「裏返し」
「裏返し」という言葉から、いまはネガティブなイメージしか浮かんでこない。まず最初にオセロゲームを連想した。この世界は実際には、囲碁や将棋、チェスのように複雑で難解であるはずなのに。
オセロの駒は、いずれかの面が白で、その裏側が黒である。ひとつの駒は、一人の人間であったり、一つの国であったりするように思う。さらに物事すべてに表があり、裏がある。つまり常に両面がある。
例えば、数学では、ほぼ答えはひとつで、長い義務教育の間に、他の教科も正しい答えはひとつだけという何とも悲しい思いこみをしている方は多い。
理科という教科も、簡単明瞭に答えがでてくるものもあるけれど、多くは、あまりに複雑で理解不能な世界を語るわけにはいかないので、とりあえずの解答があるにすぎない。つまり、世の中の全ては、まだ解決されていない未知の領域が膨大に広がっている。
白か黒、いずれかにしたい。決めたい。そうしないと物事は何も進まない。それもまた事実である。ここに今、人類は大きなジレンマに陥っている気がする。
真理に到達するためには、まだまだ試行錯誤を繰り返していかなければいけないし、答えが見つかったとしても、それはとりあえずの正解にすぎない。義務教育の数学のような訳にはいかない。
人類共通の普遍的な問題を共に考えていく必要があるだろう。温暖化、地球環境、核保有、それらは、地球全体であり、自分自身への裏返しともなる。こうした思いをいかに伝えれば良いのだろうか。
国連という国際機関があるにも関わらず、また各国の政治的リーダー達は、おそらくこうした考えを持っている賢明な人達であるにも関わらず、実際のところオセロゲームの駒に過ぎなくなっている。
8/22/2023, 12:32:07 PM