【幸せに】
「おはよう、アルベルト!」
頬にキス。ぱちと目が覚めて、アルベルトはキョロキョロと周りを見回した。
「オリビエ、こ、ここは?」
「あら、どうしたの? 新居じゃない!」
そんな、と口にしかける。アルベルトはそもそもオリビエとは旅の仲間であって、またその道の途上だったはずなのだ。だが確かに、昨日の夜、疲れ果ててこの家に倒れるように入った覚えがある。
「貴方ったら余程疲れてたのね、帰ってくるなりお夕飯も食べずに寝てしまって」
折角作ったのに、と拗ねて見せる顔は可愛い。アルベルトの故郷では珍しい、青みがかった黒い髪と、抜けるような白い肌。青い瞳が懐っこい色を浮かべている。
これはオリビエだ、と直感する。違和感が拭えない。何か、何か違っているような気がする。
「でも、夜中に何度かうなされてたわ。安静の魔法を使ったけど、少しは眠れたのかしら」
「うなされてた?」
少し考える。確か、魔王城に向かう途中、山間の魔物の砦を突っ切っている最中だった。見立てでは砦の出口になるであろうあたりで、奇妙な部屋に出たのだ。そこにはたくさんの白い何かがぶら下がっていた。そして奥に、イモムシに瞼のたれた目と歪んだ口をつけたような魔物が座っていた。その悍ましさは他に類を見ず、パーティはみんな顔を顰めたのだ。
「……そうだ、ラルフとユズリハは?」
旅の途中で出会った力自慢の男と、極東の地から魔王討伐に加わったクノイチという当属の一種である女。
「もう、どうしたの? 昨日から彼女達はハネムーンでしょ!」
オリビエがクスクスと笑う。
「私達も一月前に式を上げて、ハネムーン旅行に出かけたじゃない。なぁに、もしかしてまた魔王討伐の旅の夢を見ていたの?」
「……また?」
そういえば、そんな思いをしているのも何度目なんだろうか、とふいに思い浮かべる。間違いなく魔王は討伐した。天空に浮かぶ空の島の奥に入り、日の光が一つも入らない真っ暗な部屋で、闇の中から不可視のように攻撃してきた魔王に対抗した。
「……そう、か」
最後には魔王の首を落として、それを掲げて空に鬨の声を上げた。それで、オリビエの魔法で国王に会いに戻ったのだ。戦利品として持ち帰った魔王の遺骸はバラバラにして復活がないように海や川や火山といった場所に撒かれた。思えば長い旅路だった。
「ごめん、夢見が悪かったせいかも」
「いいのよ、頑張り屋の旦那様。よく眠れていないみたいだし、もう少し眠っててもいいのよ?」
アルベルトはこくりと頷く。どうも疲れが取り切れていないようだ。もう少し眠ろう。二度寝の幸せなど、早々楽しめないのだから。
─────────
紫色の松明が掲げられた部屋の中で、イモムシ状の体を震わせながら、その魔物はニチャニチャと粘つく口を笑みの形にした。
「誰でも幸せに抗えやしない……矛盾があっても、己の快楽から逃れられない。おやすみ、十二人目の勇者」
ズルズルと引きずるような足音。途中で白い繭をいくつか引っ掛けると、ごろん、と干乾びた人間や痩せ細った魔物が恍惚の笑みを浮かべて転がり出た。
【何気ないふり】
「おっと、ごめんね」
そう言って彼女は小さな男の子の進路を塞いだ。男の子はぽかんとして彼女を見上げるが、彼女の方は急ぎ足にその場を去る。すると、「まーくん、そっちダメよ!」と母親らしき声に、まーくんと呼ばれた子供は振り向いた。
(あーあー、ダメよじゃダメなんだよな、ポジティブワードで呼びかけたほうがいい、こっちにおいでとか、ママのところに来てとか)
彼女はそんなことを考えながら早足に歩いている。次の交差点で、すみません、と言いながら一番信号機に近い場所に立つ。信号待ちの人は横一列に並んでいるが、彼女の隣の一人、高校生らしい制服の少女だけはスマートフォンをいじっていた。信号が青に変わる。彼女は爪先で一回だけトン、とリズムを取ってから歩き出した。すると、スマートフォンをいじっていた少女はハッとしたように顔を上げて、慌てて横断歩道を渡る。
(左右見なよって)
もしも彼女を見ている人がいるならば、彼女がいつも誰かの進行を阻害したり、変更させたりしていることに気付くだろう。
