行かないでと、願ったのに
普通に、当然のように行ってしまった
願ったっていうか、直接お願いしたんだけどね
なんだけど、僕の願いは聞き入れられなかった
ああ、僕も旅行行きたかったなぁ
家族は風邪を引いた僕を置いて、なんの迷いもなく行っちゃったよ
誰が看病するんだって話だよね
ちなみに、僕はもとから旅行に行ける予定じゃなかった
どちらにしろ置いてけぼりだったってこと
ひどいよね、僕だけ除け者なんてさ
ちょっと生活費を五万ほど拝借してパチスロにつぎ込んだだけじゃないか
それでこの扱いだなんて、薄情だなぁ
そうそう、生活費から五万なだけで、実際はもっとつぎ込んでるよ
総額は……まあいいじゃん
そんなこんなで、家族に見捨てられた僕はひとり風邪と戦うことになっちゃったわけ
こういう時、持つべきものは友
で、友人に連絡して助けてもらおうと思ったら、お前とはあんまり関わりたくないってさ
僕は友人にも見捨てられてしまった
緊急でお金がいるって言って、三万借りて競馬につぎ込んだだけじゃないか
一週間後に半額、一ヶ月後に残りを返したのに、何が不満なんだろう?
そして電話を切られる前に友人から、お前は身の振り方を考えないと誰からも信用されなくなる、とか言われた
言ってる意味がよくわからないけど、きっと風邪を引いて頭の働きがおかしくなって、変なふうに聞こえてるだけだ
変な夢を見るのと同じように
実際のところ友人はたぶん、風邪に負けずに頑張れ的なことを言ったんだろう
彼は友人思いだからね
さぁて、風邪で寝ていても暇だから、アプリで競艇に賭けよう
いまなら風邪引き補正で当たる気がする
風邪と共に幸運も引きそうだもん
親戚のおじさんが秘密の標本を見せてあげると言ってきた
言いたいことはわかる
面白いものっていう意味で、ワクワク感を出したいから秘密の、なんだろうけど……
その言い回しだと、犯罪の臭いしかしない!
なんだかワシントン条約だとかなんとか、詳しくは知らないけれど、その手のものに引っかかりそうなものを持ってきそうな語感!
まあそんなもの、あっても私に見せるわけがないので、安心しておじさんの家に行く
「来たね
じゃあ早速、例のブツを見ようか」
この人わざと言ってるのかな?
完全に違法なものを取り扱う人の発言だよ
本当に違法な標本じゃないよね?
だんだんと心配になってきた
「これはね、自信があるよ」
なんの自信なんだろう?
驚かせる自信かな?
そんなことを考えていると、おじさんがケースを取り出してきた
そこに入っていたのは、これ、どうやって飛ぶの?と思わずにはいられない、奇妙な形をした羽を持つ蝶の標本
おいおいおいおい、これは本当に違法な標本なのでは?
こんな蝶、絶対希少種か何かでしょ
私が混乱していると、おじさんは軽い調子で笑い始めた
「この標本、僕が作った偽物なんだよ
こんな蝶はいないの
僕が考えた架空の蝶を、標本風に作ってみたんだ」
なんだ、そういうことか
反社会的な方向へ進んだかと思った
というか、すごいなこれ
作りとか質感とか、ものすごくリアルだよ
こんなすごい趣味があったんだ
「まだいくつかあるんだ
ネットに載せようと思ったけど、ちょっと不安でね
君に見せてどんな反応をするか、試したかったんだ」
これはもうバズること間違い無しなんじゃないかな
おじさんの意外な才能を見られて、私は興奮気味
「ここまで驚いてもらえたなら、載せてみようかな
趣味のことを投稿してるアカウントがあるし」
そうした方がいいと思う
私がおじさんのこの作品を見た第一号になれたのは、すごく嬉しい
それと同時に、たくさんの人に見てもらいたいと思った
「他のも見てくれるかい?」
見る見る!
