子供のままで
僕はジュースが飲みたくなって、自はん機までお金を持って、行きました。自てん車を止めて、自はん機を見ると、人が立っていました。ぼくは待つことにして、その人の後ろに立ちます。けれど、いくら待ってもその人が、お金を入れません。だからぼくは聞きました。
「お金が無いんですか?」
すると、その人は笑って言います。
「人を待ってるんだ。ごめんね、気づかなかったよ」
僕が青いボタンを押して、オレンジ味のジュースを買って横で飲んでいると、その人がこの味が好きなのかと聞きました。
だから、僕は二番目に嫌いだと言いました。
すると、その人はまた大きく口を開けて笑いました。
大きな声ではなかったけど、お腹をおさえていて、ひとしきり満足したのかと思えば、次に、その人は、両手を広げていています。なにがそんなにおかしいのか、ぼくにはわからなくて、その人の顔をじっと見つめていると、その手に、一瞬だけれど、ちらっと500円玉が見えました。
ぎぃぃという音がします。そっちを見てみると、女の人が汗を垂らしながら、こっちへ走ってきました。
「あんた!」
その人は手を上げながらこっちに向かってきて、ぼくも同じにばいばいをしたけど、それはぼくじゃなくて、人を待っていて、さっきまで笑っていた方の、男の人でした。
こんなところに。探した。という言葉を何回も言って、心配していました。
すると、女の人もぼくに気づいたようで、声をかけてきます。
「ねえ、君。お金をしらない?落としちゃったんだ」
と言って、きょろきょろ周りを見ました。
「いくらかわかりますか?」
僕がそう聞くと、女の人は答えます。
「500円だよ」
ぼくは考えました。
知ってるよと言うとその人は、肩を上げて喜びました。
どこにあるのとその人が聞きます。
ぼくは笑っていた、男の人の方を指さそうしたけど、でも、けど、その人が、すごく暗くって、ぼくはやっぱり知らないと言いました。
女の人がため息をつきました。よく見ると、その人も自てん車に乗っていたのが、わかりました。
「あんたも早く帰りなよ。暗くなっちゃ帰れないんだから」
女の人は地面を見ながら自てん車に乗って、ペダルを踏み始めました。遠くなっていく女の人を、ぼくも、その人も、じっと見ていると、女の人は前を見ていなくて、電柱にぶつかってました。
後ろでピッと音がします。すぐに見てみると、男の人が、飲み物を買っていました。
その人はジュースを飲み終えると、自はん機の横にあるゴミ箱に缶を捨てて、地面につくぐらいぼくの前に低くなります。
その人は、ぼくの手を取って、中に置きました。
たぶん、そんなに重くなかったけれど、中でごろごろって音がして、ました。
そのあとは、あんまり覚えていません。
愛を叫ぶ。
拝啓。
モンシロチョウ
細い脚から見える、血管は脈を打ち、ぐるぐると回っている。羽は湿っているみたいに、うまく動かせていない。それどころか、蝶は、何度か羽を羽ばたかせると、ゆっくりと地面へ舞っていった。
「肺」
行儀悪く、不衛生に、指をさした。風が吹こうとも、動こうとしない蝶の目は、見えていないようだった。首、胸、心臓へと向かっていく細い線の形をした首根は、そこらに生えている雑草を、薄めて切って、比べてみても、まだ届かない。わたしには、まるで、はあ、はあ、と荒く呼吸をしているように見えた。
忘れられない、いつまでも。
主人は無口な人だった。学生のころは、勉学に夢中で、いつも本に顔を埋める毎日を過ごしていたという、斜め背後に座る、わたしはいつもその光景を横目で見つめていた。
聞くところによると、彼は良家ある家を継ぐため、毎日せっせと学を身につけ、少しでも家の者に認めてもらえるよう苦労しているとのこと。
同じ椅子に座り、同じ教室にいるのに、まるで住む世界が違う、そんな彼とは一度の関わりもなく、卒業を迎えようとしていた。
けれど、卒業式の日。あの人が、わたしのまえに跪いて、付き合ってください、といった。
正直、よくわからなかった。あなたのこと、なんにも知らないけれど、それでもいいのかしら。それも、こんな急に。
すました顔をした人が、わたしのために火傷するじゃないかというほど耳を赤く染めている。
それだけで、わたしの心の返事を伝えるのは十分だった。
わたしの手を触る手つきが妙に優しくて、それと同時に、きゃーっと歓声が上がったのを今でも覚えている。
「さあ、手を」
手を差し伸べたあなたは、ひどく不器用だった。あなた、女性経験がないのね、というと、ぐっと口を噤んでしまう。わたしが、ごめんなさいと謝ると、あなたは表情一つ変えず、腰を抱き寄せた。
「おじいちゃん、記憶戻らないの?」
すっかり白くなってしまったあなたの髪を掴んで、孫がいった。
「覚えているわ、ずっとね」
そう言うと、孫は小首を傾げる。見ればわかるわ、とわたしはいう。何もない空間に手を差し伸べると、あなたは腰を上げて、すぐさまわたしの手を、下から支えた。あなたは、不思議そうに首を傾げていた。
何もいらない
テーブルの上に重たい音を立てて置かれた大きな袋を見て、私は顔を顰める。「ちょっと」と言う暇も与えられず、兄の手は忙しなく動き、次から次へと出てくる食べ物によって小さな山ができていた。
「お腹空いて……」
「ない」
「いら……」
「ないから」
兄が顔を覗き込んだ。ほんとうに?とでも言いたげな表情をしていて、私はその、あからさまな質問に答えるように“ダイエット”という言葉を宣言する。
すると、兄は「嘘だあ!」と、笑いながら言った。
「あのなぁ…ダイエットってのは、すごく大変なんだぞ?意思がないとできないし、長期間続けなくちゃいけないマラソンみたいなものなんだ」
「へぇ…それはすごいね。でも、もう決めたから」
「お兄ちゃんの持ってきた食べ物は、もう絶対受け取らない」
置いてあるコーヒーを手に取った。横から聞こえる小言をかき消すように、カフェインを喉に流し込む。まぁ、冷めていたけれど、美味しい。
その様子を見て、兄は「あ」と声を漏らし、そのまま黙り込んでしまった。何?と催促を促すと、返事が返ってくる。
「それ、僕のだけど」