先ごろ亡くなった作家の山田太一には『飛ぶ夢をしばらく見ない』という作品があった。時間逆行というファンタジー要素のある小説だ。
読んだ当時はタイトルと内容の関連性が分からなかったが、改めて考えてみると、飛ぶ夢は若さの象徴なのかもしれない。だとしても、やはり関連性はいまいち分からないが。
実際に、飛ぶ夢というのは若年層が多く見るものらしい。大空を飛び回る夢はいかにも高みを目指す感じがする。
自分も子どもの頃は空を飛ぶ夢を見ていたと思うが、成長とともに低空飛行になっていった。最後はジャンプしてちょっと飛ぶ程度。
夢占いによると低空飛行はストレスが溜まっている状態を表すらしい。
そのうち飛ぶ夢どころか、早く行かなければいけないのに、足がずっしりと重くてなかなか前に進めない夢を見るようになった。
この夢は本当によく見た。これはあえて調べなくてもなんとなく意味はわかる。
そして最近はというと、もう見た夢すら覚えていない。
『大空』
電話の呼び出し音(特に固定電話)にはどきっとするし、インターホン恐怖症だし、緊急地震速報にいたっては揺れよりも音に度肝を抜かれる。
基本的に外部から予告なしにもたらされる音は苦手である。
ベルの音というと時節柄ジングルベルやサンタクロースを連想するが、クリスマスの夜にシャンシャンシャンシャン……と音がだんだん近づいてきたら恐怖体験に違いない。
冗談はさておき、最近、LINE通話の呼び出し音が聞こえず、不在着信で気づくことが増えた。
年齢が上がると高音域が聞き取りづらくなるといわれるが、モスキート音より低いはずの呼び出し音が聞こえない。ゆゆしき事態である。
『ベルの音』
寂しさを覚えるときは一人でいるときよりも人といるときが多い。
子どもの頃の友だちの輪に入れない寂しさから始まり、大人になってからも雑踏や催しなど人の群れの中にいると、ふと寄る辺ない気持ちになる。
集団の中にいると、いやおうなく個を意識させられるからだろうか。その場を楽しんでいるつもりでも、スッと冷める瞬間がある。
年齢を重ねると上っ面は人と合わせることを学習するけれど、合わせることに負荷を感じる度、他人と自分との間にある壁を意識する。
誰と一緒にいても一人。
和して同ぜず、同じて和せずなんて言葉もあるが、そんな立派なものではなく、要はいつでもどこでも浮いてしまう、馴染めない人間ということかもしれない。
『寂しさ』
冬は一緒に、やはり鍋でしょう。
ほうれん草と豚肉の常夜鍋が好物ですが、最近知ったレシピもお気に入りです。
市販の白だしをうすめた汁を鍋で煮立て、自分で刻んでもいいのですが、スーパーで売っている千切りキャベツを投入し、薄切り豚肉をのせます。
豚肉の色が変わったらキャベツを巻いてそのまま食べてもよし、ポン酢醤油につけて食べてもよし、シンプルだけど美味です。
柚子胡椒や新潟名物のかんずりという唐辛子の調味料で味変しても楽しめます。
材料が少ないと手間いらずですしね。
もちろん一人鍋も好きです。
『冬は一緒に』
アメリカの俳優ライアン・オニールの訃報に接し、彼が主演した『バリー・リンドン』という映画を思い出した。18世紀のヨーロッパを舞台に主人公バリーの浮き沈みを描いた大作である。
借りて観たのがかなり前のことなので細部はあやふやだが、覚えている感想は、長い、映像美、女優の美しさ。
とにかく主人公に恐ろしく魅力がない。
見た目先行で人格は難アリだったらしいライアン・オニールをスタンリー・キューブリック監督があえてキャスティングしたのではないかと思うくらいに。
最も記憶に残っているのが、貴婦人を演じたマリサ・ベレンソンの絵画から抜け出たような美しさ。入浴シーンもあるのだがエロスを超越した造形美に見入った。
こだわり抜いた映像は素晴らしいが、長いわりに話はとりとめもなく進む。それが人生の儚さを表していると言えなくもない、不思議な余韻が残る映画だった。
(とりとめもない話にこじつけてとりとめもない映画の話をとりとめもなくしてみた)
『とりとめもない話』