彼は今あいつが憎くて憎くて仕方ないだろう。殺したいぐらいだろう。
思い出が詰まった大切なものを壊されたのだ。そりゃそうだ。憎んで当然だ。
「大丈夫?」
帰り道、僕は彼に声をかけた。少しでも心が楽になるようにと背中をさする。
“泣いて大丈夫なんだよ” “よく耐えたね”
さすりながらそんなありきたりな言葉をかけた。
彼は笑って言う。
「うん、大丈夫だよ。」
いつも通りの笑顔に一瞬心が惑わされる。
そんなことをされても手を出さないなんて。怒鳴らないなんて。
「優しすぎるんじゃない?」
おもわず声に出してしまった。
焦った僕はすぐつぎはぎに言葉をつけたす。その間の彼は黙ったままでさらに僕を慌てさせた。
次の言葉を頭の中で巡らせていた時、やっと彼が口を開いた。
「優しいんじゃない。」
今にも泣き崩れそうな表情。小さく震えた声。
初めて見るその姿に僕は唖然とする。
「勇気がないだけだ、弱い人間なだけだ、優しくないんだよ、」
苦しそうに言葉を連ね続ける彼。
「そっ…」
“そうだよね” “辛かったよね”
僕はすぐに声を飲み込んだ。声を出せなかった。
今の彼に何を言っていいのか分からなかった。
何を言っても彼にとったら醜い毒なような気がした。
僕は理解した。
彼は今あいつを責めてるんじゃない。自分自身を責めてるんだ。自分が憎くて憎くて仕方ないんだ。
いや、違うかもしれない。
勝手にそう解釈してまた理解したふりをしているのかもしれない。
僕は結局何も言えなくて、小さく鼻のすする音だけが聞こえた。
「さよなら」
草木の音と共に冷たく放たれたその言葉。
二度と会えなくなる気がした。僕は咄嗟に君の腕を掴む。
目の前にいるのに。ぬくもりを感じているのに。
君が遠いように感じる。焦って君の腕を抱きしめる。
ぽつ、ぽつ、、
雨が降り始める。見上げると灰色の雲に埋まった淡い空。
「まじか」
息を吐く。リュックに手を突っ込むが当たり前のように傘は出てこない。
眩しい日差しが瞼をこじ開ける。
ムシムシとした空気に耐えられなかった私はリモコンに手を伸ばした。すると部屋のドアが開く。
「あら、起きてるわ」
声の先にいたのはエプロン姿の母親。
私が起きたことを確認すると黄ばんだ掃除機を持ち上げてずかずかと部屋に入ってくる。
ぼーっと眺めているといつのまにか部屋から追い出されていた。まだ重い瞼をこすりながらリビングに向かう。するとそこにはテレビのリモコンを取り合う父と弟。
「クイズ番組は賢くなれるんだぞ〜!だからその手を離せッ」
「俺もうそんな子供じゃねぇし、父さんが離せよ!」
いがみあってる二人を無視してキッチンへと足を運んだ。
冷蔵庫を開け、お茶が入ったポットを取り出す。
すると後ろから掃除機を抱えた母が戻ってきた。私を見て思いついたように声を出す。
「あ、そう牛乳!買ってきてくれない?」
私は父と弟に目を向けた。先ほどの喧嘩は嘘だったかのように父が弟に勉強を教えている。
母は二人は忙しそうねと私にバッグを渡した。買い物のメモも手に握らされる。どうやら私に拒否権はないみたいだ。
しぶしぶ軽い服装に着替え、靴を履く。無駄に結束力がある二人を横目に、私は家を出た。
スーパーは家からそう遠くない。歩いて数分ほどだ。さっさと買って帰ろう。
(アイスも買っちゃおうかな)
そんな呑気な事を考えながら横断歩道をわたる。
いや、わたろうとしたその瞬間、突然眩しい光が視界を覆う。それと同時に聞こえた激しい車のエンジン音。
遠くで飛び交う叫び声や怒号。痛みが強くなると共にたくさんの音が遠くなっていく──
「──はっ!?」
目の前には漫画やティッシュなどで散らかった部屋。そして不格好なペンギンが落書きされている見慣れた壁。私の部屋だ。
「夢…?」
荒い呼吸を整えてベッドから起き上がる。びっしょりと身体に張りつく汗。
夢のせいか暑さのせいか、どちらにしろ気持ち悪いのでエアコンをつけようとした。
「あら、起きてるわ。」
後ろから聞こえる馴染みある声。
振り向くと掃除機を持ったエプロン姿の母が立っていた。立ち尽くす私を無視して彼女は部屋に入り込んでくる。
「はいはい、掃除機かけるから」
そう言って私を部屋から追い出した。曖昧だった夢の映像が鮮明に蘇ってくる。同じセリフに同じ動き。
大きく鳴る心臓の音がより私を混乱に導く。
いや考えすぎだ。朝に母が起こしてくれるのはいつもの事だろう。首を横に振って自分に言い聞かせる。
だがそれを否定するようにすぐ夢と同じ光景が目に映った。
「だからその手を離せッ」
テレビのリモコンを取り合う父と弟。
二人の行動が夢と重なる。自分でも鼓動がはやくなるのが分かった。そんな私に二人が気が付く。
「どうした?具合でも悪いか?」
心配そうな表情で父は言う。そんな父とは裏腹に、弟はリモコンを奪ってすぐチャンネルを切り替えた。落ち着きたかった私はお茶でも飲もうと冷蔵庫を開ける。
「あ、そう牛乳!」
その時聞こえた二回目のセリフ。振り向くとそこには掃除機を持った母が戻ってきていた。そして同じようにおつかいを頼まれる。
間違いない。あれは夢ではなかったのだ。
私は今、時間をループしている。
(そしたら私はまた死ぬの?)
