はた織

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4/7/2025, 1:45:12 PM

 私のおばあちゃんの魔法は、いつ聞いても面白い。
「フラワースペルって言うんだよ」
 そう言って、私たちの会話によく花を咲かせた。
 マリアマリリス、カメリアリスト、サフラミー、イリススマイル、アマランスハー、サントオレアオン、アシパトランカ、アリノヒフキ。
「そして、ハーツィーズ」
 いつもの最後の呪文を唱えて、おばあちゃんと私の手で3つのハートの形を作った。おばあちゃんの丸い右手の下に私の丸い両手を添える。本当に花が咲いたようで、私はこのフラワースペルが大好きだ。何より、おばあちゃんともっと仲良くなれた気持ちになる。
「ねえ、おばあちゃんのとっておきの魔法を教えてよ」
「とっておきの魔法は秘密だよ。りよちゃんにも教えられないの」
「どうして?」
「本当に想いを込めた魔法は、本当によく見てよく聞く人にしか見えないんだよ。うっかりと教えちゃったら、魔法が台無しになるでしょう?」
 今までそんな人と出会えたかと尋ねたら、それも秘密と笑って返された。私もおばあちゃんがいう本当によく見てよく聞く人になれるかなと夢見た。
「そういえば、庭の中でやけに背の高い花を見つけたよ」
「へえ、何色の花だった?」
「青だったよ。他の花と違って茎の長さも色も違うから、すごく目立ってた。道端に咲いていたら、思わず足を止めちゃうかも」
 おばあちゃんは上機嫌だ。口に手を添えて噴き出しそうな笑みをくすくすと堪えている。
「鴎も寄ってきそうなぐらい綺麗でしょ」
「多分そうかも」
 あの時は適当に返事をしたが、後々になって思い返してみると鴎の意味が分からない。鴎もおばあちゃんのフラワースペルのひとつだった? それとも、あの青い花がおばあちゃんのとっておきの魔法?
 何の花かと思い出すも名前が出てこない。真っ直ぐに茎を伸ばす青い花。どの花よりも高くて真っ直ぐに美しい。空に向かって咲く花びらは、空の青さよりも濃かった。空を見上げる黒目のようなめしべと目が合った気がする。ぱちぱちと瞬いていたようだった。わたくしはわたくしの花を咲かせます。そんな声が聞こえた。名前を尋ねても、貴方はもう知っていると返された。
「ごめんね、分からないや」
 私はお詫びに、ハーツィーズのフラワースペルを手で作った。正直でいい子だねと、矢車のような青い花は微笑んでくれた。
                 (250407 フラワー)

4/6/2025, 12:15:29 PM

 読書家の私からすれば、本も地図のようなものだ。
 見慣れた本棚に潜む見慣れない背表紙。本を抜けば、路地裏のように薄暗い隙間が現れる。思わず、迷い込んでみたくなる小道だ。
 けれども、今日はこの本に描かれた知識と経験の地図を読みたい。そう地図を広げたら、私の頭の中で薄い氷が張っていく。薄氷の上には一本の指が滑っている。滑らかな動きには迷いがない。確か、幸田露伴の指だった気がする。
 彼の娘の幸田文が記した「結ぶこと」を思い出した。本を読んで分かるとは何か。彼女の問いに、露伴は「氷の張るようなものだ」と答えた。
 様々な知識が、水の上で手を取り合って一つの円を描いた時、内側の水面に氷が張る。これが「分かる」ということらしい。ああ、確かに分かる。私の「分かる」も一つの丸い氷となって輝いた。
 その薄氷もただ凍った水ではなく、様々な氷晶を咲かせているのだろう。もしかしたら、氷晶でできた地図かもしれない。花と魔法陣と瞳が瞬く、何と美しい地図だろうか。
 私の中に培われた知識たちも、氷の円を描いて、儚くも美しい地図を描いていたらいい。いや、もうすでに描いている。幸田家に受け継がれた読書を氷の粒として授かっている。
 そんな氷を、人は脆い知識だというだろう。だが、熱に溶ければ血潮となり、砕け散っても気化して空気となって誰かの息吹になる。
 実際に、私の頭の中で親子の仲睦まじい呼吸が吹いた。柔らかな風のように知識の薄氷の上をすっと滑っていく。風に乗って、チラチラと氷晶が飛び出して輝いた。「分かる」氷の結晶が光ったら「閃き」になるだろう。
 今手にした新しい地図はどんな風に輝いて閃くのか、今後の私の知恵に期待だ。
                (250406 新しい地図)

