読書家の私からすれば、本も地図のようなものだ。
見慣れた本棚に潜む見慣れない背表紙。本を抜けば、路地裏のように薄暗い隙間が現れる。思わず、迷い込んでみたくなる小道だ。
けれども、今日はこの本に描かれた知識と経験の地図を読みたい。そう地図を広げたら、私の頭の中で薄い氷が張っていく。薄氷の上には一本の指が滑っている。滑らかな動きには迷いがない。確か、幸田露伴の指だった気がする。
彼の娘の幸田文が記した「結ぶこと」を思い出した。本を読んで分かるとは何か。彼女の問いに、露伴は「氷の張るようなものだ」と答えた。
様々な知識が、水の上で手を取り合って一つの円を描いた時、内側の水面に氷が張る。これが「分かる」ということらしい。ああ、確かに分かる。私の「分かる」も一つの丸い氷となって輝いた。
その薄氷もただ凍った水ではなく、様々な氷晶を咲かせているのだろう。もしかしたら、氷晶でできた地図かもしれない。花と魔法陣と瞳が瞬く、何と美しい地図だろうか。
私の中に培われた知識たちも、氷の円を描いて、儚くも美しい地図を描いていたらいい。いや、もうすでに描いている。幸田家に受け継がれた読書を氷の粒として授かっている。
そんな氷を、人は脆い知識だというだろう。だが、熱に溶ければ血潮となり、砕け散っても気化して空気となって誰かの息吹になる。
実際に、私の頭の中で親子の仲睦まじい呼吸が吹いた。柔らかな風のように知識の薄氷の上をすっと滑っていく。風に乗って、チラチラと氷晶が飛び出して輝いた。「分かる」氷の結晶が光ったら「閃き」になるだろう。
今手にした新しい地図はどんな風に輝いて閃くのか、今後の私の知恵に期待だ。
(250406 新しい地図)
4/6/2025, 12:15:29 PM