はた織

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3/24/2025, 1:08:06 PM

「もう二度と、殺意を抱かないように切っているのですよ」
 男は黒い紙を鋏で切っている。切られた紙には所々穴が空いて、光に透かして見ると文字が浮かんできた。一筆書きで綴ったような言葉の列である。黒い文字には殺、死、血など刻まれていた。
「これって、前に紹介したきりえ百首の真似?」
「エエ、そうです。実に良い本ですね。こうして、ワタシの創作欲が満たされて最高です」
 彼女は床に落ちていた紙を拾った。彼の切った黒い紙屑の中に埋もれていた言葉を指でつまんだ。影の中から文字がずるりと現れ出す。最後の言葉には白骨と刻んであった。
 彼女は彼の切り絵の短歌に見惚れている。何の言葉があるのか、理解するまで時間がかかったが、今では自らの呼吸音が聞こえなくなるほどに夢中になっている。
「ワタシの作品で人を感動させて泣かせてみたいのですが、できそうでしょうか」
「こんなおぞましいものでは、さすがに無理だと思うよ。でも、良い短歌だ。じぶんはずっと見ていたい」
「人の殺意を永久に見たい趣味がおありで?」
「どんな想いが込められていようが、読書をすれば綺麗になれる。そう、安野光雅が言ってたよ」
「殺意に磨かれた美ですか、なるほど。どうぞ、その顔をよく見せてください」
 彼は彼女の顔を覗き込んだ。椅子に座っている彼と床の上で屈んでいる彼女の視線が合う。先の尖った黒い紙に照らされた彼女の肌は白く反射していた。血の気ない不気味さと陶器のような神秘さ。白い骨が皮膚を突き破って現れたような異質の白さである。
「永久に葬りたい殺意を、須臾にきらめく美麗に変えてしまうなんて、ワタシは感動のあまり泣いてしまいそうです」
「ええ、本当に泣くの?」
 虚言に聞こえた彼の言葉は真意であった。アハハのハッハと、男は笑いながら泣いている。彼女の耳には、泣きながら笑っているように聞こえた。
 彼女が彼の頬に流れる涙を手の甲でそっと拭おうとしたら、彼の視線はまだ真っ直ぐであった。
「前に沼に沈めたあの骨が、アナタの白い肌によみがえってくれて嬉しいのですよ。ああ、もう二度と抱きしめられないのかと思っていました」
               (250324 もう二度と)

3/23/2025, 12:40:31 PM

 さんさんと照らす太陽よりも
 薄雲から透けている陽光が好き。
 ざあざあと降らす大雨よりも
 雲間から落ちてくる雨粒が好き。

 くもりがかった空は、
 白黒つかない灰色で
 明暗を分けられずに
 中途半端かつ曖昧だ。

 心までもくもらせるが、
 あのヴェールが私を守ってくれる。
 太陽の強烈な光を包んでくれる。
 大雨の硬い雨粒を受け止めてくれる。

 くもりは好い。
 肌も瞳も唇も
 何もかも全て
 灰色にしてくれる。
                  (250323 雲り)

