南葉ろく

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3/1/2025, 8:52:58 AM

 思い出せないことがある。
 たとえば、あなたの顔。あんなに好ましいと思っていたあなたの笑顔も、どこか朧げで。日だまりのようにあたたかなものだったことは、覚えている。けれど、文字で景色を思い起こすことはできても、心のカメラは生憎とあなたを現像してはくれないのだ。
 たとえば、あなたの声。春のそよ風のように耳を心地よくしてくれる、そんな声だった。はずだ。歌うように軽やかなあなたの声を聞くたびに、こころが踊ったものだ。そのような記憶はあるけれど、心のレコードは壊れたようで、ノイズがひどくてまともに聞こえやしない。
 思い出せないけれど、辛くはない。ポンコツな脳みそはあなたとの思い出を徐々に、少しずつ薄めてゆくけれど。あなたと出逢ったから、この手から零れるものがあるのだから。
 ……本当は零したくはない。ないけれど。失うものがあるのは、きっと、幸せなことなのだと。これは、あなたが教えてくれたこと。
 ああ、さみしいな。この感情も、あなたがくれた。
 そっと自分の手を握る。かつて、この手はよくあなたの手を握っていた。どうか行かないでと縋り付くように握った手は、もうどこにもないけれど。思い出せない朧気な日々の温もりをかき集めるようにそっと、目を閉じる。
 そう、辛くはない。確かにあの日々はこの世界にあったのだから。

 いつかきっと、答え合わせをしよう。その日を思えば、笑顔だって、零れるものだ。



テーマ「あの日の温もり」

12/7/2024, 2:48:57 PM


 此処には居場所がない。いつだってそんなことを考えている。
 楽しそうな笑い声。賑やかな喧騒。それを尻目に今日も私は縮こまるように、定位置のソファで。
 空気であればいい。見えない存在であればいい。そんな風に思うけれど、時折こちらを向いて笑顔を向けられたりするものだから、今日も私の喉は引き攣れ、歪な笑顔を浮かべるのだ。

 彼らは私に無関心でも嫌いなわけでもないのだと、思う。
 卑屈な私が、ただただ一人、そうであるべきなのだと声高々と、叫んでいる。無関心であれ。嫌いであれと。
 無視されたいわけじゃない。嫌われたいわけでも。
 矛盾を抱えた心はグルグル、今日も私を蝕んでいく。

 どこにいたって、私の居場所はいつでもキリトリ線の外なのだ。私がそう決めた。だから。
 今日も部屋の片隅で、ぼうっと何もない場所を、見つめている。




テーマ「部屋の片隅で」

10/19/2024, 9:36:11 AM

 今夏は台風が少なかったなあ、だなんて思っていたら、現在、十月。遅刻遅刻! とでも言いたげな勢いで怒涛の如く台風ラッシュがやってきた。
 うーん、迷惑。日本に来るな。だなんて、脳内で台風をまるで人のように扱ってみたりなんてして。まあ、そんな事をしたところで無情な現実は変わらない。とはいえ。
 朝。カーテンを開く。台風は夜のうちに過ぎ去ったらしい。澄み渡るような青空が広がっていた。雲一つすら、見当たらない。むむ、見事。窓を開けると、少し冷たい、清涼な空気が頬を撫ぜる。
 台風は嫌いだけども。この空気感は好きなんだよなあ、なんて思ったり。しなくもないけど。いやいや、でもやっぱり台風は来てくれるな、と心を鬼にした。

テーマ「秋晴れ」

10/18/2024, 9:22:31 AM


 生涯において、記憶に刻まれ死ぬまで持ち続け得る思いは、きっと、そう多くない。
 楽しかったこと。嫌だったこと。あらゆる思い出の欠片たちで、構成されるストーリー。そこに不要なものを残すリソースなんて、ちっぽけな脳みそでは到底用意なんてできやしないのだ。
 だから、忘れたいことは忘れよう。そう思う。けれど。
 どうしてだろう。君の顔は。声は。どうにも忘れられないんだ。覚えていたって、苦しいだけなのに。悲しいだけなのに。不思議だな。
 僕は要らないと思っているのに。僕の脳は、君を忘れたくないものだと断じてしまったようで。
 今日も、僕のストーリーの中で。君はあの頃と変わらぬ姿のままで、笑っている。



テーマ「忘れたくても忘れられない」

10/17/2024, 6:19:50 AM

 夜空を見よう。そう提案したのは、君だった。
 少しばかり冷える夜のある日。突然、星が見たい、夜空を見よう、だなんて、前触れのないことを言い出したのは、日付が変わる少し前くらいのことだったか。突拍子もないのは今に始まったことでもなかったので、すっかり慣れてしまった僕は何を言うでもなくカーディガンをふたつ取り出して、そっと君に渡した。


「……ああ、やっぱり。冷えてきたから、星が綺麗に見える。なんだか、空との距離が縮まったみたい」
「気の所為だよ」
「もう! 浪漫がないなあ」
 本気ではない、形だけ怒ってみせる君はびっくりするくらい可愛い。なんてことは、照れて止められたら困るのは僕なので言わないけど。可愛いなあ、なんて思いながら、君に倣って、夜空を見上げる。
 確かに綺麗な星空だ。それに月も満月で雲もなく、鑑賞するに申し分ない夜空だ。オリオン座がくっきりと見えて、あ、知ってる星座だ、だなんて、思いながら、今度は君をチラリと盗み見る。
 こちらに気付く様子もなく楽しそうに見上げる君のまろい輪郭が、月の光で淡く強調されている。夜闇にほんのりと浮かぶ君の白い頬と、それから、星屑の煌めきが映り込んだ瞳。なんだか、上を見上げる必要なんてないかもしれないだなんて考えが頭をよぎった。
 流石に見過ぎたか、ふ、と君はこちらを見る。ずっと君を見ていたのがバレたのか、うっすら頬に紅を乗せて、もう、と声を上げた。
「……空を見ようって、言ったはずなんだけど?」
「見てるけど?」
 おかしくなって、僕は笑ってしまった。いよいよ君は照れから次第に本格的に怒り出してしまったけれど、仕方がない。夜空も確かに魅力的だけれど、それよりも、夜空の光を受け取ってやわらかな光を纏う君のほうが、綺麗だと思ってしまったのだから。
 僕は甘んじて、君の怒りを受け止めよう。



テーマ「やわらかな光」

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