木にもたれる。
弱々しい風がこもれびを揺らした。
青い空を背景に雲がゆっくりと泳いでいる。もくもくとしたその雲の隣には暑苦しく主張が激しい太陽。その景色が改めて夏だと私を実感させた。
「あの雲いいね」
「入道雲だね」
ふと呟いた私に君が答える。彼女は本をパタンと閉じ言葉を続けた。
「私が一番好きな雲なんだ。」
そう言う君は嬉しそうに見えてどこか悲しそうだった。私は首を傾げる。
“好きなことを話をしているのに何故悲しそうなの?”
そう聞こうとしたが、すぐに言葉を飲み込んだ。
君の弱音を受け止められる自信がなかったから。私は弱い人間なんだなと自覚する。
「そうなんだ」
ぎこちない返事がより私の気持ちを汚した。君は青空を見ながら頷く。
夏が始まった。
僕は叫んだ。また君が来るんじゃないかと信じていたから。
「僕はここにいるよっ!ここだよ!!」
何度も吐いた言葉。そんな必死な叫びも街の話し声によってすぐにかき消された。夏になると騒がしくなる。周りも。僕も。それでも僕は何度も何度も繰り返す。
「君はどこにいるの?僕はここにいる!」
君と会った日を鮮明に思い出す。今日と同じような日差しが強い日、君が僕を見つけた。
表情を変えずに見つめていた君の姿は、とても綺麗で美しかったのをよく覚えている。
さらさらとした灰色の毛も見下すような橙色の瞳も全て僕の心をつかんだのだ。
声を交わしたのはたったの1回だった。たった一言だけでも聴けた君の声。君は僕を覚えていないかもしれないが僕は君を覚えてる。
せめて君の声だけでも聴けないかと僕は呼び続けた。
鳴き叫んで鳴きじゃくって鳴き続ける。
すると視界は傾き真っ逆さまに僕は落ちた。
「あ…」
情けない声と共に地面にぶつかる。片方の翅がちぎれる。空が見えた時、君の声が聴こえた。
「んぐる、にゃあ」
僕は嬉しくて君を目で探す。でも君はどこにもいなくて、視界を占領したのは青い瞳の猫だった。
僕は食べられてしまった。
「正直さぁ」
彼がいつもの言葉から話し始める。その言葉を口にする時は大体漫画や本の感想。
「っていう展開マジおもろかったわ!」
元気に話す彼の目はいつも嬉しそうだった。後その感想聞くの二回目。
僕は頷きながら最後のサンドイッチを口に放り込む。まぁほとんど話なんて聞いてないんだけどね。
すると彼もジュースを一口飲む。
「あーっ!やっぱ正直このジュースがいっちゃん好きだわ!」
そう笑って言う彼に僕は黙った。そんな僕を見て彼は顔にハテナを浮かべている。
これ、言っていいのかな。まぁいっか。
少し考え込んだが、すぐに決意した僕は口を開いた。
「正直っての嘘でしょ」
その言葉に彼は固まる。静まった空間は気まずくて、言ったことをすぐに後悔した。やっぱ言っちゃまずかったか。傷ついたかも。
彼は驚いた表情をしていたが、すぐに明るい笑顔を作っていた。
「あはは、何言ってんの!」
その笑顔は引きつっていて今にも崩れそうだ。あ、これやばいか。これどっちだろう。
まぁいっかと開き直った僕は気にせず言葉を続ける。
「加藤先輩が好きって言ってた本の展開もジュースも真似してるの、見て分かるよ。そもそもお前本苦手だったし。後そのアクセサリーも……」
淡々と喋り続ける僕の口は、彼の手で遮られた。彼が動いた衝撃でベンチからペットボトルが落ちる。見ると彼の顔は熱く帯びていた。
ちょっと喋りすぎたかもな。そう思っていてもすぐにまぁいっかと自分で許しを得る。
沈黙が続き、やっと口から手を退けられる。すると彼はゆっくりと口を開いた。
「べ、別にいいだろ。
正直…加藤先輩ってかわ、かわいいし…」
