誰もいない学校が好きだ。
いや、正確に言うと教師はいるのだが。それはともかくあの静まり返った雰囲気が好きなのだ。
電気が消えた空っぽの教室を眺めると、世界で僕しかいないような気になれる。
靴の音だけが響く体育館
雫がポタポタと落ちている水道
薬品のにおいが充満する理科室
青空がどこまでも広がる屋上
どこもまるで、日中とは別ものみたいに思えて、僕はいつも新鮮な気分で学校を歩き回ったものだ。
ただ、今日ばかりはわけが違っていた。
僕が一番好きな場所である屋上に、先客がいたのだ。
長い黒髪をたなびかせ、彼女は僕に言った。
「私、あなたのことがずっと気になってたの」
それが、後にとんでもない事件を起こすことになる辻本明美との、ファーストコンタクトだった。
私が毎晩楽しみにしていることがある。
それは真夜中の映画鑑賞だ。
特に雨がしとしと降っている夜なんか最高。
閉め切ったカーテンをスクリーン代わりに、洋画や邦画なんかを映す。ココアとクッキーを手元に用意して、エンドロールと共に眠りに落ちる。
それが金曜日の夜の楽しみになってしまった。
さぁ今晩も、カーテンを閉めようか。
「ど、どうして泣いてるんです?」
と言われて、初めて私が泣いていることに気がついた。拭おうとしても、次の瞬間また溢れてくる。
「先輩!?」
「大丈夫ですか!?」
「誰かに何かされたんだったら私が…!」
多種多様の反応する私の後輩たち。ゆっくりと背中をさする手があたたかい。
私はやっとのことで口を開いた。
「違うの、悲しいんじゃなくて、嬉しいの」
さっきのざわめきから一転、静かになると同時に、8つの目が私に集まる。
「私、幸せだわ。皆のような後輩がいてくれて」
途端、先ほどのざわめきが帰ってきた。ただし、今度は歓声と悲鳴と泣き声で。「本当ですか!?」「先輩〜!」「私も幸せです!!」中には抱きついてくる後輩もいて、私はもみくちゃにされてしまった。
皆んながこんなに喜んでくれるのなら、たまには泣いてみるのも悪くないかもしれない。
でも、幸せを感じるごとに泣いてちゃ、涙がいくらあっても足りないな。
昔、ここらで大きな戦争があった。国の勝利のため、村の女子供まで戦場に駆り出され、あえなく殺されていったのだ。後にその魂を供養するため、村の跡地には大量の墓石が建てられたという。
「でも、今になってはそれすらも無くなってしまったわけだけどね」
「どうして?」
眉を寄せた娘は父親に尋ねた。
2人は荒野となった村の跡地に立っている。
「噂によれば、何者かが持っていってしまったらしいよ。理由は分からないけどね」
「ふーん」
娘は平坦な返事をした後、静かに目を瞑った。黙祷しているのだろうかと、父親が娘の顔を覗き込もうとしたその瞬間、
「あ」
ふいに娘が目を開いた。
父親はあわててのけぞり「どうしたの」と尋ねる。
「聞こえた。声が聞こえたの」
「声?」
「生きてたんだね、本当に」
それだけ言うと娘は歩いて行ってしまう。
何が何だか分からず、首をかしげながらその後をついていく父親の背を、太陽は優しく照らしていた。
『先輩へ
突然こんなお手紙を出してごめんなさい。
驚かれたでしょうか?
本日、Ω班への異動が決定しました。
遂に作戦の最前線へ出ることとなったのです。
私は今までずっと、後方支援に徹していました。
物資を運んだり、負傷者の手当てをしたりといったことです。
銃を持って戦ったことなんてありません。
偉い方は私に「お国のために死ね」と言いました。
「何も出来ぬ者は、爆弾を全身に巻き付けて特攻しろ」と言いました。
私はまだ、死にたくありません。
死にたくありません。
何度も逃げることを考えました。
ごめんなさい。
でも、そんな時に先輩の顔が浮かんだのです。
一緒に生きて帰ろう
青い海を見に行こう
緑の草原でピクニックをしよう
笑顔でそう言う先輩が、いつかの未来について話てくれた先輩が、私の背中を押してくれたのです。
ありがとう。
私はもう迷いません。
私は戦います。
あなたのために戦います。
国のために死ぬ気など毛頭ありません。
あなたのために。
あなたの未来のために。
私の命が燃え尽きるまで。
なので、先輩、生きてくださいね
名もなき一般兵より』
全てが終わった夜、微かな蝋燭の灯りで、黄ばんだ手紙を何度も読み返していた。だんだん文字が歪んで読めなくなり、気がつけば涙が手紙を濡らしていた。
何も分かっていないじゃないか。
あなたが生きていなければ、私の幸せな未来なんて永遠に訪れるはずがないのに。