3/22/2025, 1:43:06 PM

 先生に向かってバイバイと言ったら、違うよとすぐに返事をされた。唇を弾くようにして「Bye bye」と目を合わせて言ってきた。向こうが顔を近づけてきたので、私は身を引いて小声に先生の言葉を暗誦する。先生は「うーん、まだまだかな」と言って、また明日と私に手を振った。
 英語の先生だから、どうしてもカタカナ英語を聞き捨てならず、ネイティブ発音にしようと教えたがる。私はどうも耳と舌が悪いようで、上手く発音できない。よく先生の指導を受けてしまうが、マキノちゃんは違うよと言った。私は何故、人からすぐに違うよと言われてしまうのか。
「違うよー。さっちゃんのことを気に入ってるから、先生はかまってるんだ」
 そうは思えない。先生は英語の授業以外でも、休み時間にちょっかいを出してきた。私がお気に入りの曲を口笛で吹いたら、いつの間にか先生に聞かれてしまった。良い曲だね、なんていう題名なの?と、しつこく尋ねてきたから、最初は無視をした。
 二回目は体育の授業で暇つぶしに口笛を吹いたら、先生に見られてしまった。ごまかすように曲の題名を教えたら、翌日その曲を聴いたけれど、やはり君の口笛が良いと言ってきた。
 それ以降は、いったいどこで聞きつけてきたのか、私が口笛を吹くたびに先生が現れた。しかも二回も吹かないと気が済まない。最初は吹いてよ吹いてよと駄々を捏ねられて、一週間経った頃には、私は先生の前でその曲を二回も吹くようになっていた。私が二回目の口笛をすると、先生は待ってましたと気持ちのいい笑顔を見せた。
「うーん、確かに気に入られているかも?」
「でもさ、先生って最近休みがちだよね。会えなくて寂しいでしょ?」
 先生はもともと身体が弱かったらしい。本人曰く、坂をちょっと登っただけでも肺が駄目になるようだ。ここ数日は肺が重くなって、起き上がるのもやっとだとぼやいていたのを耳にした。
 お見舞いに行こうよとマキノちゃんの誘いに乗って、先生の自宅を訪れたが、家の人に断られた。先生が会いたくないと言っていたらしい。
 私は、口笛の件の仕返しで駄々を捏ねてやろうかと思った。けれども、先生の弟さんのとても悲しい顔を見て思い止まった。口笛を吹くので良いですかと弟さんにことわって、家の窓に向かって先生の好きな曲を吹いた。閉じられた窓は、無情にも夕日の光を跳ね返すだけだった。
 それから先生は学校に戻らなかった。肺の病気で亡くなってしまった。お葬式で享年29歳と聞いて、意外と若かったことに驚いた。私と一回りしか違わない人が若く死ぬなんて、本当に起こり得ることなのかと衝撃を受けた。
 お葬式の帰りに、先生の弟さんに口笛の子と呼ばれた。兄さんの為に二回も曲を吹いてくれてありがとうと頭を下げられた。あの日は、先生は吐血して、取り乱していたようだ。面会謝絶されても仕方なかった。
 そんな非常時に、カーテンを閉め切った窓の向こうから私の口笛を聞いて、先生は落ち着きを戻したという。けれども、先生はすぐに顔を青ざめた。こんな情けない姿をあの子の前では一生見せられないと泣いていたらしい。
 私はお葬式の日、先生の家族や友達、集まった人々のすすり泣く声を聞いて涙を流した。もらい泣きだ。しかし、泣いても私の心はすっきりしなかった。先生の為に泣いたという私の想いがなかったのだ。
 ああそうか、だからかと先生の墓前に向かって、私はつぶやいた。先生の三回忌をきっかけに、私は再び墓参りをしている。
 三回忌は家族の人だけ集まる予定だったが、私は頭の中に何かの知らせを受け取り、無理強いに参加したいと申し出た。先生の弟さんにまた会うと、もしかしたら兄さんは君のことが好きだったかもねと笑った。先生によく似た笑顔だった。
 その顔が脳裏に焼き付いて、私は思わず先生のお墓の前で口笛を吹く。もちろん、二回も吹こうとした。不意に、先生の待ってましたという顔が目の前に浮かぶ。
 驚いて瞬きをしたが、そこにあったのは長方形の石であった。渡辺家と機械で刻まれた墓石しかなかった。
 ああ、本当に先生はいなくなったんだなと私は涙を流した。もう口笛なんて二回も吹けない。こんなに、ぼろぼろと波を流したってわんわんと大声で泣いたって、先生は私の泣き顔を見ずに死んでいった。それこそ情けないじゃないか、渡辺先生! Bye byeって、格好よく別れるわけないじゃないか!
                (250322 byebye…)

3/21/2025, 12:59:13 PM

「ほろほろとほろびゆくわたくしの秋
初めて聞いた時は、お菓子を連想したよ。ブールドネージュっていうメレンゲを焼いたお菓子で、それの食感がちょうどほろほろしているんだ。本当は、フランス語で雪玉っていうんだけど、私にはこの粉砂糖の白さが萩の花に似てて、思わず持ちながらゆっくりと歩きたくなるんだ。歩きながら一つ一つつまみ食いして、ほろほろと白萩を噛み崩して、口の中でほろびゆく秋を味わっているよ」
 彼女の話を聞いて、彼はそうなんだと間延びした返事をした。照れ臭かった上に、気まずかったのだ。
 まさか、酔っ払いの鼻歌がこのような景色に生まれ変わるとは思ってもいなかったのだ。一つの句作から二つの景色が生まれた。たましいも二つに生まれて輝いているようだ。
 彼は不安になって、もしかして酔っているのかと彼女に尋ねた。お菓子に洋酒が入ってるから酔ってるかもと、彼女は白い顔を見せて、はっきりと答えた。
「そうかー、わたくしの秋はほろんで、君の秋に生まれ変わったんだ。とても美味しそうな秋になって良かったね」
 彼もお菓子をひとつまみした。丸い焼き菓子を口の中に放り込んだ。鞠のように舌の上で弾み、上顎に粉砂糖が舞い上がり、歯には崩れ落ちた生地が飛び散っている。砂糖と小麦粉と卵の甘さが、頬の中をしびれさせる。溢れ出る唾液で味が薄まっていった。
 やはり砂糖の甘さよりも、酒の苦さではないと身体が応えてくれない。神経と記憶と生死を狂わせる酔いを彼は今もなお求めている。
「俺がまたその歌を詠ったら、もう一度君の秋に呼んで」
「良いよ。今度は、お菓子に合うお酒を用意して待ってるよ」
              (250321 君と見た景色)

3/20/2025, 12:53:06 PM

 長き残暑を終えて、ようやく秋になって落ち着いた頃だ。
 図書館の中で、高齢の女性が楓の落ち葉を持っていた。近所に住む子どもたちが、よく小さな花や青い柿の実、落ち葉に枯れ枝などを持ってやってくる。子どもたちの無垢な笑い声と共に四季折々の風が吹く。長年たまった貴き埃の重みに耐えている書物も軽やかに頁を開く。その風を幼心がある老婆もそよそよと優しく流しているのだ。
 植物と手を繋ぐ姿は神々しく見える。植物にも宿る八百万の神の手を引いて共に歩むから自然と輝くのだろう。
 土だの塵だの足跡があるだのと言い訳をして、自然の落とし物を拾わない私の心には鬼が棲みついている。石も一緒に手を繋ぎたいと誘っているではないか。
 私は、数億年の空気と生死と記憶の重みに耐えた石を拾い上げて握りしめる。肌に食い込むその硬さをもって、心の鬼を斬る心の刀になっておくれ。一生手を繋ぎましょう。
               (250320 手を繋いで)

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