【やりたいこと】
「よし、今日こそ執筆に励むか」
万年アマチュア作家の大学生である僕は、意気揚々としながら土曜日の朝を過ごしていた。
普段は何かと忙しい大学生活の中で、夜の時間を活用しながら地道に執筆。
投稿サイトに投稿するも、期待虚しく撃沈。誰にも読まれず。
とはいえ三十話近くまで書き上げた小説を今更やめるわけにもいかないし、完結するにも話がまだまだ足りない。
もしかしたら、完結させたらバズるかもしれない。
そんな淡い期待を、ゼロに等しい可能性を求めて己の欲求に従い、執筆を続けるのはもはや才能だろう。
そう信じたい。
土日で一気に書き上げる。
これはいつも僕が思うことだ。
休みの日ならたくさん書ける。たくさん書いて場数を踏んで、ヒット作を生み出してみせる。
「全然筆が進まん」
だが、平日よりも休みの日方が筆は進まず、書いた文字数が圧倒的に少ないのはもはやテロであろう。
僕はやはり追い詰められていないと、書けない。
時間があればあるほど怠けるし、結局その時間を有効に使うことができない。
今回も土日をだらけて過ごした。
気がつけば月曜日。
時間がない。
土日に書き溜めておけばよかったな。
その繰り返しだ。
【君は今】
君は今、何をしているだろうか。
そう思う時がある。
風呂に入っているとか本を読んでいるとかテレビを見ているとか、そういうのじゃなくて、君は今、僕の知らないところでどういう人生を歩んでいるのか。
それが気になる時があるのだ。
高校一年生の時だ。
僕は別に最初は君のことが好きだとか気になっているとか、そういう気持ちはなかった。
ただ、一人のクラスメイトとして、顔の整ったというより、僕好みの容姿をしていて、「可愛いな」と思うくらいだった。
三年に上がると別のクラスになって、ただ選択授業は同じで、週に二、三度顔を合わせた。
君はやはり、べらぼうに可愛かった。
可愛いから思わずチラ見してしまい、その度に無性に恥ずかしくなって首を振ることが何度もあった。
そんなことを繰り返していると、だんだん好きとでもいうのだろうか、そんな感じになってしまった。
結局、僕は告白をしなかった。
しようと思ったが、今はそうじゃない。
それが幾度となく繰り返されて、もしかしたら向こうから? なんて妄想を続けて、気づけば卒業してしまっていたのだ。
臆病なのか、はたまた、人任せなのか。
全く今頃になって後悔するなら、あの時呼び出してでもなんとでもして、告白しとくべきだった。
しかしまあ、何度戻ったって、同じことを繰り返してしまいそうだ。
そんな気がする。
僕はそんな回想というか後悔の念というか、そういうのを時々、風呂に入りながらじっくり考える。
どうしているだろうか。
知ったって、どうということにもならんさ。
そうに違いない。
◇◆◇
君は今、どうしているだろうか。
私は時々、昔懐かしいクラスメイトのことを回想する。
大学一年になって高校生の時のクラスメイトのことを回想するくらいだから、さぞかしクラスの中心人物だったに違いない、などと騙されてはいけない。
彼は間違いなく普通のクラスメイトだった。
多分、彼の友達以外は、「あー、あの子いたね!」などと、言われて初めて思い出すくらいの人物だ。
私の方はといえば、はっきり覚えている。
高校二年生の時に同じクラスになったというだけ。選択授業も同じだったっけ。
それだけだ。
別に仲良しの友達というわけでも、ましてや元カレというわけでもない。
ただ、気になっていた。
背が高くて頭が良い。
無駄口を叩かず黙々とやるべきことをこなしている彼が最初は少し、近寄りがたかった。
でもだんだんと、例えば廊下ですれ違った時とか、高いところにあるものをさりげなくとってれた時とか、そういう優しいところに、どうやら私は心奪われてしまったようだ。
結局告白とかそういうのはしなかったけれど、今になってしとけばよかったなぁと、思う。
何してるかな。
彼女とか出来たんだろうか。
それだったら少し、モヤっとする。
まあ、今頃そんなこと考えたってどうしようもないのだけれど。
私は時々「また会えたら良いな」と、彼のことを想う。
【小さな命】
たんぽぽの綿毛が空中を浮遊していた。
最も、それ自体に浮遊能力はもちろんなく、風に乗ってただ流されていた。
綿毛一つ一つに種があり、ある一つの綿毛が地面に落ちた。
「ここは、良いところだ」
綿毛は思った。
最低限生育可能な土の上に落下できた幸運に感謝だ。
他の仲間がどこに落下したのかはわからない。
