桜は木の下によく死体を埋められてしまうが、桜の花びらで人を殺そうと思えばできるらしい。
岡本かの女の『金魚撩乱』にそんな場面がある。男子に女らしくなれと追い詰められた少女が、彼に向かって桜の花びらをばら撒いた。すると偶然にも、相手の口の中に花びらが入った。しかも喉と上顎の間にくっついた。舌先でも指先でも届かない所に、花びらがくっついてしまったのだ。
私はこの場面を読んで、自分の口の中にも桜の花びらを入れられたような不快さを覚えた。肉壁にくっつく花びらは、人の肌のような柔らかさはあるが、ぬくもりを一切感じられない。有機物に化けた無機物である。異物混入に当然吐き気を催した。
ただ桜は日本人からすれば、人間の生命を象徴する花だ。桜餅にしたり、あんぱんに添えたり、桜の葉で肥えた虫までも食したりする文化がある。花見だけでは物足らず、毒がある桜の葉を体内に摂取して命の糧にしている。桜は日本人の生命の源だ。そして、生死の原点でもある。
そんな桜に殺されるなら本望ではないか。しかもか弱い女子が、落ちた花びらをわざわざかき集めて放り投げたのだ。花のたおやかさとしたたかさを実に表している。
私の上顎にくっついた花びらが、体液に溶かされて、肉の層に溶け込んでいったら、私のたましいをさぞ美しくしてくれるだろう。死を受け入れる綺麗な死に方だ。
ただまあ、そこまで情緒溢れるような生き方をしていないので、私は慌てず騒がず、綿棒で花びらを取り出して、そのままゴミ箱に捨てるだろう。
桜の木の下には死体があるが、散った花びらの大半はゴミと化す。これが今の人間の一生か。
(250404 桜)
4/4/2025, 12:59:54 PM