【何気ないふり】
「おっと、ごめんね」
そう言って彼女は小さな男の子の進路を塞いだ。男の子はぽかんとして彼女を見上げるが、彼女の方は急ぎ足にその場を去る。すると、「まーくん、そっちダメよ!」と母親らしき声に、まーくんと呼ばれた子供は振り向いた。
(あーあー、ダメよじゃダメなんだよな、ポジティブワードで呼びかけたほうがいい、こっちにおいでとか、ママのところに来てとか)
彼女はそんなことを考えながら早足に歩いている。次の交差点で、すみません、と言いながら一番信号機に近い場所に立つ。信号待ちの人は横一列に並んでいるが、彼女の隣の一人、高校生らしい制服の少女だけはスマートフォンをいじっていた。信号が青に変わる。彼女は爪先で一回だけトン、とリズムを取ってから歩き出した。すると、スマートフォンをいじっていた少女はハッとしたように顔を上げて、慌てて横断歩道を渡る。
(左右見なよって)
もしも彼女を見ている人がいるならば、彼女がいつも誰かの進行を阻害したり、変更させたりしていることに気付くだろう。
高校三年生の春に車に撥ねられてからこちら、彼女には、事故の導線が見えていた。それが死に直結するかどうかは別として、その導線は誰かの足元から伸びており、そのまま導線の上を歩いていくと、大なり小なり事故に遭う。そんなことを誰かに相談してみようものなら、それこそ精神科か心療内科を勧められてしまうだろう。大学受験のストレスが、入学後に爆発したとか、そんなことを言われて。
なので、彼女は誰にも言わず、ただ何気ないふりをして導線を消すことにしている。正義感なんてものではなく、目の前で事故られて、その目撃者になるのが面倒なだけだ。とはいえ、シンプルな導線のときに限られる。ぐちゃぐちゃに絡まっている場合は、何をどうしたって事故は起こる。
だから、今日も可能な限りで、さり気なく事故を防止する。少なくとも大学に着くまでは、平穏無事な時間を過ごすために。
3/30/2023, 3:35:18 PM