高校三年生の春に車に撥ねられてからこちら、彼女には、事故の導線が見えていた。それが死に直結するかどうかは別として、その導線は誰かの足元から伸びており、そのまま導線の上を歩いていくと、大なり小なり事故に遭う。そんなことを誰かに相談してみようものなら、それこそ精神科か心療内科を勧められてしまうだろう。大学受験のストレスが、入学後に爆発したとか、そんなことを言われて。
なので、彼女は誰にも言わず、ただ何気ないふりをして導線を消すことにしている。正義感なんてものではなく、目の前で事故られて、その目撃者になるのが面倒なだけだ。とはいえ、シンプルな導線のときに限られる。ぐちゃぐちゃに絡まっている場合は、何をどうしたって事故は起こる。
だから、今日も可能な限りで、さり気なく事故を防止する。少なくとも大学に着くまでは、平穏無事な時間を過ごすために。
【ハッピーエンド】
度重なる様々な社会的要因によって、国民の生活水準が下落した少し未来のこと。自殺率は最大を叩き出し、離職率や無職の人間の数も毎年更新され、中小どころか大企業ですら倒産してしまったような頃のこと。
追い詰められた時の政治家が提案したある“保護プログラム”が物議を醸したが、国民に根付いてしまった。
「検査完了です、七十パーセント進行。記録の上、ご自身の部屋へどうぞ」
「……ども」
多千花菜白は検査用のガウンを着込み直した。指の動きは短くなってきた分覚束ない。ガウンが必要ないほど、全身はもう獣毛に覆われていた。胸にあった乳首が腹に動き、いくつにも増えていたのに気付いたのはいつ頃だったろうか。短い尻尾も生えて座りにくいことこの上ない。耳も随分上の方に動いてしまった。
“低適性者保護プログラム”の仕組みは、十歳から二十歳までの間に何度もある適性検査で、現在想定される産業への適性、及び社会の構成員としての適性を試される。より平易に言うなら、何かの職業に適正があるのか、過剰な悲観性や他者への加害性が一定値より低くないかを確認するものだ。値が低ければ低いほど「適性がない」という判定になる。
多千花は、職業の適正は程々にあった。しかし就職して二年もしないうちに、元々あった口が上手く回らないところや、表情の暗さをあげつらい、クビにすると恫喝され続けて心身を持ち崩した。改めて構成員適性を検査されたところ、社会性に著しい低適性を記録してしまった。更生プログラムへの参加か、保護プログラム適用か。選ぶことができたが、多千花にはもう、社会に人間として生きる気力はなかった。
“低適性者保護プログラム”は、人間を一定の哺乳類に変えることで、愛玩動物や家畜としての利用価値を見出し、社会参加させるものだ。四回の講座受講と、二親等までの家族の同意を必要とするが、多千花には音信不通行方不明の母親しかいなかったので、自身の同意だけで済んだ。プログラムに参加すると、変異が完了するまでは最後の監獄と呼ばれる保護プログラム実行施設で生活することになる。
職能に関する資格を取ることや、政治家としての活動など、社会参加のためと思われる活動はできないが、読書やオンライン動画の閲覧、ゲームなどの各種娯楽は許され、また変化の度合いが七十五パーセントを越えるまでは、談話室の利用も可能と、最後の人生を謳歌することが出来る。勿論そこで満たされない者もいるが、最終的に行き着く先は同じだ。
多千花も読書に勤しんでいた。変異後も飼い主となる人間が許可すれば、こうした娯楽に触れることは可能だが、それでも能動的にできるのは今のうちだと、長いこと積んでいた本を読破している。時折耐え難い空腹に襲われ、食堂で配給食を貪っているが、それは変化の度合いが深まれば深まるほど起こってくることだった。好きなだけ読み、好きなだけ食べ、眠る。毎日投与される薬を受け入れることで苦しみは薄れた。一度だけ、多千花を職場で恫喝した上司が警察官に付き添われて面会に来たが、どうやら多千花にしたことが社会的に罪に問われることになったらしい。それでも、動悸が止まらず、自分の方に付き添ってくれた保護師が手を繋いでくれていた。
「検査完了です。九十パーセントを越えました。これから居住を観察檻へ移します」
はい、と答えようとした声は、うぉう、という獣の声だった。多千花は鏡に映る自分を見る。少し前からまっすぐに立てなくなり、がに股でのろのろと歩くしかできなくなった。もうすぐすべてが終わると思うと、そんなのろのろ歩きでも不満はない。太くなった首に電極付きの首輪が取り付けられて、いよいよ獣になるのだと思うと、安心があった。