共に育とうと数秒前に約束した友人は、川の上に落ち、そのまま流されていってしまった。
しばらくして、芽が出始めた。
綺麗な緑色に自分でも惚れ惚れしてしまう。
このまま無事生育できることを祈るしかない。
そう、祈るばかりだ。
なにせ、足がないからな。全ては運なのだ。
またしばらく月日が経ち、子葉ができ、葉は大きくなった。
ある日、踏まれた。
まあ、仕方ない。踏まれても大丈夫なように彼の体は設計されている。
少々葉っぱに傷がついたが、やはり問題はなかった。
隣人がやってきた。
どうやら同じタイミングでこちらへやってきたらしい。
気が付かなかった。
彼は葉を踏まれずに済んで安堵していたようだ。
全く彼は嫌味なやつで、毎日のように嫌味を言ってきたのでいい加減腹が立っていたのだが、程なくして彼はこの地を去った。
斜向かいの雑草に除草剤が撒かれ、その飛沫がちょうど、隣人の彼に飛んだのだ。
それからあっという間だった。
隣人の彼はことごとく茶色く変色していき、人間のおっさんに引っこ抜かれた。
また運が良かった。
彼は隣人の彼とは違い、再び生き残ることに成功したのだ。
さらに月日が経った。
立派な花だ。
清々しいくらいの青空を真っ向から受けて、彼は黄色の花を輝かせている。
これぞたんぽぽのあるべき姿だ。
雨風にもろともせず、除草剤の飛沫を華麗に躱し、見事、ここまで生きてきたのだ。
やがて白くなり始めた。
綿毛が生えてきて、ふわふわし始めた。
凄まじい量の綿毛の一つ一つに、やはり種がくっついている。
彼は昔を思い出していた。
自身の武勇伝を誰かに聞かせたくて仕方がなかった。
この無数の種子の中から、誰が自分のように成長できるだろうか。
やがて、綿毛が全て飛んだ。
大風の日だった。
遠くまで飛ぶだろう。
程なくして、綿毛が彼の近くに落ちた。
その綿毛はやはり成長し、黄色い花を咲かせた。
彼はほとんど死にそうだった。
いや、すでに肥料と化していた。
彼は完全に微生物に分解され、何かしらの栄養源となり、巡り巡って、お隣のたんぽぽの成長の糧となっていた。
お隣のたんぽぽもやはり、綿毛を飛ばした。
【Love you】
前を歩くたかしの背中を見つめながら、咲は柔らかくため息をついた。
毎日見ている背中だ。
部活をやっていないとはいえ、高校二年にもなると背中は大きい。
たかしの少し丸まった背中さえ、咲にはとても愛おしく思えてならなかった。
「何、後ろから。隣、歩かないの?」
「いや、友達に見られたら、恥ずかしい」
学校からの下校中。
本当は隣に立ち、話しながら帰りたいと思っていた咲だが、それはどうにも出来ない理由があった。
咲とたかしは異母兄弟である。
つまり、帰る家が同じなのだ。
こんなところを友達、もしくは自分のことを知っている人に見られたら、余計な詮索をされかねない。
友達ならまだこう、配慮とかしてくれるかもしれないけれど、知り合いとか同級生は噂におびれをつけて流す可能性がある。
おかしな噂を流されかねない。
それだけは勘弁してほしかった。
「なんか、後ろついてこられるのもなぁ。変な感じなんだよな」
たかしは頭を掻き、面倒くさそうな顔をして、再び前を向いた。
たかしの歩幅は広い。
油断すると彼はいつも遠くに行ってしまう。
駆け寄っては近づき、止まる。
また駆け寄っては近づき、止まる。
頭をよぎるたくさんのことを打ち消して、咲は苦笑いを浮かべた。
そもそも、高校一年生までまったく会った事がなかったのに、二年になって突然、「彼は異母兄弟です。仲良くしてください」なんて。
そんなの出来るはずもないのだ。
どうしても、たかしを兄弟としての目線で見る事ができない。
例えば手を繋ぎながら帰ってみたい。
彼が兄弟じゃなかったらいいのにと思ったことは何度もある。
これは抱くべき感情ではないと、今日もまた、咲は首を振る。
走ればこんなに近い。なんなら同じ屋根の下にいる。
しかし、求めれば求めるほど、遠くなっていく。おかしな話だ。
咲は今日もまた、感情を押し込んだ。
まだたかしに恋人ができないうちは安心だ。
彼に恋人ができる前に、この感情がどうにかならないものか。
まあ、そうなった時に考えれば良いことよ。
そんなことを考えながら、二人は今日も帰路に着く。
【太陽のような】
花園霞は彼氏の誘いを断って、好きな人をデートに誘った。
霞はそのことについて何の罪悪感もなかったし、むしろそういう思考にすらならなかった。
昼下がりの学生実験中、白衣の下でメールの受信音が鳴る。
もしかして、直樹くんから?
