“冒険”
「人生で一度は言ってみたいセリフがあるんだけど、言ってもいい?」
隣に座る幼馴染が勉強に飽きたのか意味不明なことを言い始める。
「勝手にすれば」
またくだらねえことを言ってらぁと問題集に視線を落としたままテキトーな対応をするも、めげる気配がないのはすごいところ。
「冒険に出よう!」
「はあ?」
それより何より、こちらが思わず顔を上げてしまうほど、突拍子のないことを臆面もなく言い始めるその精神性が本当にすごいと思う。いや、冗談ではなく。無駄にキラキラしているその瞳から、本気であることが伝わってより思考停止する。幼稚園からかれこれ両手じゃ足りないほどの付き合いだが、いつまで経ってもコイツのことはよくわからない。相手もそう思っているらしいが。
「なに? 旅行にでも行きたくなったのか?」
「ちがう、冒険」
「その一点張りでいけるとでも? わかんねえよ」
なんでわかんないかなあと肩に顔をグリグリ押し付けてくるのはやめろ。絵面を客観視してから行動に移してほしい。
「ちっちぇ頃さあ、どこ行っても楽しかったじゃん」
「そうだっけ。覚えてねえな」
「まーたそうやって話の腰を折る~。楽しかったんだよ、どこ行っても初めてがいっぱいで、目新しくてさあ」
「……ふうん」
それで? と先を促せば、愉快そうに目を細める。ノせられたと気づいたときにはもう遅い。
「場所は関係ないんだよ。“初めて”ってところに価値があるんだ。冒険ってのは未開の地を切り拓くことを言うんだからさ」
「つまり?」
突然立ち上がったそソイツにぐいっと両手を引かれて「うおっ」と声が出る。よろめきながら俺も立ち上がる。危ねえだろうが、と文句をつけそびれた。
「アイスでも買いに行こうぜ! 普段は通らない道を使ってさ」
やっぱり飽きたんじゃねえか。なんて、言うのは野暮か。結局のところ、“冒険”という非日常的な響きに俺も心掴まれているのであった。
──ったく、しょうがねえなあと付き合ってしまう程度には。
“秋恋”
「最近流行ってるハッシュタグ、知ってる?」
「はっしゅ……なにそれ?」
「そこからかよ」
SNSを眺めながら、向かいに座る友人に話しかける。話題提供の一環だと適当なものをチョイスしたのだが、相手は予想外にデジタル音痴だったらしい。思いもよらぬ返答がきた。
「ハッシュポテトなら知ってっけど」
「サクサクしてて美味いよな! じゃなくて」
かくかくしかじか。ハッシュタグというのがどういうものなのかを簡単に説明するも、ふうん、とわかってるんだかわかっていないんだか微妙な反応。まあいい。本題はここからなので。
「『秋恋』ってやつなんだけど。どういう投稿につけるんだと思う?」
「あき……こい?」
眉間にむむっと皺がよる。なんてことはない、秋の風物詩を撮った写真に使われるのだが、乙女チックな言葉選びのため俺も最初は首を傾げた。
「んー」
あまり興味のない話題だろうに、真面目に考えるのは彼の美点。
「さんさんと照ってる太陽の写真とか?」
「その心は?」
「秋が恋しいなあ、ってときに使うのかなって」
「やるじゃん……!」
本来の使われ方より気に入った。採用! と一人盛り上がって立ち上がる。
「太陽の写真撮りに行ってくる」
「ぶはっ。馬鹿じゃねえの」
愉快そうにその肩が揺れる。
「んじゃ、俺はコンビニ行ってくる」
「ハッシュポテト買いに?」
「おう」
「人のこと言えねー!」
ケラケラとふたり笑い合って席を立った。まるで違うもの同士だけど、似たもの同士。十分後には同じ場所に戻ってきて、またどうでもいい会話に花を咲かすのだ。
「お幸せに」
痛い痛い。死にそうに痛い。言いたくない言いたくない。こんな、心にもない言葉。
「ありがとう」
ああ、だけど。大好きなきみが見たことないくらい嬉しそうな顔で笑うから。これがきっと正解だったんだって言い聞かせた。
私の幸せはきみなのに、きみの幸せは私じゃないんだって。
──見たくもない現実を目の前に突きつけられながら。
“今日にさよなら”
