ラララ
「え、つまり…教師はカラオケに行くな…ってことですか。」
「いや、そういう訳じゃなくて…佐藤先生がカラオケ行ったの見たって騒いでた児童がいたから、ほら、もし親御さんにまで話が行ったら面倒じゃない。だから次からは気をつけてねってことで…」
彩りの綺麗な給食を食べながら、さっき教頭に言われた言葉を思い返す。次からは気をつけてって言われても…芸能人みたく変装して行けってこと?いやいや、教職として不適切であろう夜の施設に入ることならその注意も理解できるが、カラオケでさえそんなことをしなければならないのか。高校から仲の良い五人でごはんを食べた後にカラオケ。いや行くだろ、普通だろ、何がダメなんだよ。悶々としながらスプーンで白ごはんを掬う。
はぁ、教師ってこんなに制限の多い職業だったっけ。学校にいる間は教師という生徒から見て隙のない完璧な人間を演じるのは当たり前だが、外に出たら好きにさせてくれ。前奏も後奏もカットして、歌詞の最後に続くラララを歌うのをやめてしまう今の子どもたちにカラオケの良さなんてわかるのか?ふぅと息を吐いて食事を終える合図として手を合わせた。
窓の外から優雅に鳴く鳥の声がうっすらと聞こえる。生まれ変わったら鳥になりたい。どこまでも高く飛んで、宇宙まで行きたい。しーんとした宇宙で、どこまでもらららと終わらない歌を歌って、声を枯らして浮いていたい。
風が運ぶもの
強風に煽られて運ばれてきたそれは一瞬で視界を真っ白に埋め尽くした。突然の出来事に声を上げることもできずにウールの柔らかい感触に揉まれる。
「ごめんなさい!大丈夫ですか…え、あ…原田さん?わ、ごめん、本当にごめん!」
「へ、あ、牧野くん…」
私の視界を覆っていたのは彼がいつも首に巻いていた白の大判のマフラー。ゆるく一巻きするその結び方が彼のスタイルの良さを助長させていて素敵だなと度々目で追いかけていたが、実際に彼と話すのは今日がほぼ初めてだ。いつも何かと騒いでふざけてしまう私と、物静かでいつもみんなの話をニコニコと聞く彼とは少しだけ住む世界が違ったから。
高校一年生も終わりを告げ、クラスが変わってしまう前に打ち上げでもしようと仲の良い子たちと企画を立てて、駅から歩いて少しのところにある焼肉屋さんを予約していた。集合時間の三十分も前に着いてしまったから適当に時間を潰そうと近くの海沿いの散歩コースを歩いていたら同じく早くに着いていた彼のマフラーが海風で私の元に飛ばされてきたのだ。なんという偶然。
「私は大丈……え、あ!ごめん、これ、ごめんなさい…」
白のマフラーに唇の輪郭を残すくらいべったりと自分のグロスがついていた。やってしまった。今日の打ち上げに浮かれて新しい真っ赤なグロスをつけてきたせいだ。母にも姉にも、なんなら買い物に付き合ってくれた中学の友達にも「ちょっと色濃すぎじゃない?」なんて馬鹿にされていたが自分では気に入っていたそのグロス。この色がかわいいからとろくにティッシュオフもせずに来たことを悔やんだ。どうしようと顔が青ざめた自分に対してマフラーを見た彼は優しく笑った。
「あぁ…!こんなの洗濯すれば取れるでしょー。それよりごめんね。綺麗なお化粧崩しちゃって。」
「あの時さー、本当に焦ったわ。マフラー飛ばしちゃったと思ったら相手があの原田樹里でさー!絶対怒られるって思ったから。」
「はぁ?私のことどんなイメージだったの!ひどーい。」
「だって樹里ちゃん派手だったし、クラスでも目立ってたもん。自分とは住む世界違うなーって。でもさ、あの時、マフラーにリップついちゃって顔真っ青にして謝ってきたのがなんかイメージと違ってかわいくってさ。そこで好きになっちゃったんだよね。」
もう風に飛ばさないようにと、前にプレゼントした黒のマフラーをきつく結びながら楽しそうに話す彼を見て思わず口角が上がった。
question
「もし私に何してもいいって言ったら何がしたい?」
二人きりの喫煙室、電子タバコを離したあこさんの口から想像もつかなかった質問が出てきて驚いた。その魅力的すぎるもしも話に静かに鼓動が高鳴るが、変に動揺を見せるのも気持ちが悪いと思うので首を傾げてかわいく笑ってみせた。こういう時だけは年下の特権を使わせてもらう。
「なにそれ、急にどうしたの?」
「別に?なんて答えるかなーって。」
