月に住む猫

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3/29/2023, 7:42:21 PM

「ハッピーエンド」


「プロデューサー様、
私を見つけてくださり、
めいいっぱい愛してくださり、
たくさんの楽しいお仕事をくださり、
歌を歌う場をいくつも設けてくださり、
10年という長い時間を
病める時も健やかなる時も
歩幅を合わせて共に歩んでくださり、
本当にありがとうございます。
今、私がシスターとしてではなく、
1人のアイドルとして歌を歌えているのは、
紛れもなく貴方様のおがげです。」

彼女はそう言ってくれるような気がした。


私が人生で1番時間を共にしたゲームが、
本日、サービス終了となる。

私が愛した彼女はいつも笑顔で、
私に感謝を伝えてくれていた。

「私の力なんかじゃないんだよ。
貴方がとっても素敵だからだよ。」

そうやって伝えてあげられたら、
どんなによかっただろうか。


私はずっと、歌が大好きな彼女に
歌を歌うための声が付いていないことを気に病んでいた。
そのせいでお仕事も、
スポットライトが当たる事も本当に少ないから。

もっともっと、彼女を歌わせてあげたい。
いろんな経験をさせてあげたい。
いつも人のことばかりな彼女に、
自分のことで喜びを感じてほしい。


それだけをただひたすら願っていた。
でも、叶わなかった。


それでも、きっと、彼女は
何の曇りもない言葉で今日も私に
「ありがとう」と言うのだろう。


だから私もちゃんと伝えなくてはいけない。


「もう、ここにいた貴方には会えなくなっちゃうけれど、
貴方の物語は続いていく。
ずっとずっと見守っているからね。
たくさん歌ってね。
たくさん笑ってね。
きっといつか、必ず、
貴方の声がみんなに届くからね。
大丈夫、大丈夫だよ。
貴方の優しい気持ちは、
いつだって私に伝わってる。
ひとりじゃないよ。
ずっとずっと、一緒にいようね。
本当の本当に、ありがとう。大好きだよ。」


今日は、私と貴方の、
ハッピーエンド の日。



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3/10/2023, 4:35:57 PM

「愛と平和」


「どうかな、芝生湿ってるかな?」
彼女は芝生に掌を押しつけて、
座っても大丈夫か確かめた。
「大丈夫そうだね。ここらへんにしようか!」
そういうと、ピクニック用に買っておいた
チェック柄の大きな布を広げ、荷物を下ろした。

2人であれこれ言いながらピクニックの準備を整える。
念願の日が来た彼女は、とても楽しそうで
今日もまた2人の素敵な思い出が増える予感がした。

支度を終え、2人で並んで腰を据える。
春の日差しは暖かく、風はない。
何処からともなく、花の香りがして
冬はもう終わってしまったんだなぁと感じた。

そんな事を思っていると、彼女が俺の顔を覗き、
にこっと微笑みんだかと思ったら、不意に立ち上がる。
「ねぇ、立って立って!」
俺の両手を握り、軽く引っ張るようにして立ち上がらせ、
布を敷いていない芝生へと誘導した。

「今日、全然人いないからさ、寝転んじゃおうよ!」
彼女はまるでイタズラをする子どものように
無邪気に笑い、俺の返事を待たずして芝生へ寝転んだ。
「いいね、寝転ぶの」
俺も彼女の真似をして、隣に寝転んだ。

脳天からの狭い角度からではなく、
全身で日光を浴びるのはいつぶりだろうか。
身体の隅々までポカポカして、とっても心地よい。
地面が近いから、土や草の匂いがする。
身体全体で様々なものを感じ取っている感じが堪らない。

「気持ちいいね〜!」
彼女は伸びをした後、ころんと俺の方を向き手を握った。
「こんなに物が溢れてる世界でもさ、
芝生に寝転ぶだけで、こんなに気持ちが洗われるのって
なんでなんだろうね?
なんか、こう、世界はとっても平和だなって感じる!」
「はは。俺は世界の事なんてわからないけどさ。
でも、このまま俺たちだけでも平和に、不自由な事なく、笑っていられたら嬉しいなぁとは思うよ」
普段の会話では言わないような事を口にしたからか、
彼女は不思議そうに俺を見た。

でも、俺にとっては世界とか本当にどうでもよくて。
この愛しい人と、こういう平和があれば生きていける。
決意とかそう言うのでもなく、ただ心からそう思った。


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2/17/2023, 10:05:17 AM

「誰よりも」


先輩はおもむろに立ち上がり、鉄柵へと腰をかけた。
「うわぁ、危ないって!ここ屋上ですよ!?」
僕は先輩の元へ向かおうと、急いで立ち上がった。

「私は誰よりも、わがままだ!」
先輩へと一歩を踏み出したその時、
先輩はこれ以上ないというくらいの大声でこう叫んだ。
「な、何を急に…」
突然の声に動作が止まり、
先輩と向き合うような形でその場に立ち竦んだ。

先輩はニヤニヤと揶揄うようにこちらを見ながら続ける。
また何か考えがあるのだろう。付き合うしかない。

「私は誰よりも、強情!」
「知ってますよ……こちらの身にもなってください」
「私は誰よりも、気分屋!」
「そうですね……」
「私は誰よりも、賢い!」
「はいはい……」

「そして……私は誰よりも、孤独だ」
先輩の白衣の裾が風にたなびく。
さっきまでの揶揄うような姿も風は攫っていってしまったようで、こんなに寂しそうな顔をする彼女を見たことは、今までで一度もなかった。
けれどそんな先輩が何故か僕には美しくて見え、
その刹那、目を離すことも声を出すこともできなかった。

