朝起きて、いつもと変わらない風景に喜んでくださいと能登半島の人は言ったが、結局人々にその歓喜が伝わらなかった。
住宅から家族が離れ、近くのマンションも全員が立ち退きされて、そこら一帯が解体された。一カ月も崩壊する建物の地響きが続いた。工事の騒音までも、いつもの日常を掻き乱す。食器棚からコップと皿が、毎日のようにガチャガチャと耳につんざく悲鳴を上げる。騒音にうるさいなとぼやく言葉が最もうるさい。
解体するのは、当然外国人労働者だ。長年、日本人の住民が溜めに溜めた埃と塵と生活臭を崩して壊してならしていく。勝手に建てて、勝手に出て行って、勝手に壊す。そんな日本人の尻拭いをさせられる彼らの嘆きと怒りが、終わらない地響きと共に聞こえてくる。
だが、日本人には聞こえない。まだ工事が終わらないのかと呆れ果てて、文句を言うばかり。実に身勝手極まりない。いずれ自分たちの家も解体されるというのに悠長なことだ。
生家という居場所を失う恐怖を未だに知らない者は多いだろう。私の生家は他人の家になった。人はいる、けれども祖先はもういない。
生家を解体された人は、どこまで失うのだろうか。祖先が消えるだけならまだマシだ、と思ってしまうディストピアが、徐々に広がっていく。
今日も解体された家を見た。ガラガラと音を立てて崩れていく。不意に、図書館で出会った親子を思い出した。絶滅した恐竜を可哀想と悲しむ子どもに、親はいつかは人間も滅ぶよと教えた。
随分と恐ろしい返事だったが、数億年前に消えた生き物を嘆いてくれる生命体がいた喜びだったのかもしれない。
私も解体された家に可哀想と涙を流さなくてはならない。いずれ、私の生家も実家も街の開発という名目で解体される。そうして何世紀も超えて、涙がすっかりと蒸発して空気になったころ、この土地に住んでいた人間がいたんだなと誰かが想いを馳せてくれるだろう。
たとい玉が砕けても、瓦は砕けないというが、そのぐらいしぶとく生き残れば人として上等だ。瓦との再会であれ、珠のような感涙が流れたら、実に美しい風景になるだろうな。
(250412 風景)
「僕が「君」って呼ぶと、周りから恋とか愛とかBLとか言ってくるのは、何故なんだろうね」
「さあ? そういう人は、君っていう存在がいなくて愛に飢えているんじゃない。羨ましいとか妬ましいとか美しいとか思って、わたしたちに飢えた愛を押し付けているんだ」
「いっそのこと、自分自身を愛せば良いのに」
「それでも、自分を更に2人に分裂して、恋の妄想をする人はいるよ」
「そもそも、2人が並んでだけで、なんで恋が始まるのかな。別に、友人でも仲間でも家族でも良くない?」
「誰かと2人っきりになれる機会がないんだよ、恋しか見えていない人たちは」
「そういう人たちから性欲を取ったら、いったい何が残るだろうね」
「何も残らないよ。人肌が冷めていくだけ」
「わあ、悲しいなあ。人間は自然にだって恋できるのに、もったいない。人間は人間にしか、恋も愛もできないと思い込んでいる人って寂しいなあ」
「寂しくなった? それなら、わたしに自然に恋した人を教えてよ」
「もちろん! まどのともし火っていう詩歌だよ。一目みてはや恋しきは此世なるえにしのみにはあらじと思ふ」
「良いね。窓の光の奥に通ずる、前世の恋の道を見つけられたよ」
「君と僕もそんな関係だよね」
「聞かなくても分かるでしょ。もっとわたしのために自信を持って」
(250411 君と僕)
「私、貴方から俳句をいただいた夢を見たのです。そういう夢を見たと、自信を持って言っても良いですか」
「実にナンセンスだ。1990年代の薔薇よ、夢は誰でも見るものであり、所有するものだ。お前が自信を持たねば、夢は潰える。夢みるひとに憧れているなら、尚更自信を持て、胸を張れ、汝薔薇ならば花開かん」
「ああやはり、1800年代に咲いた薔薇は本当に美しいですね。夢の中でいただいた句も、胸の中に烟る黒煙を溜め息にして吐くほどにさぞ麗しかったのでしょう」
「その様子だと、覚えていないのか」
「はい。届いた荷物の宛先の代わりに、貴方の句が書いてありましたが、真っ白に輝いていて、よく見えませんでした」
「やれやれ、流行にしか飛べない鶏の翼は夢の中でも邪魔をするのだな。仕方ない、私のナンセンスな句だ。お前のナンセンスで代わりに詠んでみろ」
「まあ困りました。俳句なんて全く思いつきません」
「心配するな、私の友人が言っていた。歌は小便を垂らすように詠んだらいいと」
「なるほど、生理現象に似た気持ちで書けば良いのですね。——ぬばたまの ともし火に咲く そうびかな」
「うん。及第点だ、悪くない。今度は、しっかりとお前のもとに私の詩を届けよう。夢の中で待っててくれ。さあ、おやすみよ」
(250410 夢へ!)
元気かなと聞いてくるお前の黄ばんだ歯に映る鏡の向こうの狼が牙を剥き出し警戒する唸り声に響く水道水の波紋から腐った臭いに混じって溜め息を吐く耳と月経を垂らす鼻と口から出てきた赤子を必死になって押さえ込んで吐き散らして隠して見せびらかす腹の中で暴れるアニマとアニムスを慰める母性に去勢され犯す父性に子宮を奪われ矛と盾を繋ぎ合わせて壊して馬と鹿をくっつけてシャム双生児を産み出して死に入り穴に入り奥へ奥へと足をバタバタと踏み鳴らし歯をガチガチと噛み鳴らし瞳の奥にいる相手の顔を覗き込んで元気だった相手を引き摺り出して曝け出して心臓を掻きむしって殺した大丈夫と聞いて大丈夫としか言わせないお前は元気なのか。
(250409 元気かな)
良い子におなりと交わした約束を守り続けて、今も良い子でいる大人がたくさんいる。
全員同じ姿にさせるルールを守り、失敗を見つけたら叫ぶ習慣を続け、良い子になれないと駄々を捏ねて、代わりに相手を悪い子にさせる。
いつから言われたのか。もう忘れるほどに遠い約束を、良い子らしくいつまでも守り続けている。
愚痴を吐けば金言と褒められ、暴言を叫べば鶴の一声と決まり、クソと言えばクソである。そもそも、本当に良い子は口から脱糞をしない。
ルールによって成長を縛られた良い子は、今もうようよとわいて出てくる。良い子になれという約束は絆に変わった。うましか者の首を繋ぐには、ちょうど良いだろう。
歯磨きをしながら話す口元にシワが増えた。泡と唾を撒き散らしても掃除をしない。そんな奴はお前しかいないのに、よくもまあ他人を自分と同じ姿にさせるルールを守ろうとするものだ。
歯ブラシを口に咥えたまま話してはいけませんと、誰も言ってくれなかったのか。お前を良い子にしてくれる人は、今までいなかったのだな。なら、良い子になれというルールは、いったい誰が言い出したのだ。
己の呪縛から解き放て、馬鹿者よ。
(250408 遠い約束)