「遠い日の記憶」
遠い日の記憶がある。五歳の時、両親がピアノを買ってくれた。ピアノ教室に通う事になった。初めての先生は若くて美しい先生だったけれど、弾き間違えると容赦なく手を叩かれた。両手は真っ赤に腫れ上がった。ピアノのレッスンを嫌がって泣き叫んだ。父は小さな私を無理やり抱きかかえて車に押し込み通わせた。ほどなく別の先生に代わったけれど、家での練習を毎日強要され、私の小指の第二関節と第三関節は潰れてしまった。ピアノを好きになれるはずもない。いくら練習しても上手くならなかった。
あれは確か、小学五年生の時のこと。あまりにもピアノが下手なので、母が新しい先生を見つけた。N先生との初めてのレッスンの事をよく覚えている。その時弾いたのは、ちょうちょで、私が弾き終わると
「そのちょうちょは、飛んでいないね」と言われた。N先生が言いたかった事は、心をこめて弾くという事だった。心の中のちょうちょは、ピアノの音で羽ばたき始めた。その時、初めて音楽への愛に目覚めた。無理やり子どもに何かをさせても意味はない。子どもに音楽を習わせたいなら、親子で共に音楽を楽しむ事から始めないと、当然ながら愛は生まれない。
いまは音楽を習わせてくれた両親に感謝している。けれど、ただ「やりなさい」と強制しても上達しない。もちろん勉強も同じだろう。
ところが、私自身の育児は、いろいろ工夫したにも関わらず、子どもを極度の勉強嫌いにしてしまった。最後は、やりたくなければ、やらなくて良いを貫いた。
N先生は偉大であった。やる気のない小学生に音楽への愛を目覚めさせたのだから。どうすれば、そんな事が可能なのだろう?
正しい答えは、みつからない。確かな事は、愛さえあれば、どんな結果になっても後悔はない。そこに真実の愛があれば、どんな困難にも立ち向かう事ができる。
7/17/2023, 6:51:00 PM