葉月

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8/25/2023, 12:01:11 PM

「向かい合わせ」

 よく語られる言葉で「恋は下心、愛は真心」というのがある。漢字のなかの心という文字が、どこにあるかで生まれた発想かと思う。私もこの事をよく考えてみた。
 あくまで私視点の考え方であるけれど、恋とは向かい合わせの関係だと思う。そして愛とは二人が並んで同じ方向を目指している関係である。
 いまの世界は、みな向かい合わせの関係かと思う。互いに自国の要求をぶつけ合っている。世界の平和を目指すのであるなら、同じ目標に向かって進まなければいけない。各国には、それぞれに素晴らしいところがあり、互いに尊重し合いながら、学び合う姿勢が好ましい。
 親が子どもを躾ける場合も同じで、理由もなく「ダメ」という言葉を使ったり、必要以上に厳しい人もいる。もちろん、それは親心で子どもへの愛には、間違いはないのだけれど、親と子が向かい合わせの関係にあるような気がしてならない。本当に子どもへの愛や幸せになって欲しいという願いがあるなら、親は子に何をすべきであろうか?そこには答えはない。
 ただ、私自身は、親子は互いに学び合う関係だと考えている。実際、子どもから教えられた事も多かった。そう考えると、共に成長する事が目標かもしれない。そして夫婦では、学び合い、共に成長し、同じ目標を共有する関係を目指している。

8/24/2023, 12:48:30 PM

「やるせない気持ち」

 いまのこの世界は、本当にやるせない気持ちになる。グローバル資本主義経済とは、つまり大量生産、大量消費、そしてゴミの山。日本はゴミに関しては進んでいると思う。私の日常は、ゴミの分別です。
 使い終わったビン、空き缶は綺麗に洗う。紙ごみは、レシートなどの感熱紙や、圧着ハガキ、ティッシュなど汚れたものは、燃えるゴミへ、リサイクルできる紙は工夫してまとめて出す。プラスチックのゴミは、綺麗に水洗い。臭いが強いものや汚れの落ちないものは、燃えるゴミに出す。ペットボトルは、ラベルを剥がし、フタを取り除き、水洗い。ダンボールは折りたたんで紙ひもでしばって、まとめて出す。まだ着られる古着は、きれいに洗濯して出す。
 このゴミの分別は、リサイクルされるのが前提で、日本が世界に誇れることと思っています。新たな資源を輸入せずにリサイクルで新製品を作り出す事こそ、地球環境に優しい行為です。
 問題は、日本での当たり前が世界標準となれるかどうかです。また、どこかの国がゴミを引き受けている場合もあるけれど、そんな事は、あってはならない事です。リサイクルの技術やゴミの出し方など、またゴミ問題を放置した場合の危うさなど、こうした学びのために、積極的に海外から研修生を受け入れる必要を感じます。

8/23/2023, 12:20:39 PM

「海へ」

 最近、海というキーワードで思い浮かべるのは、バリ島のワイゼン姉妹だ。最後に海へ出かけたのは、いつの事だったろうか。ここ十年以上、海を眺めるのは車窓からである。遠い記憶をたどっても海岸に流れついたゴミは海外の文字が記されたものがあった。
 台風などの嵐の後は特に多かった気がする。想像ではあるけれども、バリ島はゴミが集まりやすい潮の流れがあるような気がする。そして、ゴミを何気なく捨ててしまう世界中の人の意識があるかと思う。
 プラスチックは自然に分解されない。やがて小魚がたやすく飲み込めるほどの細かなマイクロプラスチックになる。海の生物の食物連鎖は地上の生物よりも多様で激しい。海の生物を食べる人類も無縁ではない。人体にどの様な影響があるのか研究を進めるべきである。 
 プラスチックを安易に捨てる事の恐ろしさを世界中の人々に伝えるべきで、こうした危険の意識共有ができなければ、海はプラスチックのスープとなるだろう。
 マイクロプラスチックが人体、特に血管の中に入り込んでくる未来は想像したくない。どんなリスクがあるのか未知数で、プラスチック製品の削減の流れには賛成だけれども、それでは根本的な解決には至らない。これがいかに危険な問題かという事を知ってほしい。

8/22/2023, 12:32:07 PM

「裏返し」

 「裏返し」という言葉から、いまはネガティブなイメージしか浮かんでこない。まず最初にオセロゲームを連想した。この世界は実際には、囲碁や将棋、チェスのように複雑で難解であるはずなのに。
 オセロの駒は、いずれかの面が白で、その裏側が黒である。ひとつの駒は、一人の人間であったり、一つの国であったりするように思う。さらに物事すべてに表があり、裏がある。つまり常に両面がある。
 例えば、数学では、ほぼ答えはひとつで、長い義務教育の間に、他の教科も正しい答えはひとつだけという何とも悲しい思いこみをしている方は多い。
 理科という教科も、簡単明瞭に答えがでてくるものもあるけれど、多くは、あまりに複雑で理解不能な世界を語るわけにはいかないので、とりあえずの解答があるにすぎない。つまり、世の中の全ては、まだ解決されていない未知の領域が膨大に広がっている。
 白か黒、いずれかにしたい。決めたい。そうしないと物事は何も進まない。それもまた事実である。ここに今、人類は大きなジレンマに陥っている気がする。
 真理に到達するためには、まだまだ試行錯誤を繰り返していかなければいけないし、答えが見つかったとしても、それはとりあえずの正解にすぎない。義務教育の数学のような訳にはいかない。
 人類共通の普遍的な問題を共に考えていく必要があるだろう。温暖化、地球環境、核保有、それらは、地球全体であり、自分自身への裏返しともなる。こうした思いをいかに伝えれば良いのだろうか。
 国連という国際機関があるにも関わらず、また各国の政治的リーダー達は、おそらくこうした考えを持っている賢明な人達であるにも関わらず、実際のところオセロゲームの駒に過ぎなくなっている。

8/21/2023, 11:50:41 AM

「鳥のように」

 雪舟の国宝で『天橋立図』を初めて観た時の衝撃は忘れられない。いまならドローンで簡単に手に入る画像であったり動画であったり、一見すると何でもない風景画である。しかし雪舟は応永27(1420)年の生まれで没年は永生3(1506)年と言われている。その時代の事を考えると鳥のように海上を飛行している目が必要になる。
 『天橋立図』をみつめながら考えた。これは全て想像の産物なのか。それとも雪舟が本物の天才で、天橋立を実際に歩いて風景を観察した結果なのか、もしくはこの時代に鳥瞰図を描く何らかの画法が存在したのか。最後に、体外離脱という離れ技をやってのけたのか?とまで考えた。
 そこで我に返った。案外簡単な理由かもしれない。しかし『天橋立図』に凄まじさを覚えた。これは絵に限らず絶対的に必要なことだ。ともすれば、人は自分の世界しか見えていない事がある。
 グローバル経済のいま、日本だけではなく世界の情勢を考えていないと、ある日突然、偶発的に何が起こるかわからない。対岸の火事が飛び火することもある。
 さまざまなシュミレーションを行い、将棋の駒を動かすように、さまざま対応策を考え準備しておく時代になったと感じる。鳥のように空を飛んで、高みから観察する目を養おう。それは、人生のどんな場面でもきっと役に立つはずだ。



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