4/5/2025, 1:53:43 PM

 新しく入った人に「本が好きだから図書館の仕事をしているのですか」と尋ねられた。生活科の授業に来た小学生みたいな質問だ。私は思わず相手をまじまじと見てしまった。
 175cmもある背の高さだけ一人前の大人だ。彼の何とも幼稚で頼りない雰囲気から、ゆとりある平成初期に生まれた人間なのだろうと察した。おそらく、彼も好きなものにしか興味がないように躾けられてしまったかもしれない。
 確かに、私は読書好きが高じて図書館に勤めているが、そこが自分にとって居心地が良いから働いている。
 だいたい、本好きならどこにでもいる。別に書店でなくても、古書店でなくてもいい。むしろ、そこを訪れる客のほうが本好きだ。そもそも本が好きで働くなら、作家や装丁家、編集に校正者など書籍に携われる職業はたくさんある。
 図書館で働く者が皆本好きに見えるとは、子どものように可愛らしい発想だ。本当に子どもだったら、「うん、本が好きだよ」と微笑み返していた。だが、身なりだけ清潔なのにマスクで無精髭を隠す男に返す言葉はない。
 「はあ、そうですね」と疲れ切った返事をしたが、向こうは聞きたがりなのか。別の日に、私が借りた本を見て「こういう本が好きですか」とまた聞いてきた。
「別に、読みたかっただけです」と返した。
 はっきりと言って、私にとって本とは食べ物と同じだ。自分の身体に必要だから食べ物を摂取するように、自分の心に不可欠だから本を読む。白飯をかっこんでいる傍で、「ご飯が好きなのですか」と馬鹿に聞いてくるのと同じだ。聞かなくとも見れば分かるだろう。
 こんな私の素っ気ない態度に、とうとう相手は耐えられなくなったようだ。ある日の昼休みに、彼と同席して昼食を摂ることになった。扉から入ってきた私を見るなり、先に休憩を取っていた彼に睨まれる。「僕のこと嫌いですか」と突然言ってきた。
「何でそんなことを言うんですか」
 私はすぐに言い返した。向こうは、急にうんともすんとも言わなくなった。言い返す術をものの数秒で失ってしまったらしい。
 この時の私は、貸出カウンターで多くの利用者の対応に追われて、10分以上も休憩に遅れた。4階にある休憩室まで長々と階段をのぼり、ようやくご飯が食べられるという安堵の気持ちでいたのにこの様だ。大人になれなかった子どもとはこういう人間なのだなと、私は半熟のゆで卵を噛み締めながら思い知った。
 結局、彼は一年足らずで退職した。どうせ辞めると分かっていた。
 他人の好みを勝手に決めつけてしまう辺り、彼は観察力も記憶力もある自分自身を好きになってほしいと人に求めていたのだろう。職場の人間はほとんど女性しかいないから、母性も追求していたのだろう。自己承認欲求に囚われた人間だ。この職場に来る前から、そんな甘えた調子だったに違いない。
 彼の用意したデパ地下のブランド菓子も、女どもはどうせこういうのが好きなんだろうという偏見がにじみ出ている。豪華絢爛な缶ケースの上には、白くて簡素なメモが貼ってあった。業務用連絡にしか見えない。これが別れの言葉かと、雑な贈り物に私は一切手を出さなかった。
 彼のように、人に好き嫌いの判断を任せないと生きていけない人間がいる。こちらとしては、自分自身で物事の是非を決めてほしいものだ。自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよと茨木のり子もそう詠った。
 戦後すぐに、文学を杖に立ち上がった不屈の詩人がいたというのに、戦後80年近く過ぎて、何も掴めずにさまよい続ける子どもがいる。食べ物や嗜好品に溢れた世の中だというのに、まるで乞食のようだ。そんな子どもに向かって、自ら好きだと言わねば一生大人にはならない。
 私は本が好きな自分が好きだから、読書を続けている。かと言って、まだ大人ではない。未だ子ども相手に怒ってしまう。もちろん、大人になれなかった子どもにだ。
                 (250405 好きだよ)