初めての学生実験で困惑している学部生にテキパキと指示を出すと、霞は軽い足取りで実験室を後にした。
実験室ではスマホの使用が禁止されている。
学部生ですらルールを守っているのだから、大学院生の霞が破るわけにはいかない。
「なーんだ」
スマホの画面を見て、霞はげんなりとする。
そこには「了解」の二文字。
端的に言えば、「あなたとのデイトはお断りさせていただきます」という霞の返事に対する、彼氏の受理メールだった。
すっかり直樹からの返事だとばかり思っていた霞は、ぐったりと肩を落とす。
まったく酷いやつだと自分でも思う。
こんなやつによく彼氏は愛想を尽かさないものだと、霞は思った。
「今日の実験、大変だったねぇ」
「そうだね。私たちも、三年前はあんな感じだったなぁ」
実験が終わり、霞はカフェに来ていた。
隣で友達のさやかがコーヒーを啜っている。彼女の頬は、少しばかり赤い。
大変だったねぇ、と言う割に、さやかはそれほど疲労感を見せていなかった。
さやかの心の矛先が目の前の男に向いていることを霞は知っている。
さやかはコーヒーを飲むという大義名分を掲げて、実のところ目の前の男が目的なのだ。
男はここのカフェでアルバイトをしている、一つ上の先輩だ。
男は大変イケメンで、今日もさやかの熱い視線を軽やかに回避している。
これは多分、フラれるなと霞は思ったが、あえてさやかにその旨を告げるのはやめた。
霞も霞で、友達とのカフェなんぞどうでも良かった。
さやかと共にカフェインを摂取する必要性などどこにもないし、目の前の男に別に興味もない。
霞がさやかと一緒にここへやってきた理由は、また別のところにある。
じゃないとこんな薄っぺらい会話は成り立たないし、互いに気まずいだろう。
「いらっしゃいませ」
男が笑顔を浮かべる。
来た! と霞は思った。
なるべく相手に悟られないよう首を回し、視線を向ける。
直樹だった。
霞は爆発しそうになる心を押し込み、控えめに手を振る。
「おお。霞」
直樹は心底驚いた様子で、霞に手を振り返す。
彼は彼女の横に座り、紅茶を一杯注文。
霞は自分の直感と偶然に感激した。
今日はついてる。そう思った。
「そう言えば、誘いの件なんだけど」
「ええ」
「あの日はバイトあるから、別日ならいいよ」
「ほんと!? 直樹くんに合わせるわ」
本当に、自分はどうしようもない野郎だと思う。
全く彼氏持ちとは思えない言動だ。
霞はそれを自分で自覚していたし、分かっていてやっているのだ。
「次の日曜なら空いてる」
「私も行ける」
「じゃあ決まり。時間は連絡するよ」
霞の心臓はかつてないほどのスピードで、全身に血液を送り出している。
罪悪感なんて微塵もない。
心は晴れ晴れとしている。
そっと直樹の顔を見ると、彼は純粋な笑顔を浮かべていた。
まるで、例えるなら……そう。太陽のような笑顔だ。
まさか目の前の女が浮気者だと、直樹は微塵も思っていないだろう。
じゃなきゃ、そんな晴れ晴れとした笑顔を浮かべることなんて出来ない。
「すごく楽しみ」
霞もあえて彼と同じ笑顔を浮かべて、そう言った。