はた織

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 新しく入った人に「本が好きだから図書館の仕事をしているのですか」と尋ねられた。生活科の授業に来た小学生みたいな質問だ。私は思わず相手をまじまじと見てしまった。
 175cmもある背の高さだけ一人前の大人だ。彼の何とも幼稚で頼りない雰囲気から、ゆとりある平成初期に生まれた人間なのだろうと察した。おそらく、彼も好きなものにしか興味がないように躾けられてしまったかもしれない。
 確かに、私は読書好きが高じて図書館に勤めているが、そこが自分にとって居心地が良いから働いている。
 だいたい、本好きならどこにでもいる。別に書店でなくても、古書店でなくてもいい。むしろ、そこを訪れる客のほうが本好きだ。そもそも本が好きで働くなら、作家や装丁家、編集に校正者など書籍に携われる職業はたくさんある。
 図書館で働く者が皆本好きに見えるとは、子どものように可愛らしい発想だ。本当に子どもだったら、「うん、本が好きだよ」と微笑み返していた。だが、身なりだけ清潔なのにマスクで無精髭を隠す男に返す言葉はない。
 「はあ、そうですね」と疲れ切った返事をしたが、向こうは聞きたがりなのか。別の日に、私が借りた本を見て「こういう本が好きですか」とまた聞いてきた。
「別に、読みたかっただけです」と返した。
 はっきりと言って、私にとって本とは食べ物と同じだ。自分の身体に必要だから食べ物を摂取するように、自分の心に不可欠だから本を読む。白飯をかっこんでいる傍で、「ご飯が好きなのですか」と馬鹿に聞いてくるのと同じだ。聞かなくとも見れば分かるだろう。
 こんな私の素っ気ない態度に、とうとう相手は耐えられなくなったようだ。ある日の昼休みに、彼と同席して昼食を摂ることになった。扉から入ってきた私を見るなり、先に休憩を取っていた彼に睨まれる。「僕のこと嫌いですか」と突然言ってきた。
「何でそんなことを言うんですか」
 私はすぐに言い返した。向こうは、急にうんともすんとも言わなくなった。言い返す術をものの数秒で失ってしまったらしい。
 この時の私は、貸出カウンターで多くの利用者の対応に追われて、10分以上も休憩に遅れた。4階にある休憩室まで長々と階段をのぼり、ようやくご飯が食べられるという安堵の気持ちでいたのにこの様だ。大人になれなかった子どもとはこういう人間なのだなと、私は半熟のゆで卵を噛み締めながら思い知った。
 結局、彼は一年足らずで退職した。どうせ辞めると分かっていた。
 他人の好みを勝手に決めつけてしまう辺り、彼は観察力も記憶力もある自分自身を好きになってほしいと人に求めていたのだろう。職場の人間はほとんど女性しかいないから、母性も追求していたのだろう。自己承認欲求に囚われた人間だ。この職場に来る前から、そんな甘えた調子だったに違いない。
 彼の用意したデパ地下のブランド菓子も、女どもはどうせこういうのが好きなんだろうという偏見がにじみ出ている。豪華絢爛な缶ケースの上には、白くて簡素なメモが貼ってあった。業務用連絡にしか見えない。これが別れの言葉かと、雑な贈り物に私は一切手を出さなかった。
 彼のように、人に好き嫌いの判断を任せないと生きていけない人間がいる。こちらとしては、自分自身で物事の是非を決めてほしいものだ。自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよと茨木のり子もそう詠った。
 戦後すぐに、文学を杖に立ち上がった不屈の詩人がいたというのに、戦後80年近く過ぎて、何も掴めずにさまよい続ける子どもがいる。食べ物や嗜好品に溢れた世の中だというのに、まるで乞食のようだ。そんな子どもに向かって、自ら好きだと言わねば一生大人にはならない。
 私は本が好きな自分が好きだから、読書を続けている。かと言って、まだ大人ではない。未だ子ども相手に怒ってしまう。もちろん、大人になれなかった子どもにだ。
                 (250405 好きだよ)

4/5/2025, 1:53:43 PM