手で顔を覆いながら話す彼に僕は笑う。
「その“正直”は本当だね。」
「うるせぇ!!」
失恋した。
告白しようとようやく勇気を出した日、目の前には女と腕を組んでる先輩。
「ぇっ」
思わず声が漏れ、咄嗟にその場を去った。早歩きでどこに向かっているかもわからないまま思考がぐるぐる回る。
(あの人は誰?楽しそうだった…)
足を早めると共に涙が溢れ出してくる。最悪だ。
通りすがりの人全員に顔を見られている。
手のひらで次々と出てくる涙を拭っても拭いきれなかった。
先輩に姉妹はいない。
先輩は一人っ子だ。それはとっくに調査済みだった。幼馴染が“協力する”と言って調べてくれたのだ。
ならば答えはただ一つ。
いや、しかし先輩には恋人もいなかったはず…
頭も気持ちもぐちゃぐちゃの中、手にスマホの振動が伝わる。誰からかも分からないほど視界はぼやけていて、とりあえず緑色のマークを押した。
「…もしもし、なに」
少し八つ当たり気味に強く言う。そんなことしたって事実は変わるはずないのに。
「大丈夫?声震えてるよ」
相手は幼馴染の優しい声だった。いつもの心配な時に出す声だ。私の異変にすぐ気付くなんて流石だなと思いながら、心の中は少し落ち着きを取り戻していた。
「今どこ?迎えに行く」
その声の後ろでは、カザゴソと行く気満々の音が聞こえる。私は言われるがままに場所を伝え、電話を切った。
先程までぼやけていた視界も少しは文字が見えるぐらいに晴れている。
「ごめん遅れた。で、どうしたの。」
人影が少ない橋の下でしゃがみこむ私に、彼は声をかけた。その声はとても暖かくて落ち着く声だった。
私はその言葉に流され、思うままに気持ちを吐き出す。乾いていた目尻もまた温かくなって視界がぼやけはじめる。
本当に先輩が好きだったこと、泣いて去る自分が悔しかったこと、気持ちを全て話した。
幼馴染はずっと黙って聞いてくれていた。
「…ありがとう、スッキリした」
目はもうカラカラ。私はそう笑って言った。
やはり人間は辛いと吐き出した方がいいな。改めて気付く。
彼は私の手を握る。
「辛かったね。大丈夫だよ。あの女、ブランド物しか目なかったし。アイツらお似合いだよ。」
耳を疑った。
私は女の容姿については一切話していない。
確かに高級そうな服やバッグを持っていたが、何故幼馴染の彼が知っているのか。
「実はさ、あの人たち僕がくっつけたんだ。昨日告白させた。」
嬉しそうに話す彼に頭が真っ白になる。
彼は私の恋を応援していたんじゃなかったのか。協力しようと言ったのは嘘だったのか。
彼の言葉に理解出来なくて混乱する私。
この人は危険だ。それだけはすぐに分かった。
─逃げなきゃ
早くこの場を去ろうと足を動かした瞬間、彼に腕を掴まれる。
「ごめんね。全然僕に振り向いてくれなかったから。」
【ごめんね】
ぐしゃり
鈍い音が耳に入る。
「ぁ」
死んだ。分かっていてもやはり辛い。
もっと生きたかった。自分のために自分のしたいことをしたかった。
死に浸っている間も銃声や怒鳴り声が頭に響く。
『ぃだい!いだい゙よぉぉっ!!』
遠くで誰かが叫んでいる。
あぁ、泣き叫んでも無駄なのに。誰にも届くことはないのに。
罪もない人を殺し、友人といえるのかもわからない仲間が死んでいく。
泣いては母に慰めてもらった幼少期、友人と酒を交わした時間、妻に初めての贈物を渡した時、次々と映像が流れ込んでくる。
これが走馬灯ってやつなのか。
抱き締めたい。我妻を、ぎゅっと。
飯が食べたい。母が作った手料理を。
酒を飲みたい。友人とバカな話をしながら。
来世は愛する人の腕の中で死にたい。
【忘れられない】