葉月

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7/20/2023, 11:52:09 AM

「私の名前」

 私の名前(真名)は命に等しい。
 この事の意味に本当に気がつく人、または気がつかなければ命に関わる時がある。興味があればゲド戦記の『影との戦い』を読んで欲しい。しかし、読んでもこの本は、ただのファンタジー小説である。もし、あなたが深い力を宿していたら(希少だけど)その事は良くわかるはずだ。まだ目覚めていなければ、いつの日か救われるかもしれない。
 普段は、ニックネームを使うと良いだろう。
 名前以上に大切な事がある。どんな場合でも、いつかその時がやって来る事がある。さまざまな事件の報道の中に、時々精神鑑定を必要とするものがあるが、はたして病が原因なのだろうか?と思う事が良くあった。
 いま踏み込むと、ただのオカルトになるので、やめておこう。魂の存在、精霊などの存在が、物理学的に解明される時が来るだろう。また、それを乗り越える方法も見つかるはずだ。いまは意識を進化させる事が優先だ。いまは、それだけ危ない時代だ。
 その危なさの主な原因はITで(これだけだと限定はできないが)いままでの価値観が至る所で崩壊し始めている。またグローバル経済の世界なので、価値観の共有が必要だが、混沌とした状態なので、先が目えない。そこに忍び寄る得体の知れない影に囚われたら、おしまいである。誘惑は至る所にある。
 どうか名前を大切にして欲しい。そして、より良い方向に進んで欲しい。目覚めた時は戦って欲しい。あなたの味方を見つけて欲しい。すでに信仰のある方は神が守ってくださるだろう。
 戦争のない、人と人が殺し合う事のない世界となる様に祈っている。人類がさまざまな価値観を乗り越えていけるよう願っている。あなたの名に幸いを。

注意⭐︎推敲しました。

7/19/2023, 1:48:51 PM

「視線の先には」

 視線の先にはいつも月があった。
 小さい頃、満月の日の潮の干満が不思議だった。その謎を訊いても、周りの大人は誰も知らなかった。その答えを教えてくれたのは、中学一年の担任の理科教師だった。週に一度、必修クラブという授業があり、自由に好きなクラブを選ぶ事ができた。
 担任の先生の理科クラブを選んだ。確か、私ともう一人しか参加生徒がいなかった。アンケートで、中学の生徒一人一人の生年月日と(わかる人には)誕生時間を訊いたデータがあり、誕生日と満月との関係を調べていた。思えば、先生が趣味でやっていた研究のお手伝いに過ぎなかった。
 退屈極まりない作業だったけれど、まさに満月の日の満潮の時間に誕生した誰かを見つけると
「先生、またいました」
と、興奮ぎみに報告したのを覚えている。その時のデータ結果は知らない。多分、一年で終わる作業ではなかったし、私が卒業した後も先生は趣味で続けていたと思う。月は、私にとって特別な存在になった。
 地球と月は、兄と弟のような関係で、ご存知の方も多いから月の誕生秘話や、満月と生命の誕生に関する話は、ここでは割愛したい。
 海と陸地の比率は、7対3で、人間の肉体もその7割が水分で、満月の日の潮の干満を考えると、人間も何らかの影響は受けている。
 この時の理科クラブでの体験は、私の人生に大きな影響を与えたと思う。満月の日は、特に注意をしながら慎重に過ごす様にしている。もちろん月を愛でることも忘れていない。