「シロ、シロ起きて」
優しい声に起こされる。薄くまぶたを持ち上げると、時乃が「おはよ」と声を掛けてきた。
「学校行くよ」
シロの主人となったのは、ある一家だった。不登校になった小学生の娘の時乃のお守りとして選ばれ、寄り添って生きることになった。時乃はシロを可愛がり、ある日散歩に連れ出したときに、いじめをしてきた面々と鉢合わせて、彼らが脱兎の如く逃げたのを見て、シロを学校に連れていくと言い出した。
“保護プログラム”によって変異した半獣は、その知能が人並であることから、盲導犬などの役割につくことも多く、また主人となった人間と、対象施設等の同意があれば、同行することもできた。
何もできなかった自分が、一人の女の子を救えてるかもしれない。それだけで、シロは己が人間の生を終えたことに、悔いなど一つもなくなってしまったのだった。
【見つめられると】BL
「何?」
「な……なんでもないです」
同じ会社、同じ部署、お互い内勤職。十歳下の中途採用の樫野貴元。彼の視線は鋭い。三白眼、険しい眉、聞けば大学時代までアマチュアプロレスでそれなりに活躍していたらしい。あまり口数の多くない彼が飲み会で喋らされていたのはそのくらいの内容だった。
(それと、同性愛者、なんだっけか)
結婚や彼女の話をあまりに持ちかけられたせいか、彼は、とても気が重そうに、女性に感じるところはない、男の方が好きです、と、静かに答えた。昭和体質の自社だが、それが藪蛇だったことは分かったらしい。その場にいた誰もが、ただ、申し訳ないと謝罪した。そして以降は誰もその話題には触れない。巻き込みで若い女性社員に対してもやらなくなったので、ある意味良かったのかもしれなかった。
(でも、こう熱心に見つめられると、多少イタズラしてみたくなるような……)
それが、いわゆるセクハラに当たるとわかっていてやりたがってしまう自分を馬鹿だなぁ、ガキだなぁと思っている。
(惚れてるのか、と聞いたら、なんと答えるんだろうな……)
考えるに留める。こういうところが妻だった人との離婚を招いた気もする。いつまでも子供っぽい自分は、きりりとした真面目な彼女と合わなかったのだろう。娘はそろそろ高校生、円満に後腐れなく離婚したので、養育費も支払っているし、娘は彼女の家に住んでいるが、ちょくちょく顔を出す。三人で食事に行くこともある。お互い、一つ屋根の下にいなければ、それで穏やかに過ごせている仲だ。
彼とならどうだろうか、と対面の席に座って、忙しなくマウスを動かす樫野を見る。生真面目で、納期も守る。何故彼がデザイン事務所などで働こうと思ったのかは知らないし、それが合ってないわけでもない。見やすい文字の配置、目立たせるものを目立たせ、細かい情報はまとめる力。引き締まったデザインを作らせると上手い。ポロシャツとジーパンで、足元は大抵スニーカー。酒は少し飲むが、煙草はやらない。スポーツ刈りで、投げられて少し潰れの癖でもついたような耳が特徴的だ。
「長家さん」
声を掛けられて、長家は眼鏡の向こうから少し眠たい目を持ち上げる。
「……なんですか?」
「君の真似」
うぐ、と向こうで息を詰めた。
事務所の中の、ポスターやビラなど広告をメインとする部署は、長家と樫野の二人だけだ。営業は朝夕にしか訪れず、事務アシスタント達もおやつ時や郵便、宅配でもない限り寄ってこない。ずっと二人きりだ。
「樫野くんさ」
そう思ったら、留めていたものが口に出ていた。
「そんなに見つめられると、僕、何かなって思っちゃうよ」
【My Heart】
この国の王位継承には三つのクエストがある。
一つ、国を出て全体が己の三倍以上大きな魔物を狩ること。
一つ、三つ以上の国から土産を持ち帰ること。
一つ、立会人となる人間から、とある言葉を引き出すこと。
十二人の王子はそれぞれに旅立ち、引き連れた騎士の一団と共に期限内にクエストを終えてくる必要があった。それを、王子遠征という。
「……というのに、スーリ坊っちゃんは何をなさってるんです?」
