人々は星を追いかけて、ひとときの夢を見る
それが星の仕事であり、夢を見せたいから星は星として輝くのだ
その姿は人々を魅了する
が、しかし
ごくまれに、星を追いかけるのに夢中になるあまり、周りの迷惑も考えないような輩が現れる
みんながいい夢を見ようと、協力してくれているのにもかかわらず、無自覚に悪夢を作り出すのだ
俺はそういった連中に警告をし、場合によってはつまみ出す仕事をしている
普段は星に夢を見に来た人々の誘導や、その人たちが安全に夢を見られるよう、様々なサポートをしているのだが、それで済む日ばかりではない
この仕事をしていれば、ふざけた奴にはいつか必ず出くわす
はじめのうちは手こずりながら、先輩に助けられつつ、対処していた俺だった
しかし、今では仲間からかなり高く評価される立場となった
ありがたいことではある一方、俺の仕事への意識に変わりはない
さて、長く続けていると、ヤバそうなやつというのはだいたいわかる
もちろん、実際は別にヤバくなかったり、ノーマークだったやつがやらかすこともあるから、一筋縄では行かない
百発百中なんて不可能だ
それでも、経験を重ねていけば自ずと人を見る目は鍛えられる
俺の的中率も、段々と高まっていった
だが当然、すべてを予測することはできないので、常に何事にも対処できるよう、全力の警戒を怠らない
それもこれも、星や他の人々が安心して気持ちよく輝いて、もしくは夢を見てもらうためだ
俺はこの仕事が好きだ
裏方として、夢を支えるこの仕事は性に合っている
星の輝きと、星を追いかける人々の夢を人知れず守るこの仕事は、俺の誇りとしてこの胸に刻まれているのだ
過去はすでに終わった
今からどう頑張っても変えようがない
タイムマシンでもあれば話は別だが、そんな便利なものはないので、過去を変えるなんて考えるだけ無駄だ
過去の後悔を次に繋げるのならいいが、過去に今を縛られすぎれば、未来を見失う
ならば、未来を切り開くために今を生きる方がいい
悩みも苦しみも、未来のための糧にしてやろう
過去の出来事も、未来のために利用するのだ
なんて、前向きに捉えられれば楽なのだが、人間は、どう抗っても過去に縛られてしまう、ということも多い
未来を見据え、今を生きるためには、やはり自分だけではダメだ
誰かの助けがいる
それは家族かもしれないし、友人かもしれない
あるいは仕事仲間、先生、それらに限らない様々な誰か
そんな助けてくれる相手を見つけられれば、感じられれば、だいぶ心は楽になるのではないか
そして、その誰かが今を生きられなくなっていたら、その時に力になれれば、相手のためだけではない
自分自身を救うことにもなるかもしれない
未来はひとりで切り開くものではないのだろう
きっと、誰かの助けを借り、誰かに力を貸しながら、今を生きた先に切り開けるのだと、そう思う
美味しい食べ物を食べると、脳で快楽物質が生成され、快感を覚える
この快感が強いことを、我々は「飛ぶ」と呼んでいる
どこかで聞いたことがある表現かもしれないが、我々は独自にこの言葉を考えたので、断じてそれとは関係ない
ないと言ったらない
それはともかく、美食家という言葉がある
美味しいものを求め、味の良し悪しがわかる人たちのことだ
彼らの舌は肥えており、ちょっとやそっとでは飛ばないだろう
そんな手強い舌を満足させる料理人が、高く評価されるのだ
だが、残念ながら我々は美味しいものを食べても飛ぶことはない
いや、飛ぶことができないのだ
舌が肥えているのではない
美味しさは充分感じている
普通の人は飛ぶであろうことはよくわかる
しかし、快楽物質はあまり出ない
我々は美食家ではない
言うなれば醜食家
不味いものを食べて初めて快感を得て飛ぶことができる、周りから見ればなんとも不幸な存在が我々だ
間違えてほしくないのは、不味いものを美味しく感じているわけではない
不味いものは不味い
吐きそうになったこともある
だが、その不味さが快感なのだ
不味い料理が一番快楽物質が出る
