湿った手を取り合う。
ある限りの力で貴方を引っ張り続けた。
入学しました。
「生きたい。」
沈黙が続く。
そう言い放たれた言葉が、酷く耳にこびりついた。
掠れ、少しの風で消え失せそうなほどに弱々しい。
今の彼がどんな表情をしているのか。
想像が、出来なかった。したくなかった。
「ごめん」
私の声は彼よりも小さくて、弱かっただろう。
声も。心も。
世界が終わった。
遠い青空を見上げる。流れ星など一つもないが、一番輝きを放っている星に手を合わせた。
「明日の遊びは、充電持つよーに!」
人工物の光で消えかかっている小さな星に、手を合わせたままゆっくり目を閉じる。
が、再び目を開いた瞬間に世界は終わっていた。
「あれ」
見渡すと周りはグレーばかりの地面で、空は赤一色に染っている。邪魔なくらいにあった建物は綺麗さっぱり崩れていた。
建物がないせいか、おかげか、いつもよりもそんな空が広く感じてしまう。
日々騒がしかった人の声も鳥の声も今は一切聞こえない。人がいる気配はまったく感じないが、とりあえずコンビニへ向かうことにした。
コンビニならいつもの気だるげな店員がレジを打っているのが目に見える。こんな世界でもコンビニだけは動いているような、不確実な安心感があった。
「ない。」
なかった。コンビニがあった場所も全てボロボロ。灰と化していた。次に近かったコンビニも、その次の次に近かったコンビニも。その次の次の次に近かったコンビニも。
跡形もなかった。
ドッキリにしては手が込んでいる。手が込み過ぎている。夢かも疑った。が、はっきりと意識もあり思ったように動ける。手を握ったり、開いたりを繰り返して何度も僕は確認した。
「夢じゃないのかな」
急激に不安が押し寄せる。少しでも不安を和らげようとジャケットのポケットに手をつっこんだ。
その時、ポケットの中で手に硬いものがぶつかる。僕は瞬時にそれが何かを理解し、ガシッと掴んだ。
「そうだ。携帯。携帯があるじゃん。」
そういえばと、一番重要な携帯があったではないか。僕は急いで携帯を取り出した。遊ぶ予定を立てていた友人に電話をかけてみる。
今目に見えている事をまだ呑み込みたくない僕は、希望を抱いた。
瞬間、人の声が聞こえたと思ったが、それはYouTubeからでしか聞いたことがない女性の音声。
『おかけになった電話番号は現在使われておりません。』
目が揺らぐ。母にも兄弟にも先輩後輩にも。全てかけた先には繰り返される女性の言葉。
『おかけになった電話番号は──』
他に僕が持っているものはモバイルバッテリーと黒のコードレスイヤホン。あと北里柴三郎が3人ほど入った財布。深呼吸した後、僕は目を瞑った。そしてまた開いてみる。
当然視界は変わらず灰と赤で染まっている。
僕は完全に世界が終わったことを認識した。
なぜ僕だけが怪我ひとつもないのかは僕自身でも分からない。そんな分からないことだらけのまま、僕はとりあえず歩き出すしかなかった。
誰もいない静かな街。見慣れていた街の面影は少しばかり残っていた。90度程に曲がっているグレーの信号が。今は1部の壁しか残っていないショッピングモールが。通り過ぎる度に信じられなくなる。
だが僕は。
案外こっちの世界の方が好きかもしれない。
うるさかった街の足音も今ではありえないほど静かで、毎日漂っていたきつい香水も今ではどこに行っても存在しない。
好きな生き物がもう見れないのは辛いけど。それでも出来ることも楽しめることもたくさんある。
好きな音楽のプレイリストを開いて、耳が痛くなるぐらいにイヤホンの音量を上げた。そして空を見上げ、ぐるっと回ってから歩き続ける。
好きな場所を好きなように歩けるこの快感は、この世界でしか感じれないと思っている。
大好きな音楽に浸りながら、流れるようにステップを踏む。いつか充電がなくなる前にはこの世界を楽しんで浸って漫喫したい。
明日も明後日も今はいない作者の曲を聴き続けるだろうと、数え切れないほどたくさん光っている星に僕は手を合わせた。
「自分が死ぬまでは、充電持ちますよーに!」
「ぐるにゃあ〜」
そう威勢良く鳴く君の頭に僕の鼻を押し付けた。
どこの香水か伺いたいぐらいに優しい匂いが僕を落ち着かせてくれる。
「この匂いはお日様から買われたんです?」
ふわふわの頭にキスを落としたあと、縦に伸びた瞳へ問いかけた。君は返事をするようゆっくり目を瞑り、また開いて僕を見る。
僕も返すように目を瞑り、またゆっくりと目を開いた。
通じたのか否かは分からないが、彼はごろんと床に寝転がり、気持ち良さそうに体を伸ばしている。
僕はそんな真っ白な腹の毛に手を置いた。そして左から右に手を繰り返し動かす。
彼には誰しもがうっとりしてしまうだろう。
どんな行動でも、どんな表情でも。
どこを切り取っても必ず絵になっている。
「僕もそうならいいのに…」
「うにゃぁ?」
呟く僕に、君はいつもの可愛らしい声で返事をしてくれた。そんな彼に微笑みながら家の窓に手を掛ける。
窓の向こうには風が流れる度に音を奏でる緑色、そして青を背景に泳ぎ続ける入道雲が大きく広がっていた。
僕はゆっくりと夏の風を鼻で味わい、肺いっぱいになった空気を口から吐き出す。
すると、そんな自然の香りに浸っている僕の横を彼が気にせず通る。そして窓枠の上で悠々と毛繕いをしてから、軽々しく外に飛び出た。
「散歩の気分かな。」
僕は彼を見て、カメラを手に取りお気に入りの帽子を深くかぶる。そして僕も同じように窓枠を力いっぱい踏んで外に飛び出る。
君は気にせず、いつも通り尻尾をゆらゆらとご機嫌な様子で歩いていた。