4/4/2025, 12:59:54 PM

 桜は木の下によく死体を埋められてしまうが、桜の花びらで人を殺そうと思えばできるらしい。
 岡本かの女の『金魚撩乱』にそんな場面がある。男子に女らしくなれと追い詰められた少女が、彼に向かって桜の花びらをばら撒いた。すると偶然にも、相手の口の中に花びらが入った。しかも喉と上顎の間にくっついた。舌先でも指先でも届かない所に、花びらがくっついてしまったのだ。
 私はこの場面を読んで、自分の口の中にも桜の花びらを入れられたような不快さを覚えた。肉壁にくっつく花びらは、人の肌のような柔らかさはあるが、ぬくもりを一切感じられない。有機物に化けた無機物である。異物混入に当然吐き気を催した。
 ただ桜は日本人からすれば、人間の生命を象徴する花だ。桜餅にしたり、あんぱんに添えたり、桜の葉で肥えた虫までも食したりする文化がある。花見だけでは物足らず、毒がある桜の葉を体内に摂取して命の糧にしている。桜は日本人の生命の源だ。そして、生死の原点でもある。
 そんな桜に殺されるなら本望ではないか。しかもか弱い女子が、落ちた花びらをわざわざかき集めて放り投げたのだ。花のたおやかさとしたたかさを実に表している。
 私の上顎にくっついた花びらが、体液に溶かされて、肉の層に溶け込んでいったら、私のたましいをさぞ美しくしてくれるだろう。死を受け入れる綺麗な死に方だ。
 ただまあ、そこまで情緒溢れるような生き方をしていないので、私は慌てず騒がず、綿棒で花びらを取り出して、そのままゴミ箱に捨てるだろう。
 桜の木の下には死体があるが、散った花びらの大半はゴミと化す。これが今の人間の一生か。
                    (250404 桜)

4/3/2025, 12:54:20 PM

「君と歌うと楽しいね」
 男は心底笑った。知識豊富に語ったその顔は、今は幼稚に破顔している。彼の友人だったか、座れば老いた賢者、立てば幼い青年と言っていた。正にその通りであり、座っていても子どもらしい姿を見せた。
 彼は縁側に座って、人目も気にせず鼻歌混じりに笑っている。隣にいる彼女のおかげだろう。彼はもう一度、先ほどの唄を歌った。彼女も合わせて歌い出す。
 ある世界に住むバケモノの言葉を歌詞にしたようで、人間の耳で聞いても分からない言語だ。発音によっては、フランス語だったり、英語だったりと世界各国の言語に聞こえる。
 彼女は、舌を巻くような歌い方をたいそう気に入っている。上手く舌を震わせて歌えた時の爽快感が、実にたまらないようだ。対して、彼は彼女のように器用に舌先を扱えないので、単調な歌い方になってしまう。
 そもそも、彼は音痴だ。初めて人前で歌った時、彼の親友が非常に驚いていた。その親友に、頭脳明晰で博覧強記の君でも苦手なものがあるのかと言われてしまった。
 そのせいで、彼は誰に対しても歌唱を披露しなくなった。どんなに機嫌良く鼻歌をしたくても、外れた音程を人に聞かせたくないと嫌がった。だが彼女の前では、そんな意地なんてどうでもよくなった。
 実は彼女の歌もあまり上手ではない。けれども、歌う気持ち良さを求めて、下手でも歌った。
「周りが聞いても知らない言語なら、音痴でも平気でしょ」
 あの時の彼女は、不敵に笑っていた。
「みんながその言語を覚えてしまったらどうするの?」
「創作言語で歌えば良いじゃない」
 これには思わず彼は噴き出した。物事を難題にさせてしまう彼の頭を柔らかくしてくれた言葉だった。
「やっぱり、君と歌うと安心するね。君に守ってくれているみたい」
 中庭に生える草花を観客に、2人は縁側で歌った。一息ついた後、彼の幼い微笑に彼女は照れ笑いした。これ以上上手く言えないようで、鼻歌で誤魔化した。バケモノたちが願った星の唄を歌っている。塵のように捨てられたバケモノが、流れ星に願って涙を流した唄だ。彼女の鼻歌から、2人にしか伝わらない歌詞が聞こえた。
「自由に歌うように、自由に生まれたら良かったとへこんでしまった時があったよ。でも、君と会えたから、不自由に生まれても悪くないなって思えたよ」
「待って。さすがに、それは言いすぎだって」
 彼女の鼻歌が止まった。鼻を啜っている音がする。笑顔で盛り上がる頬に涙が伝った。
 彼の赤い唇が、にこやかに口角を上げる。人に嬉し泣きさせるほどに、正直に生きられるようになって本当に良かったと、彼は口を開けて笑った。
                   (250403 君と)

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