私は、おじさんが他の作品を取ってくるのをワクワクしながら待つのだった
寒い
寒すぎる
なんでこんな凍える朝を迎えなきゃならないのか
俺は昨日まで四天王だったのに
勇者パーティが四天王最強の俺と戦う機会がなく、そのまま魔王を討伐したものだから、命を失わずに職を失った
まぁ、俺は忠誠を誓ってなかったし、むしろ嫌いだったから魔王がくたばろうが、別にどうでもいいんだけど、働いてた立場からすると非常に困っている
魔王配下の立場を失った俺はお尋ね者で、後ろ盾もなく、住むところもない
そして見つかれば処刑は免れないだろう
この世の底辺に達した気分だ
どれだけ惨めな人生になっても死ぬのは御免だから、なんとかしなければならない
そもそも俺は就職にことごとく失敗して、腕っ節がたまたま強いからしかたなく魔王軍に行った結果採用されちゃっただけで、別にやりたかったわけじゃないんだ
食うために努力してたらいつの間にか四天王最強になってただけだし
なんだよ四天王って
魔王が死んだらなんの力もないじゃないか
ただの喧嘩自慢だよ
あーあ、魔族になんて生まれるもんじゃないよ
人間社会はけっこう人権意識高いらしいんだよな
魔族社会は弱肉強食が基本としてあるから、どっかでつまづくともうお先真っ暗なんだよ
今は魔族全体がお先真っ暗なのはとんだ皮肉だけど
四天王になっといてなんだけど、俺の性格って人間社会向きなんだ
他人を蹴落とすとか、大嫌いでさぁ
だから就職うまくいかなかったんだけどね
魔王軍に入ってからは本当に苦痛だったよ
今の状況よりはだいぶマシだけど
ハァ、俺も人間に生まれたかったなぁ
誰か俺を人間にして人生やり直させてくれ
あ、流れ星だ
叶うかな
ははは、そんなわけないか
なんか、頭がボーッとしてきたな
体もうまくうごかない
これ、ヤバいかも
俺、死ぬ感じか?
なんだよ
くだらない人生に、くだらない末路とか、ほんとなんなんだよ
少しくらい、いい思いさせてくれたっていいじゃないか
こんなの、酷すぎないか……?
「たしかに、魔王四天王の着ていた服だ
魔族は死ぬと肉体が崩壊するから、おそらくは……」
「これで一安心ですね
いつまでも逃げられたら、みんな不安でしょうから
……ん?
先輩、あそこ!」
「四天王のマント?
む、あれは赤ん坊か!?」
「こんな寒空の中ほっといたら死んでしまいます!」
「しかしなぜマントに?
……死にかけた四天王が捨てられた赤ん坊を温めたのか?
不可解だな……
いや、そんなことはどうでもいいな
早急に保護せねば!」
赤ん坊?
俺は人間になれたのか?
なんか、頭がフワフワしてきたな
記憶が抜け落ちてってる気がする
あれ、俺、なにやってたんだっけ?
俺は……
ん、さむい
あ
んんん
「赤ちゃんが泣き始めました!」
「とりあえず、泣く元気はあるようだ
近くの建物へ急ぐぞ!」
光と影は表裏一体
光あるところ、必ず影もあるものだ
そして同じ事柄でも、光に見える者と、影に見える者がいる
その目に映るは光か、影か
それはその人次第である
どちらが正しいのでもない
ただ、見え方が違うだけなのだ
──どこかの偉人
ああ
なんて優雅なんだろう
お姉ちゃんは、緑茶を飲む姿ひとつとっても、上品で美しい
そして何でも見透かしていそうな眼差し
知的なその瞳でいったい何を見て、その頭脳で何を考えているんだろう
きっと、私なんかじゃ思いつきもしない、海のように深い思考を巡らせているんだろうなぁ
お姉ちゃんはすごいよ
いつも私のために頑張ってくれる
だから私もお姉ちゃんのために全力で頑張れるし、普段の生活も恥ずかしくなく過ごそうと思えるんだよ
私には追いつけないけど、少しでもお姉ちゃんが持つみたいな素敵さに近づけるように頑張ろう
ああ
なぜか、妹がこっち見てるよ
私、なんかやっちゃったかな?
とりあえず緑茶飲もう
何を考えて私を見つめてるんだろう
怒らせるようなことしたっけ?