自分が聞いてきたくせに興味がないという風に前を向いてタバコを咥える彼女。キラキラしたネイルのパーツがついた細い指であまりにも無機質な電子タバコを持っているのがどこか可笑しく思えた。うーん、なんて答えよう。真面目に答えるべきか、いや、反応を見て面白がっているだけなら真面目に答えたら答えた分だけ恥ずかしい。話のうまい彼女のことだからみんなの前で面白おかしく話されてしまうだろう。あれ、楽しそうな話に見えて割と何を答えても自分にとって損しかないな。自分は吸わないのに少しでも一緒にいたいからと喫煙室についてくるけなげな後輩にこんな仕打ちなんてひどい。というか、自分があこさんに好意を持っているのが分かっててこんな質問をしてくるなんて本当にこの人はタチが悪い。まぁそんな小悪魔的な側面も含めて好きになってしまったから仕方ないけど。ただ、いつも振り回されてばかりでは格好がつかないから、せめて綺麗な彼女の顔を少しでも赤く染めれたらいいな、なんて思いながら口を開いた。
「うーん、そうだなー。じゃあ、あこさんが想像した答えの、もう2段階、踏み込んだとこまでしたい。」
彼女は想定外というように少し驚きを見せたが少し考えた後に笑って言った。
「んー?じゃあ、私が考えてたのは付き合ってほしいだから…結婚して離婚ってこと?えー、嫌なんだけど?」
「え、ねぇ、違う!待って!!」
やっぱり彼女には敵わない。かっこつけるのには失敗したが、笑いながら喫煙室を出ていく彼女の後を追いながらやっぱりこの関係性も好きだなと思った。
約束
「はぁ、受験も卒業も考えたくないなー。あ、でもさ、卒業式の日、一緒に写真撮ろうね。」
美化委員会終わり、下駄箱に着くまでの他愛もない会話の最後に松田さんが呟いた言葉。それに答える前に彼女が友達を見つけて別れを告げて行ってしまったから確固たる約束とはならなかったものの、カレンダーアプリの来年の三月一日の欄に「写真」という2文字だけの予定を打ち込むほどには楽しみにしていた。人当たりの良い彼女とクラスの隅にいる自分では、委員会が同じという奇跡的な繋がりが無い限り、そんな会話を交わす関係性になれなかったと思う。実際、クラスも委員会も離れてしまった最後の年は会話も一切無かった。それでも、自分たちにはあの日の約束がある。そう信じて三月一日を待っていた。
待ちに待ったその日、そわそわとしながら松田さんのいるクラスに足を運んだ。みんなの輪の中心で涙を流す彼女は大きな花束を大事そうに抱えていた。ソフトテニス部で部長を務めていた彼女のことだから、その旅立ちを盛大に祝われたのだろう。さて、声をかけようにもこのクラスには松田さん以外の知り合いもいないし、大勢に囲まれているから近づくことさえままならない。場が収まるまで待とうと思っていたその時、輪の中心にいた一人の男が泣いている松田さんを抱きしめた。何が起こったのか理解するより前に、みんなが「ふぅー!」とか「きゃー!」とか茶化すように歓声を送った。
家へと帰る電車の中で、実現することのなかった「写真」という予定の通知が携帯に送られてきた。彼女が大事そうに両手で抱えていたあの花束は彼から貰ったものだった。自分がまた一緒にならないかという淡い期待を持って選んだ美化委員会。それとは違った委員会を選んだ彼女のこの一年間はきっと濃い記憶ばかりで、自分との約束よりも大事なものがたくさんあったんだろう。悲しい、恥ずかしい、辛い、惨め。そんな嫌な感情ばかりで埋め尽くされて消えてしまいたくなったが、受験や学校というこの辛い一年間を乗り切れたのは、朝起きて一日が始まるのが憂鬱だという気持ちを薄れさせたのは、紛れもなくこの約束のおかげだから。彼女のLINEもSNSも何も知らないし、この気持ちが彼女に直接届くはずもないから意味はないが、「ありがとう、お幸せに。」と強めに念じておいた。
ひらり
自分がまだ三歳の時、ピアノの発表会の衣装を探しに母と大きいショッピングモールに訪れた。母に好きなのを選びなさいと言われたから、自分は真っ先に淡いピンクのチュールがひらりと揺れるドレスを指差した。
「ねぇ、あれがいい!」
すると、母は困ったように眉を顰めて言った。
「だいくん、あれは女の子用だよ。」
当時の自分はその意味はあんまりわからなかったけど、母が困っているならダメかと素直に諦めた。
自分が男だと理解したのはいつだろう。四歳の時に母と近所のおばあさんに挨拶したら「だいきくん、将来男前になりそうね。」と頭を撫でられた時だろうか、幼稚園でお姫様ごっこに混ぜてもらえた時に自分だけ与えられた配役が王子様だった時だろうか、小学生一年生の時に仲良しだと思っていた香奈ちゃんに「かなのおむこさんになってくれない?」とほっぺにちゅーされた時だろうか。
自分が女になりたいと理解したのはいつだろう。三歳の時にピンクのドレスを着たいと思った時だろうか、五歳の時に「だいくん」や「だいきくん」ではなく「だいちゃん」と呼ばれたいと親友にだけ打ち明けた時だろうか。それとも…
高校二年生の時、桜がひらりひらりと舞う帰り道で、
「…だいちゃんにだけ言うわ。俺、三組の香奈ちゃんが好きなんだよね。」と好きな人に告げられた時だろうか。