見たことのない世界が恐ろしくて、
見慣れた世界に縋っていたくて、
そんな私に貴方は、それも素敵だと思うよなんて微笑みながら言うもんだから、なんだかその程度の人間だと思われたみたいで悔しい。
目を輝かせてなんの躊躇いもなくどんどん進んでいく姿は、
いくら周りが止めようとしても無理な段差を飛び降りようとする、無鉄砲な子どもにしか見えなかった。
何も考えていないのか、
何もかも諦めているのか、
わからないけれど、でも、置いて行かないでほしい。
着いていかせてほしい。
「まだ見ぬ世界へ!」
今日もサーカスは大勢の客で賑わっている。
舞台袖からちょっと見るだけでも、観客の多さにまるで世界中から歓迎されているみたいな気分になる。
無論、客達の目当ては道化師の私ではなく、今まさに綱の上から観客に手を振っている彼女に違いないが。
きつくコルセットを締めた胴体とは対照に、くるりと曲線を描いたスカート。
ゆっくりと肩を揺らしながら、まるで雲の上をスキップするように軽やかに進む彼女の独特のリズムは、観客を1人残さず虜にする。
そして、私はそれを見上げて大袈裟に驚いて見せた後、それを真似して 地面から数センチほどしかない綱渡りに挑戦し、あっけなく転んで笑わせる役だ。
それでも彼女と同じステージにいられる事が、嬉しくてたまらなかった。
どの曲芸師も挑戦しようとさえ思わなかった、
いくつもの転調を繰り返すこのメロディーを、彼女は手懐けて我がものにしている。
客の笑い声も歓声も、すべてが彼女の曲芸の一部なのだ。
「君だけのメロディ」2025.6.13
「I lavu yuu」
ピンク色のチョコペンで拙く書かれた文字。
しかも、袋に包まれて半分消えかかっている。
土台であるチョコレートも、数メートル離れてやっと、
辛うじてハートの形をなしているように見える程度。
こんな言い方はおかしいかもしれないが、
ここまで美しくないバレンタインチョコレートを作れるのはもはや才能のように思う。
しかし、私からそんなものを受け取った当の本人である彼女は、目を細めてクスッと笑った。
かわいいね。
彼女の言葉に、私は目を丸くして顔を赤らめる。
が、頑張って作った。とだけ掠れ声で私はぼそっと答える。
嘘。
本当は書けるけれど。
スイーツ作りだって得意分野だ。
でも、だめな私を見つめるその目が好きで、私は今日もだめになってしまう。
「I love」2025.6.12
※創作
病院帰りの午後4時半。
かれこれ40分、
娘は水溜まりを見つめている。
時々手を浸しては、それをゆらゆらとかき混ぜている。
午前中雨が降っているのを見た時から、これは想定済みだった。
通りすがりの人々の視線もおかまいなしだ。
何度も何度も同じように水溜まりをかき混ぜる。
飽きることはないのだろうか。
それともこの子の特性が、そうさせているのだろうか。
発達障がい。と初めて聞いた時、
当時何も知らなかった私は、今まで積み上げてきた子育てや人生の概念がすべて覆って雲の中に包まれた気がした。
見ないように、気づいていないふりをし続けたこの子の行動が、一気に現実味を帯びて迫ってきた。
私はひたすら待ち続ける。
この子の気が済むまで。
ポツ…ポツとまた雨が降ってきた。
娘は不快そうに声を上げて、私にしがみつく。
カッパの感触がいやだと言って 意地でも着てくれないこの子が、風邪をひかないように、
傘で守りながら、手を繋ぐ。
雨音は私たちに「早く帰れ」と言わんばかりに勢いを増していく。
この子にはこの水溜まりが、雨が、世界が、
どんな風に見えているのだろう。
他の子と違うんだってまた考え始めそうになって、
止まらなくなりそうで、心を無にした。
それでもこの子が、
水溜まりに目を輝かせていたのを思い出して、
「楽しかったね。」
と私は優しく呟いた。
「雨音に包まれて」
※創作です
あなたを初めて見た時、
周りのすべてが無になったのを感じた。
息を飲もうとしても、喉がつかえて上手くいかない。
まばたきさえも許してくれない。
体が動かない。
ただ、心臓がすべて持っていかれてしまうのではないかと恐ろしくなり、胸にギュッと手を当てた。
その場に、あなたと同じ場所に存在させてもらっている自分がひどく図々しい存在に思えた。
それほどあなたは美しかった。