「けれど……」
先輩はストンと鉄柵から降りて、僕の一歩前まで歩みを進めた。僕より高い背。少し見下ろされる。
先輩の背中を夕陽が照らし、
僕へと先輩の形をした影を落とした。

「けれ……ど……?」
ズンズンと詰め寄る先輩。
先輩がこちらへ一歩進んで来ようとするたびに、
僕が一歩下がる。また一歩、また一歩。

---ドンッ
ついに反対側の鉄柵まで追い詰められた。

そして、先輩は自分と僕を隔てる一歩分の空間を割いて、
僕との距離をゼロにしてきた。

「えっ……」
ゼロにしてきたどころか、
僕の脚と脚の間に自分の脚を滑り込ませる。
そして耳元でこう囁いたのだ。

「今は、誰よりも愛しい君がいる。寂しくないよ」

スッと身体を戻し、最大級のニヤつき顔を見せた後、
「じゃ、また明日ね。助手くん!」と言って、
手を振り去っていった。

僕はといえば、その場にズルズルとへたり込み、
頭を抱えることしかできなかった。
「誰よりも……誰よりも狡いじゃないですか、あの人」
精一杯の文句は夕方のメロディにかき消され、
そこにはいない誰かさんにもちろん届くことはなかった。


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2/10/2023, 2:57:41 PM

「誰もがみんな」


彼女はクスクスと笑いながら、
俺の手首と自分の手首を鬱血しそうな程の強さで
しっかりと結束バンドで固定した。
手首を押さえつける彼女を振り払おうとするが、
先ほどのスタンガンのせいか上手く力が入らない。
そもそも、こんな華奢な女のどこにそんな力があるのか?というくらい根本的な力が強い。
ペットボトルの蓋、開けられないって言ってたのに!

「おい、ちょっ……ちょっと待て!待ってって!
誤解なんだってば!きっと君が気にしてしまった連絡は、確かに相手は女性かもしれない!でも、バイト先のおばちゃんなの!ただのバイトリーダー!シフトの連絡!」
彼女は顔色を一切変えずに、声を荒げて慌てふためく俺を見つめている。
「その連絡の事は前から知ってるし、関係ないけど?」
これじゃなかったか……じゃあ何だ?
あと、前から知ってるってどういうこと?

彼女は、ハァと呆れた様にため息をつくと、
一冊の本を俺に突き出した。
「これは……」
それは高校生の時になけなしのお小遣いを叩いて購入した、グラビアアイドルの写真集だった。
この本には、何度もお世話になりましたね。はい。
そんなことはどうでもよくて、そんな大切な本がほとんど形がわからなくなるくらい刃物であろうもので八つ裂きにされている。
「え、これ…お前がやった…の……?」
この狂気に身の危険を感じ、自然と心拍数が上がる。
逃げたくても身動きは取れない。
先手を打たれているのがまた怖い!怖すぎる!!
どうか!こういうプレイであってくれ!!との願いも虚しく、遂に彼女は包丁を取り出した。

「女の子はね、誰もがみーんな愛されたいし、
愛した人を独り占めにしたいの。
こんな、ほとんど裸の女が載っている本を、
自分の彼ピが見てるとか、無理すぎるの。
私だけいればいいでしょ?そうでしょ?違う?
大好きだし、愛してるの。貴方もそうでしょ?
だからさぁ、ねぇ?
私と一緒に幸せになるためにさ?
他の女に取られるまえにさ?
このまま一生幸せでいるためにさ、

一緒に、死んで?」

その言葉が音として耳に入ったのが、
俺の生前の最後なのだろう。
初カノだー!と浮かれていた自分を殺してやりたい。
いや、実際死んだんだけどさ。

「……と、まぁこんな感じじゃな。
悲惨な死を遂げておる。可哀想に。
いや、ほんと……ふふ。女運無さすぎ…ふふふ」
神様を名乗るお爺ちゃん、その笑いは俺に効く。やめて。

「死因はともかく、悲惨な死を遂げてしもうたお主は、
来世で少し運が良くなるようボーナスがついたようじゃ!
不運な青年よ、行くがよい!次の世界へ!」
自称神様がそういうと共に、
俺の立っている地面がパカっと開いた。

……パカっ?


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2/7/2023, 6:18:53 PM

「 どこにも書けないこと 」


『あぁ、嘆かわしい……!
今どきの若い子は積極性もなければ、
個人としての表現が非常に乏しい。

私が若い頃は、SNSっていうものがあって、
そこではいろんな人がいろんなことを考え、文にし、
毎日何千何万もの「つぶやき」や「投稿」が
行われていたのに。

私もよくテーマパークに行っては踊った動画をあげたり、
感動したらストーリーやショートにしてみたり、
店員への文句は140字にまとめて簡素につぶやいたり、
今思うと楽しい時代だったんだけどなぁ。

最近じゃ「令和はレトロ」なんて言われてるけど、
今の世の中よりも良かった気がする。

こんな気持ちになったのに、
どこにも書けない事も嘆かわしいわ。
こんなこと書いたりでもしたら、
処罰の対象だろうからね…

あぁ、あの自由に満ちた時代が、
また帰ってこないかなぁ。 』

「これは…」
私は亡くなった祖母の日記から目が離せなくなった。
所々掠れや破けがあり読みづらいところもあるが、
内容が分からないほどではない。
祖母の生きた時代を感じ、同時に羨ましさが込み上げる。

「自由に満ちた時代か…」

私が生きている時代も、
いつかは良かったと心から思えるのだろうか。
今現在では、到底そうは思えない。
私はこの大切な祖母の生きた証を、
しっかりとカバンへ詰めて、地下を後にした。


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