ美化委員会。それとは違った委員会を選んだ彼女のこの一年間はきっと濃い記憶ばかりで、自分との約束よりも大事なものがたくさんあったんだろう。悲しい、恥ずかしい、辛い、惨め。そんな嫌な感情ばかりで埋め尽くされて消えてしまいたくなったが、受験や学校というこの辛い一年間を乗り切れたのは、朝起きて一日が始まるのが憂鬱だという気持ちを薄れさせたのは、紛れもなくこの約束のおかげだから。彼女のLINEもSNSも何も知らないし、この気持ちが彼女に直接届くはずもないから意味はないが、「ありがとう、お幸せに。」と強めに念じておいた。
ひらり
自分がまだ三歳の時、ピアノの発表会の衣装を探しに母と大きいショッピングモールに訪れた。母に好きなのを選びなさいと言われたから、自分は真っ先に淡いピンクのチュールがひらりと揺れるドレスを指差した。
「ねぇ、あれがいい!」
すると、母は困ったように眉を顰めて言った。
「だいくん、あれは女の子用だよ。」
当時の自分はその意味はあんまりわからなかったけど、母が困っているならダメかと素直に諦めた。
自分が男だと理解したのはいつだろう。四歳の時に母と近所のおばあさんに挨拶したら「だいきくん、将来男前になりそうね。」と頭を撫でられた時だろうか、幼稚園でお姫様ごっこに混ぜてもらえた時に自分だけ与えられた配役が王子様だった時だろうか、小学生一年生の時に仲良しだと思っていた香奈ちゃんに「かなのおむこさんになってくれない?」とほっぺにちゅーされた時だろうか。
自分が女になりたいと理解したのはいつだろう。三歳の時にピンクのドレスを着たいと思った時だろうか、五歳の時に「だいくん」や「だいきくん」ではなく「だいちゃん」と呼ばれたいと親友にだけ打ち明けた時だろうか。それとも…
高校二年生の時、桜がひらりひらりと舞う帰り道で、
「…だいちゃんにだけ言うわ。俺、三組の香奈ちゃんが好きなんだよね。」と好きな人に告げられた時だろうか。
芽吹きのとき
芽吹と書いてそのままめぶきと読む名を持つ友人。三月に生まれたその子は他の同級生よりも少し背が低く、体育館での集会ではいつも一番前で腕をくの字に曲げていた。その子の性格を一言で表すとするならば「おっとり」。小学校低学年の頃なんて、みんな給食を食べ切れば我先にと校庭に駆けていくのが定石だが、その子が休み時間にボールを持っている姿なんて一度も見たことが無かった。だから小学校を卒業するまでに休み時間に一緒に遊んだことは一度も無かったが、家が近かったから下校の時はその子とあと三人くらいで一緒に歩いていた。クラブ活動が始まる四年生まで毎日下校を共にしていたのにも関わらず、その子に関する思い出は少ない。
色濃く残っている記憶といえば、掃除の時間が始まるからと急いで教室に帰ってきた時に、その子の机にはまだ食器が広げられていたこと。やたらと化粧の匂いがきつい先生に「最後まで食べ切りなさい」と言われ、半分以上残っているコッペパンに泣きながらかじりつくその子の姿と、みんながその子の机の周りを避けながら箒を掃いて集めた埃の汚さはすごく覚えている。
それと、学校でベルマークを集めた時、その子が袋いっぱいのベルマークを先生に出してその日だけクラスの人気者になったこと。別に競っていたわけではないが、絶対に自分の家が一番集めていたと思っていたから負けたのが悔しくて、その子が褒められているのを素直に喜べなかったのを覚えている。
あとは、一緒に下校した時に芽吹という名前が嫌だと話していたこと。あまり自分を語らずにみんなの話をニコニコと聞いていることが多い子だったから驚いたことを覚えている。なんで嫌なのかを聞くと芽吹の芽には牙(きば)があって、めぶきという名前に武器(ぶき)が入ってて物騒だから嫌だと言っていた。今考えると平和主義なその子らしいなと納得できるが、それを聞いてもピンとこなかった当時の自分はどんな名前なら良いのかと聞いたら、少し考えた後にのぞみと答えた。隣のクラスに希という背が高くて足が速い活発な子がいたからきっとその子を思っての言葉だったんだろうが、当時の自分は「でも希の漢字にはバツついてるけどいいの?」みたいなトンチンカンなことを言った覚えがある。その後、その子はなんで言ったっけ。二十年前くらいの記憶だからあやふやだ。この前実家に帰った時に母親が芽吹ちゃんのとこ女の子生まれたらしいよと教えてくれてふとその子の存在を思い出した。懐かしい。今はその子のペースでごはんが食べられてたらいいな、自分はもう集めてないけどまだベルマーク集めてるのかな、いらないこと言っちゃったけど希だって素敵な名前だよな、自分の一言で希っていう名前嫌になってなかったらいいな、むしろ希って子どもにつけててほしいな、幸せでいてほしいな、とぼんやり考えながら芽吹いた植物に水をやった。