イルミネーションよりライトアップ派だ。
イルミネーションは電飾そのものを見せるもの、ライトアップは対象物を見せるものなので、そもそも目的は異なるが好みとして。
木々や建物をきらびやかに彩るイルミネーションは見ごたえがあるけれど、桜や紅葉、雪などを暗闇から浮かび上がらせるライトアップのほうがしみじみと景色を楽しめる。
イルミネーションを見ると少し寂しい気分になるのも理由のひとつ。
夜の電飾というのは、映画の中の移動遊園地や、暗い部屋で点滅し続けるクリスマスツリーのように、賑やかなのにどことなく寂しい雰囲気がある。
『イルミネーション』
植物を育てることが上手な人をよくグリーンハンドと呼ぶが、これは和製英語らしく、英語ではグリーンサム(green thumb)という。
反対に植物を育てることが下手な人をどう呼ぶかというとブラウンサム(brown thumb)。
自分はこの茶色の親指の持ち主だ。
枯れる枯れる。
世話がほぼ必要ないはずのサボテンやエアープランツまで枯れてしまった。
どの植物も手入れはしていたつもりなのに、家に悪い気が充満しているのかと疑うくらい息絶えていく。
そんななか、唯一生き残っている植物がある。
ホスタ(ギボウシ)。多年草で冬の間は枯れて根だけになるが、春になると毎年元気に葉を出す。
外にあるのでほぼ放置状態なのが、逆に茶色の親指の影響を受けなかったのだろうか。
これに関しては手を出さないことが愛かもしれない。
『愛を注いで』
心と心が通じ合うとき言葉はあまり要らないけど、心と心がすれ違うときはたいてい言葉から始まる。
なぜあのとき黙っていられなかったのか。
なぜあのときあんなことを言ったのか。
後悔ばかり。
『心と心』
ポーカーフェイスになれる人を尊敬する。
自分では表情に出していないつもりでも感情が漏れていたらしく、眉間にシワが寄っている!と指摘されたことがある。自覚なく感情が露呈すると、かなり恥ずかしい。
悲しみをあえて表に出さない人には頭が下がる。
病気でつらいのに明るく振る舞う人、大切な人を喪ったのに微笑みを浮かべている人、傷ついているのに平静を装う人。
心配させないため、自分の心を防御するため。切なくなるが、見守ることしかできない。
個人的には、絶対怒っているのに怒っていないフリをする人が一番怖い。怒れないのではなく怒らない。謝罪を受け入れる隙さえ与えないので、相手はどうすることもできない。
自分もこの先、心底許せないことがあったらやりたいと思う。
『何でもないフリ』
集団に属したとしても、強い仲間意識を持ったことがない。
常に端っこのほうにいる人間なので、「仲間」という言葉には嫌気と憧れの両方を抱いている。
目標に向けて連携して動くのはいいが、一致団結!と精神論が出てくると、面倒なことになってきたぞと思うとか思わないとか……。
仲間との旅は虚構の世界で楽しむものだと思っている。結束を強めるために仲間外れを作り出す展開もない。
と言いつつも人恋しいときはあるので、好みや境遇が共通の人とたまに語れれば嬉しい。
ゆるい連帯感を持つ仲間、古いネットスラングでいう「ナカーマ」くらいの関係性が現実でも心地よいと思うのだが、どうだろうか。
『仲間』