「私だけ」
苦しみを抱えている時、世界中で自分だけが、不幸だと感じた時がある。まさに「私だけ」という感じで。
そうした経験があるからか、どうなのか、よくわからないけれど、大金持ちになった人、絶大な権力を手に入れた人、歴史的名声を手に入れた人、他者から見て、とんでもなく幸福な人も「私だけ」なのかもしれない。そう感じるようになった。
それは本当に幸せな事なのだろうか?
この「私だけ」という感情は、それがポジティブなものであれ、ネガティブなものであれ、危うさを感じる。どちらも、その人の果てしのない心の渇きがあるように思う。そこには、先日の「優越感 劣等感」に似たようなテーマが内包されていると感じる。
私には、そのどちらもが、何か危険な状況で、仏教の話の中の張りすぎた弓の弦は切れやすい例えに当てはまる気がする。
いずれにしても、そこから抜け出るのは難しい。自分の置かれている状況が変えられるのなら、それが一番良いと思うけれど、そうできない場合、よく聞くお話ではあるけれど、十牛図がある。これは悟りに至る十の段階を図と詩で表したもので、私もこの十牛図を理解しようと勤めた。これが悟りへの入門といった所かもしれない。
もちろん悟りに終わりはないし、ケン・ウィルバーが言う所の至高体験が起こったとしても、それは特別な事ではない。ここでも「私だけ」という思いに囚われたら、それまでなのだ。ここに至った時に「正しい答えはない」という思いが芽生えた。もちろん、この先に何か自分の知らない未知のものがあるに違いないと思う。要するに果てがない。
ただ前に進む。終わりが来ても、また始まりがある。それを万物は繰り返している。そこで、ようやく心が少し軽くなった。それは「私だけ」ではないからだ。
7/18/2023, 1:14:01 PM