乳母が浮かない顔で肩を落とす。齢十五のスーリ王子は第七王子として生を受けた。第四王妃の子、ちびのスーリとあだ名される彼は、他の王子に比べて背が低く、赤毛でそばかすがあった。いつでも朗らかに笑い、民草に優しく人気はあるが、騎士団からは信用がない。何しろ彼の戦いの術はすばしこく走り回り、後ろから相手を突くものだ。騎士団は正々堂々を掲げている。スーリの戦い方に文句こそ言わないが、それなら力でぶつかり合ってくる第一王子ディオネや、第五王子レポレスを立てる。
「ああ、アザリア、悪いんだけどこの書簡を下で待たせてる御者に持って行って」
スーリは机から顔をあげると、畳んだ便箋を封筒に収め、封蝋を押した。そして心配そうに眉を寄せる乳母を他所に、再びデスクに向かう。
「坊っちゃん、いいんですか、王位継承に遅れを取ってらっしゃるんですよ」
「あー、うん、分かってる。でも今やるべきことだからさ」
いつも通りの柔らかな笑顔。仕方ないわねぇと乳母は階下に降りて御者に手紙を渡す。すると、御者は恭しく頷いて、飛び出すように馬車を駆っていった。
既に他の王子達は国を出ている。末弟の第十二王子でさえ、お付きの小隊を引き連れて、隣国には差し掛かっている頃だろう。
「スーリ様、御機嫌よう」
乳母が部屋に戻った頃、宰相がドアをノックした。乳母が恐る恐る扉を開くと、厳しい顔の宰相は眉をギュッと顰めながら、手にしていた紙を机に広げる。スーリもそれを覗き込んだ。そして、うん、と一つ頷く。
「こちらで少し修正いたしました。……ご慧眼です、すぐに用意を」
「いや、出来れば配備は三日待ってほしい。さっき手紙を出したばかりなんだ。準備だけしてもらえるかい、僕だとあんまり言うことを聞いてもらえないからさ」
左様で、と呟く宰相の顔が青褪めていた。乳母は対象的にニコニコと笑っているスーリと見比べて、首を傾げるしかない。宰相は再び紙を手にして懐に押し込むと、一言挨拶をして出て言ってしまった。
「スーリ様、あれは……」
「アザリア」
不可解な行動に目を瞬かせる乳母に、スーリは慈しむような柔らかで優しい表情を向ける。
「君の子供達を皆、僕の別室に招待するよ。どうか聞いておくれ、お菓子もたくさん用意するから」
三日後、城はざわめきに満ちていた。御者に扮した斥候が山一つ向こうの国へ向かったところ、その国の軍が山間を行軍している姿を見たのだという。また行き先の街でもこの行軍が国へ攻め込むものであるとすぐに話題を聞くことができてしまった。
「静かに、準備は整っております」
と、宰相は騎士団の集まる訓練所で厳かに告げた。宰相付の使用人達が、騎士団の団長達に書簡を配る。
「兵の配置はこのように。装備品は全て確認済みです、各団長に従い、すぐに対応に向かってください」
しかし騎士団の最高位である騎士団長が声を上げた。
「了承しかねる! 宰相殿にその権限はないはずだ!」
そうだそうだとあちこちで声が上がるが、そこに国王が現れた。途端に、場は静まり返る。
「この件はスーリが調べた。その書簡にもスーリのサインがある。宰相殿はその手伝いをしたに過ぎない」
ぐるり、と王は睥睨する。その目に多少の怒りがあるのを見て取れた団員達は、びくりと身を竦ませた。
「スーリには権限がある。そうだな?」
「……すぐ、支度いたします」
騎士団長の震えた声とともに、再び訓練所はざわめき出した。装備を取り、騎士達が出ていく。それを見送りながら、スーリは物陰からちらりと顔を覗かせた。王の背後、馬小屋の影から、静かに立ち去ろうとする。
「スーリ」
と、王は静かに話しかける。
「私とて予見していなかったわけではない。国の伝統の行事である以上、警備は手薄になる」
しかしな、と背を向けたまま、言葉を続けた。
「お前の方が早くに気付いてくれた。だがあとは私に任せて、お前は遠征に出なさい」
スーリは小隊を連れて、小山程のドラゴンの頭と、三つの国から金の羽根を持つ鶏と、非常に芳しいぶどう酒と、不思議な音のする笛を持ち帰った。それらは他の王子達に比べると見劣りのするものだったが、最後のクエストをクリアしたのは、スーリだけだった。
立会人になったのは、騎士団長だった。
「我が国が守られ、他の十一王子が帰る場所があるのも、全てスーリ王子の準備あってこそ。私は我が心より、スーリ王子の王位継承を推薦いたします」
王子達は顔を見合わせる。一体何が起きているのか、分からなかったのだ。何故だと疑問に首を傾げ、スーリを問い質す。しかしスーリだけは、ニコニコといつものように朗らかに笑っているのだった。