もしあれが夢でなければ私は車に跳ねられ死んだはず。あの時の光景が蘇り不安と恐怖が押し寄せる。
そうだ、断ればいいんだ。断れば…
買い物に行かなければ私は死なない。
そう思っていても中々声が出なく焦ってしまう。
「ぁ……あ…っ」
鼓動はだんだんはやくなっていく。
「俺が買いに行くよ」
手を挙げたのは先ほど心配そうにしていた父だった。
「そう、じゃあよろしくね」
母は不思議そうにしながらも父にバッグとメモをわたす。
未来が変わったのか?それともループしてるというのは気のせいだったのか?まだ理解が追いつかずその場で立ち尽くすことしか出来ない私。
すると父はそんな私の頭を撫でて言った。
「具合悪いならゆっくり休めよ」
その穏やかな声色が混乱していた私を安心させる。父のその言葉に母は私のおでこに手をあてた。「熱はないみたいね…」と心配そうに私を見る。親の温もりがこんなにも心地良いなんて。改めて気付く。
やはりあれはただの悪夢だったんじゃないか。
家族との会話で先ほどの恐怖は薄れていく。
ただの悪夢だと思いたい。
いつものようになんてことない話をしてなんとなく休みを堪能して今日という一日をなんとなくで終わりたい。
─ガチャ
「いってきまーす」
はっと玄関を見る。いつの間にかバッグを持った父が玄関に立っていた。そしてあくびをしながら家を出ていく。
まずい。このままでは父が車に轢かれてしまう。焦った私はすぐさま父のあとを追った。
「うわぁっ!」
腕を掴む私に父は驚く。
「あ、明日でいいんじゃない?ほらあ、雨降りそうだし」
何も考えずに飛び出てしまった為、咄嗟に言い訳を作った。
「快晴だけど…。今日は家で休んどき?」
「僕と君が赤い糸で繋がっていればいいのに。」
騒がしい教室の中、ぼそりと呟く。
そんな情けない独り言はすぐにかき消さてしまった。友達と楽しそうに話す彼女を見つめる。もちろん彼女が僕を見てくれることはない。
小さくため息を吐いて机に顔をうずめた。教室の騒音を子守唄に眠ろうとした瞬間、優しく肩を叩かれる。
「?」
顔を上げると目の前には同じクラスの加藤が立っていた。彼はにやにやと笑いながら僕を見る。僕は顔をしかめた。彼はイケメンで成績も優秀、運動神経もまぁまぁ悪くはない。ウワサでは1000人の女子に告白されたらしい。そんな彼が僕を見て笑っている。なにかやらかしたのかと焦り始めた時、彼がゆっくりと口を開いた。
「さっきの誰のこと?」
口角を上げたまま僕を見つめる。何のことか理解できなかったがすぐに絶望に変わった。その目は全て見透かしてるようで僕を焦らせる。
「落ち着いてよ、誰にも言わないよ?」
信じられなかった。彼はモテるが女遊びが酷い。教師や女子の前では猫を被って僕らの前ではクズ野郎だ。そんなチャラチャラしてるやつの口が堅いなんてわけがない。
僕は重い唇をあげて言った。
「い、言わないよ。口軽そうだし…」
はっとすぐさま口を抑える。つい本音まで口にしてしまった。おそるおそる彼を見るが彼は気にしていない様子だった。
「気になるじゃん。ねえ?」
すると彼は力強く僕の腕を掴んだ。だんだん痛みがまして抵抗する僕に彼は言葉を続ける。
「今日さ、放課後遊びに行こ。」
そういう彼の瞳はどこか独占欲のようなものがあった。