夢を見る少女のような人間は有象無象いるのに、
人に夢を見せるような人間はいずこにいるのか。
胡蝶が羽ばたくような人間と巡り逢えていない、
なんとも全く夢のない人間に生れ堕ちたものだ。
(250607 夢見る少女のように)
そう言って、どんなにも勇気を出して一歩進んでも、最後に行き着く先は黄泉比良坂。
桃の木を横切り、竹の群れをすり抜け、葡萄の蔓を潜り抜けてしまったら、腐臭と死臭が漂うイザナミと対面だ。身体にへばりついている八つの雷たちは、相変わらずやかましい。くしゃみもするし、咳もするし、痰も吐くし、豚のような笑い声もする。
イザナミなんか口から脱糞している。悪魔の製造に忙しい。そんなだから、私を騒がしい雷の豚児どもと見間違っても致し方ない。あちらは目までも腐っているのだ。自分の醜い姿さえも見えていない。だから、私が文字通り、現世に後ろ髪を引かれていることにも気づいていない。
やはり、こんな穢らわしい場所から出ていくべきなのだ。いやそれでは、また身を滅ぼしてしまう。ここから出ていっても良いと確信するまで、耐えねばならない。
いつかは現世に通ずる私の髪が、イザナギに見て触れて、願わくば、三つ編みにして欲しい。
自らをナイル河の一滴と例えたイザナギに、どんな道であれその道を歩み続けるイザナギに、そして、人間に生まれたのだから、本当の耳と目で聞いて見て生きよと言うイザナギに、私のたましいと繋いでいて欲しい。
黒にも茶にも赤や金、更に白にも輝く私の髪をどうぞ編んでください。私の良き父たちよ。
(250606 さあ行こう)
……波紋が煌めきに瞬く。
「水たまりの底に映る空のような青い瞳ですね」
「酸性雨と排気瓦斯で、すっかりと穢れてしまった色だろう? 君の目が潰れちゃう前に、早く僕の目の前から立ち去った方がいい。汚れちゃうよ」
波紋は淀めいて涸れゆく……。
(250605 水たまりに映る空)
人が花や植物に癒されるのは、「それが無関心だから」とジョルジュ・サンドが言ったらしい。
私が中学生の頃に見かけた同級生に対しても、そのような感情を向けていた。グランドの隅にある、木々の側で、長身の彼も木のように真っ直ぐに立っていた。陸上部だった彼は、毎日部活に励んでいたのだろう。照りつく太陽に焦がされて、黒い肌を輝かせていた。青春に生命は溢れ、汗さえ玉のように煌めていた。
黒い常緑樹みたいな人だなと思ったから、つい「あの人、格好いいね」とぼやいた。隣にいた友人は、急に慌てふためく。そして、騒ぎ出した。
「好きなの? ◯◯が好きなんだ!」
私の意図が向こうに伝わらなかったと気づいた時には、もう遅かった。
思春期の子どもたちの恋なる噂は、馬と鹿が駆けていくように、すぐに伝わってしまう。黒い常緑樹の彼の耳にも、あっという間に届いた。私は飽きれ果てて、彼を見向きもしなかった。見ることも出来なかったというべきか。
私の見た目が麗しい少女だったら、相手の目を見つめながら、真意は違えども好意を持っていると彼に示せられただろう。だが私は、豚みたいな顔と大根のような足を持った醜い子どもだった。人に見られること自体、嫌だった。
だから、見た目なんて気にせず、誰にも彼にも無関心でいてくれる草花を観察するのが好きだった。その観察が人間でも出来る、と高を括った中学生の私は、やはり馬鹿だった。頭と性器が連動している野次馬に囲まれた学校は、実に窮屈であった。黒い常緑樹の彼も、気がついたら、その馬どもの中に群がっていった。
植物を人に例えて愛でる文化がありながら、人を植物に例えて愛でることさえ許されない環境に、私はとにかく息苦しかった。
人が相手のことをどう見ようが勝手にしてくれ、と迷える羊のように、いっそのこと見放して欲しかった。
(250604 恋か、愛か、それとも)
約束だよと父に言っても、
なんで俺なんだと言って、
年季あるウイスキーを眺めながら
缶ビールを飲んでいる。
約束だよと母に言っても、
お前と約束できる人としなさいと言って、
洗濯かごとゴミ箱と包丁をバンバンと鳴らして
口からクソを漏らしている。
兄弟もいたと思うが、
血を分けていたはずなのに
手を繋いだこともないから、
約束の指切りさえもできない。
祖父も祖母もどっちも死んだ。
仕方ないから、私のアニムスと約束をした。
いつか、一族の終の花となって散ろうね。
アニムスは嫌だよ死にたくないよと泣いている。
誰も私と約束をしてくれないから、
自分の小指を全部摘んでねじって
砕いて潰して引き千切って叩きつけた。
白い指から赤い肉が花のように散っている。
(050603 約束だよ)