いや、普段の不満が爆発寸前なのかもしれない
不満かぁ
思い当たる節が多すぎてわかんない
妹よ、不甲斐ない姉でごめんよ
君が誇れる姉でいようとは思ってるんだけどね
私は不器用でダメダメだから、どうしても至らないところも多くなってしまって……
私も妹みたいにもっと頑張んないとだめだなぁ
見習うべきところは多々ある
いや、むしろ見習うべきところしかない
本当に、姉として努力をしていかないと!
視点が違えば、光は影になり、影は光になる
物事とは、そういうものだ
──どこかの偉人
「まさか勇者たちがこれほどの力を持っていようとは
だがこれで終わりではない
私は異なる世界へ転移し、より強力な軍勢を率いて帰還しよう
そして、その日より私の伝説が始まるのだ」
目の前に豪奢な格好した大男がいる
コスプレか?
にしてもなんでこんな時間にこんなところで
「フ、転移に成功したようだな
どれ、記念にひとつ大きな花火でも上げるとするか」
なんか変なこと言ってるな
役になりきってんのかぁ?とか思っていたら、大男が手から炎を発射
俺の車に着弾し……爆発炎上した
は?
何が起きた?
おいおいこれヤバくないか?
「フハハハ!
この世界でも我が魔法は万全!
もう少し試してみるか……ん?」
大男は手を出して力んでいる
しかし何も起こらない
「なんだと?
この世界には魔力がないのか!?
もう魔力切れで魔法が使えん!
これでは私はただの人間と変わらんではないか!」
ペラペラと独り言で自分がピンチであることを喋っている
あれ、こいつもうヤバいことなんにもできないんじゃねえの?
魔法使えないとか言ってたぞ
……ところで、こいつ俺の車爆破したよな?
なんか恐怖が引いてムカついてきたな
騒ぎになったあとだと面倒だから、適当に事務所に連れて行こう
「ここにいると大変なんで、ちょっと俺の仕事場に来てもらえます?」
「む?
貴様、我に協力するというのか?
良い心がけだ
褒美は……」
「いいから早く来てください」
俺は長話し始めそうな大男をさっさと事務所へ誘導
目撃者は夜明け前でいないが、爆発音でここらへん一帯の住人は起きている
事務所へは目立たない裏道を使った
大男を待合室で待たせ、上司や同僚に事の次第を報告
みんな、驚くほどすんなり信じてくれた
異世界作品オススメしといてよかったぜ
そして、みんなで行動を開始する
「す、ずびばぜん
もう、勘弁じでくだざい」
大男……自称魔王を、俺たちはボコボコに殴り倒した
魔法の使えない魔力切れな魔王はただの一般人並みの力しかないようだ
「謝ってすみゃあ責任っつう言葉はいらねえんだよオラァ!」
「兄貴の車爆破して、サツに睨まれたらどうすんだ、あぁぁ!?」
「つーか、睨まれるだろぉ
こっちは被害者なのになぁ
どうしよっかなぁ
なぁオイ」
運の悪い魔王だ
俺たちみたいに、物騒な商売を本業とする輩の車を爆破しちまったんだから
「あのね、我々は責任取る時ってね、指をね、切断するんだよね、スパッとね」
「ひぃ、助けてください!
なんでもしますから!」
俺たち相手に言っちゃいけないこと言っちゃったなぁ
なんでもはダメだよ、なんでもは
「じゃあね、君にやってもらいたい仕事があるんだよね
なぁに
そのガタイで威圧してくれればいいだけだよ
僕たち、お金貸してる人がたくさんいてね
その人たちからね、お金を返してもらいたいんだ
とりあえずはそんな感じ
ゆくゆくは君も体とか鍛えてね、我々に舐めた真似してくる奴らに痛い目を見せたりとかね、そんなこともしてもらうよ?」
「はいぃ!
荒事はやって来たので、大丈夫です!」
いいように使い捨てる気満々だな
ザマァねえな
ま、戸籍も何もないから使いやすそうだ
うまくいきゃあかなり役に立ってくれそうではある
さぁ、魔王様にはせいぜい頑張って、馬車馬のように働いてもらうとしよう
大丈夫、飯は食わせてやるし、成績次第じゃもしかしたら高待遇してくれるかもしれねぇよ?
そして、ウチの組織で魔王伝説が幕を開けるかもな