寂しさを覚えるときは一人でいるときよりも人といるときが多い。
子どもの頃の友だちの輪に入れない寂しさから始まり、大人になってからも雑踏や催しなど人の群れの中にいると、ふと寄る辺ない気持ちになる。
集団の中にいると、いやおうなく個を意識させられるからだろうか。その場を楽しんでいるつもりでも、スッと冷める瞬間がある。
年齢を重ねると上っ面は人と合わせることを学習するけれど、合わせることに負荷を感じる度、他人と自分との間にある壁を意識する。
誰と一緒にいても一人。
和して同ぜず、同じて和せずなんて言葉もあるが、そんな立派なものではなく、要はいつでもどこでも浮いてしまう、馴染めない人間ということかもしれない。
『寂しさ』
冬は一緒に、やはり鍋でしょう。
ほうれん草と豚肉の常夜鍋が好物ですが、最近知ったレシピもお気に入りです。
市販の白だしをうすめた汁を鍋で煮立て、自分で刻んでもいいのですが、スーパーで売っている千切りキャベツを投入し、薄切り豚肉をのせます。
豚肉の色が変わったらキャベツを巻いてそのまま食べてもよし、ポン酢醤油につけて食べてもよし、シンプルだけど美味です。
柚子胡椒や新潟名物のかんずりという唐辛子の調味料で味変しても楽しめます。
材料が少ないと手間いらずですしね。
もちろん一人鍋も好きです。
『冬は一緒に』
アメリカの俳優ライアン・オニールの訃報に接し、彼が主演した『バリー・リンドン』という映画を思い出した。18世紀のヨーロッパを舞台に主人公バリーの浮き沈みを描いた大作である。
借りて観たのがかなり前のことなので細部はあやふやだが、覚えている感想は、長い、映像美、女優の美しさ。
とにかく主人公に恐ろしく魅力がない。
見た目先行で人格は難アリだったらしいライアン・オニールをスタンリー・キューブリック監督があえてキャスティングしたのではないかと思うくらいに。
最も記憶に残っているのが、貴婦人を演じたマリサ・ベレンソンの絵画から抜け出たような美しさ。入浴シーンもあるのだがエロスを超越した造形美に見入った。
こだわり抜いた映像は素晴らしいが、長いわりに話はとりとめもなく進む。それが人生の儚さを表していると言えなくもない、不思議な余韻が残る映画だった。
(とりとめもない話にこじつけてとりとめもない映画の話をとりとめもなくしてみた)
『とりとめもない話』
風邪ひいてまんねん。
西のほうではおなじみの風邪薬のキャラクター。風神さん、ブランクを経てCMに復帰したらしい。
あれは白い薬包紙に包まれた粉薬がいかにも効きそうな雰囲気を醸している。
風邪を治す薬が発明されたらノーベル賞ものというのは知られた話だ。
何百もの種類がある風邪のウイルスを制する薬が現れたら、派生して起こる肺炎や中耳炎になる人も減って医療の世界は変わるだろう。
いま売られている風邪薬は諸症状を緩和するための薬なので、なんとかしたい症状に合わせて選ぶ。
一応、裏を見て成分・分量を比較するが、総合とついていると広く浅く効くのか?とか、粉薬は速く効きそうとか、結構迷う。
まあ結局、よくある風邪なら寝とくのが一番の薬である。
『風邪』
ひとひら、ふたひら。
ちらちらと舞っていた雪が濃度を増していく。
その年、初めての雪が降ると密かに胸が躍る。
激しく降っていた牡丹雪が、気温が下がるとともに粉雪に変わっていく様を眺めるのも、その中を歩くのも好きだ。
初雪はすぐに消えてなくなるけれど、しばらくしてドカ雪が降り積もると、この雪が根雪になるだろうと予想する。
長い冬の始まりである。
今は昔の雪国の思い出。
『雪を待つ』