7/18/2023, 1:14:01 PM

「私だけ」

 苦しみを抱えている時、世界中で自分だけが、不幸だと感じた時がある。まさに「私だけ」という感じで。
 そうした経験があるからか、どうなのか、よくわからないけれど、大金持ちになった人、絶大な権力を手に入れた人、歴史的名声を手に入れた人、他者から見て、とんでもなく幸福な人も「私だけ」なのかもしれない。そう感じるようになった。
 それは本当に幸せな事なのだろうか?
 この「私だけ」という感情は、それがポジティブなものであれ、ネガティブなものであれ、危うさを感じる。どちらも、その人の果てしのない心の渇きがあるように思う。そこには、先日の「優越感 劣等感」に似たようなテーマが内包されていると感じる。
 私には、そのどちらもが、何か危険な状況で、仏教の話の中の張りすぎた弓の弦は切れやすい例えに当てはまる気がする。
 いずれにしても、そこから抜け出るのは難しい。自分の置かれている状況が変えられるのなら、それが一番良いと思うけれど、そうできない場合、よく聞くお話ではあるけれど、十牛図がある。これは悟りに至る十の段階を図と詩で表したもので、私もこの十牛図を理解しようと勤めた。これが悟りへの入門といった所かもしれない。
 もちろん悟りに終わりはないし、ケン・ウィルバーが言う所の至高体験が起こったとしても、それは特別な事ではない。ここでも「私だけ」という思いに囚われたら、それまでなのだ。ここに至った時に「正しい答えはない」という思いが芽生えた。もちろん、この先に何か自分の知らない未知のものがあるに違いないと思う。要するに果てがない。
 ただ前に進む。終わりが来ても、また始まりがある。それを万物は繰り返している。そこで、ようやく心が少し軽くなった。それは「私だけ」ではないからだ。




7/17/2023, 6:51:00 PM

「遠い日の記憶」

 遠い日の記憶がある。五歳の時、両親がピアノを買ってくれた。ピアノ教室に通う事になった。初めての先生は若くて美しい先生だったけれど、弾き間違えると容赦なく手を叩かれた。両手は真っ赤に腫れ上がった。ピアノのレッスンを嫌がって泣き叫んだ。父は小さな私を無理やり抱きかかえて車に押し込み通わせた。ほどなく別の先生に代わったけれど、家での練習を毎日強要され、私の小指の第二関節と第三関節は潰れてしまった。ピアノを好きになれるはずもない。いくら練習しても上手くならなかった。
 あれは確か、小学五年生の時のこと。あまりにもピアノが下手なので、母が新しい先生を見つけた。N先生との初めてのレッスンの事をよく覚えている。その時弾いたのは、ちょうちょで、私が弾き終わると
「そのちょうちょは、飛んでいないね」と言われた。N先生が言いたかった事は、心をこめて弾くという事だった。心の中のちょうちょは、ピアノの音で羽ばたき始めた。その時、初めて音楽への愛に目覚めた。無理やり子どもに何かをさせても意味はない。子どもに音楽を習わせたいなら、親子で共に音楽を楽しむ事から始めないと、当然ながら愛は生まれない。
 いまは音楽を習わせてくれた両親に感謝している。けれど、ただ「やりなさい」と強制しても上達しない。もちろん勉強も同じだろう。
 ところが、私自身の育児は、いろいろ工夫したにも関わらず、子どもを極度の勉強嫌いにしてしまった。最後は、やりたくなければ、やらなくて良いを貫いた。
 N先生は偉大であった。やる気のない小学生に音楽への愛を目覚めさせたのだから。どうすれば、そんな事が可能なのだろう?
 正しい答えは、みつからない。確かな事は、愛さえあれば、どんな結果になっても後悔はない。そこに真実の愛があれば、どんな困難にも立ち向かう事ができる。

7/16/2023, 12:38:01 PM

「空を見上げて心に浮かんだこと」

 この文章を書き始めるのは、いつも夜で、大抵、寝る前には書き終わる。場合によっては、翌日推敲して丸一日費すこともある。いま、日曜日の夜九時過ぎで、クラッシック番組のハイドンの交響曲が流れている。
 空を見上げてみた。月のない夜で、強い街の灯りで、薄暗い青い空に雲が浮かんでいた。星は見えない。この街の夜空は子どもの頃のものとは違う。美しく星が瞬く空は、この地球と繋がる宇宙の広がりが感じられるが、いまは何かが大切なものを覆い隠しているみたいだ。蒸し暑い大気が満ちていて、今夜も寝苦しい夜がやって来る。
 この空はにせものに違いない。本物の空を探しに行かなければいけない。空と大地とが呼応して、ひとつに繋がっている場所を求めて行こう。そうした場所に立ち、この宇宙から生まれた星の子だと伝えよう。そして魂を彼方へと飛ばすのだ。
 無限とは、私の心の中に、誰かの心の中にしかない。想像のなかでしか存在できないものだ。無限と一体となれる空の下で、私は何を見つけるのだろう。





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