不味い料理が一番飛べる
こんな感覚、信じられないだろう
だが、例えとしてわかりやすいだろうものがある
辛味だ
苦手な人にとっては地獄だが、好きな人はとことん好きなはず
あんな舌に辛味という名の痛みが走っているのに、快楽物質が出ているために快感を感じて、好んで痛みに溺れるのだ
これがアリなら我々もアリだ
快楽のためなら、サルミアッキだって食す
ショートケーキに豚骨スープだってかける
不味いものを食べる時はいつも、飛べ飛べ飛べ!と念じながら食べ、そして飛ぶと天にも昇る気分になる
醜食家は滅多にいないため、理解が進んでおらず、公言すれば変な目で見られるだろう
だが私は声を大にして言いたい
我々は珍しいだけで、異常者ではない
好んで辛いものによる痛みを感じに行く辛党と、やっていることは基本的に何も違わないのだ
全ての醜食家たちよ
我々のこの快楽は、恥ずべきことではない
周りに流されず、これからも不味い食べ物を食べ、その不味さの中の快楽によって飛べ
今日は特別な日だ
もっと特別感を出すと、special dayだ
そう、special day
とても特別なんだ
それはもう、信じられないくらい
夢かと疑いたくなるくらい特別な日
こんな幸せなことがあっていいのだろうか
だがこれは紛うことなき現実
嬉しすぎて倒れそうだ
一体何が特別かって?
それはほら、特別なことが特別なんだよ
special dayだから特別な日
逆に言えば、特別な日だからspecial dayとも言える
意味がわからない?
じゃあちょっと説明しよう
特別な日というのは誰が決めると思う?
人がこの日は特別だと感じた時、その人が特別な日に決めるよね
その特別の範囲については、なんとなくの傾向はあれど、明確なルールがあるわけじゃない
自然現象じゃないから、決まるための自然法則も存在しないんだよ
つまり、特別な日っていうのは誰かが特別な日だと思った瞬間、そうなる
だから今日、僕が叫びたくなるようなひどい目にあって、ストレスフルな状態になったから、そのストレスを解消する一環として普段しないようなバカ食いをするため、今日を特別な日だと決めれば、なんでもない日も即座に特別な日に早変わりする
つまり、今日は特別な日だと僕が決めたので、リミッターを外してバカ食いしてもいいspecial dayなんだよ
わかったら僕が並べたお菓子の袋たちを片付けようとするのはやめるんだ
食べなきゃやってられない心境だから
もう、特別な日だとかspecial dayだとか、そんなことはどうでもいいから
ただ食べてストレス解消したいだけなんだ
いや、やけ食いがよくないのはわかってるけど、他にいい方法が思いつかなくて
今日一日くらいいいじゃないか
え?一度やると癖になるからダメ?
そんな
あぁ、僕のspecial dayが始まる前に終わってしまった
溜まりきったこのストレス、どうすればいいんだ……
揺れる木陰を屋内の窓から見つめている
そこそこ風が強く吹いているので、木の枝がざわめいているのだ
それで木陰も揺れている
その黒く揺れる姿は、まるで怪物みたいだな
なんていうことを考えながら、やることもないのでひたすら見続ける
木の怪物か
ああいう怪物って、木の幹に鋭い目とギザギザの口があって、根っこや枝を武器にして、うねらせながら刺したり叩いたり、みたいなイメージがあるんだよな
しかし、僕はあえて火炎放射をさせたい
木なのに火を吹くのだ
ギザギザの口の中から炎が発射されるのを想像するだけで、すごいワクワクする
あと、自分の枝や根っこに火をつけて攻撃したら、かなり強いんじゃないか?
自分が燃えてるとか、細かいことは気にしないとして
倒された時は、青い炎に包まれて消えるんだ
なんてどうでもいいことを考えるのも、ひたすら暇だからだ
揺れる木陰を見て想像するのは、なかなか楽しいわけだから、構わないけれども
しかしそんなことを考えているうちに、日が陰って曇りになった
残念、黒い木の怪物は消えてしまった
別の暇つぶしを探そう