歩けば犬のうんこを踏む。朝のバスは道が混んでいて時間通りに来ないし、やっと来たかと思えば一駅一駅ご丁寧に停車するものだから急いでいる身としては焦れったくてたまらない。結果として、いつもの電車に乗ることが出来ずに学校に着く時間が遅れる。部活の為に家を早く出ているので、授業には間に合ったが、やる気満々だった朝練は出来ずじまいで、部活は放課後にお預け。存在を忘れていた小テストの出来具合は最悪だし、昼休みに意気込んで買いに行ったお気に入りのパンは売り切れていた。楽しみにしていた放課後の部活は突然の大雨で中止。しょうがなく先日買ったばかりの折り畳み傘をさして帰ろうとするも強風で壊れて早々に使い物にならなくなった。
「さいっあく……」
「なんだよテンション低ぃな」
バスを待っている間、今日一日のことを思い返してボヤけば、隣に立つ幼馴染が呆れたようにこちらを見上げる。俺の身に起こった不幸を知っている癖に理解のない態度。八つ当たりしたくなった。
「当たり前だろ!? こんな何もかも上手くいかないことある!?」
「俺にキレんなアホ!」
「痛え!」
ギャンギャンと吠えれば、デコに物理的なしっぺ返しを食らって口を尖らせる。優しくない。
「可哀想すぎない? なに? 俺なんかした?」
「日頃の行いが悪いんだろ」
「少しは優しくしてくんねえ!?」
「めんどくせぇなあ……」
はあ、と大きなため息をついてこちらを一瞥する。それから口をへの字に曲げて手のひらを開閉する動作を繰り返す。何かを考えている時の彼の癖。慰めようと言葉を探しているらしい。結局のところ優しいのだ。
「厄日なんだろ」
「お手本に出来そうなくらいね」
「っつーことは、アレだよ。厄落とし? できたんじゃね?」
「今日一日で?」
「おう」
真面目な顔で頷いて、言葉を紡ぐ。今日にさよならすれば、しばらくは大丈夫だろ、と。
「今日にさよなら……」
「なんだよ」
思わずその顔をじっと見つめれば落ち着かない様子でこちらを見返す。随分と詩的な言い回しをするものだ。なんて、言えば怒られるのは目に見えているのでなんでもないと濁した。受け取った言葉を反芻するうちに、段々と苛立っていたのが馬鹿らしくなってくる。
「……うん、そうだね。ありがと」
「……お前が素直にお礼言うとかキモイな」
「おいコラ」
やいやい言い合っているうちにいつの間にか晴れあがっていた空を見上げる。大丈夫。今日がどんなに最悪でも、あっという間に別れが来る。
そうしてさよならしたらまたあした。なんの曇りもない、まっさらな一日が始まるのだから。
“バレンタイン”
「ハッピーバレンタイン☆」
「ハロウィンか」
「いてっ」
朝の挨拶にしては元気が良すぎる友人の頭にえいやっと軽くチョップをかます。我ながらナイスツッコミだ、と悦に浸れば恨めしげな視線を向けられた。
「いいじゃんかよお、お祭りって点では大して変わんねえだろー」
「お前はバレンタインへの認識を改めた方がいい」
何がお祭りだ。作るわけでもないくせに便乗して調子のいいことを言ってはいけない。甘くて可愛くて楽しい日などと舐めていると痛い目をみる。バレンタインとは恐ろしいイベントなのだ。
「相変わらず大変そうだな……」
力説すれば哀れみの眼差しで見つめられて癪に障る。人が親切で忠告してやっているというのに。
「母ちゃんどころか弟まで動員して朝から晩まで調理から梱包まで無心で作業に勤しむんだぞ? アレはお祭りなんて甘ったるいもんじゃない。もはや戦争だ」
「そんなガチってるお前ん家の姉ちゃんが特殊なんだよ!」
ついでにそれに付き合わされてるお前もな!
テイッと先程の仕返しかのように頭部に手刀を食らわせられる。むう、と口を尖らせれば呆れたように笑われてしまった。いつの間にか立場が逆転していて解せない気持ち。
「そんな君にほれ。労いの品をやろう」
「チロルチョコかよ」
「文句言うな!」
「へいへい」
ありがとさん、と受け取っておく。きなこ味とは珍しい。目の前の男は「王道だろ!」と得意げに胸を張っている。そうなのか、知らなかった。
「しょーがないのでお返しだ」
ガサゴソガサゴソ。鞄の中をまさぐってお目当ての品を掴みとる。目を輝かせている様子を見るに、これが狙いだったのだろう。現金なヤツだ。
「っしゃ! 美味いんだよなぁ、お前ん家のチョコ!」
「俺の血と汗と涙の結晶だからな」
「それは不味そう」
「いらないなら自分で食う」
「嘘です貰いますありがとうー!!」
受け取って意気揚々と袋を開ける。
「美味そー!」
言うが早いか笑顔で口に放り込む。ほっぺが落ちそうだとかなんだとか騒ぎながらも大喜びな友人を見て、まあ、苦労も報われたかなと満更でもない俺なのだった。