先生に向かってバイバイと言ったら、違うよとすぐに返事をされた。唇を弾くようにして「Bye bye」と目を合わせて言ってきた。向こうが顔を近づけてきたので、私は身を引いて小声に先生の言葉を暗誦する。先生は「うーん、まだまだかな」と言って、また明日と私に手を振った。
英語の先生だから、どうしてもカタカナ英語を聞き捨てならず、ネイティブ発音にしようと教えたがる。私はどうも耳と舌が悪いようで、上手く発音できない。よく先生の指導を受けてしまうが、マキノちゃんは違うよと言った。私は何故、人からすぐに違うよと言われてしまうのか。
「違うよー。さっちゃんのことを気に入ってるから、先生はかまってるんだ」
そうは思えない。先生は英語の授業以外でも、休み時間にちょっかいを出してきた。私がお気に入りの曲を口笛で吹いたら、いつの間にか先生に聞かれてしまった。良い曲だね、なんていう題名なの?と、しつこく尋ねてきたから、最初は無視をした。
二回目は体育の授業で暇つぶしに口笛を吹いたら、先生に見られてしまった。ごまかすように曲の題名を教えたら、翌日その曲を聴いたけれど、やはり君の口笛が良いと言ってきた。
それ以降は、いったいどこで聞きつけてきたのか、私が口笛を吹くたびに先生が現れた。しかも二回も吹かないと気が済まない。最初は吹いてよ吹いてよと駄々を捏ねられて、一週間経った頃には、私は先生の前でその曲を二回も吹くようになっていた。私が二回目の口笛をすると、先生は待ってましたと気持ちのいい笑顔を見せた。
「うーん、確かに気に入られているかも?」
「でもさ、先生って最近休みがちだよね。会えなくて寂しいでしょ?」
先生はもともと身体が弱かったらしい。本人曰く、坂をちょっと登っただけでも肺が駄目になるようだ。ここ数日は肺が重くなって、起き上がるのもやっとだとぼやいていたのを耳にした。
お見舞いに行こうよとマキノちゃんの誘いに乗って、先生の自宅を訪れたが、家の人に断られた。先生が会いたくないと言っていたらしい。
私は、口笛の件の仕返しで駄々を捏ねてやろうかと思った。けれども、先生の弟さんのとても悲しい顔を見て思い止まった。口笛を吹くので良いですかと弟さんにことわって、家の窓に向かって先生の好きな曲を吹いた。閉じられた窓は、無情にも夕日の光を跳ね返すだけだった。
それから先生は学校に戻らなかった。肺の病気で亡くなってしまった。お葬式で享年29歳と聞いて、意外と若かったことに驚いた。私と一回りしか違わない人が若く死ぬなんて、本当に起こり得ることなのかと衝撃を受けた。
お葬式の帰りに、先生の弟さんに口笛の子と呼ばれた。兄さんの為に二回も曲を吹いてくれてありがとうと頭を下げられた。あの日は、先生は吐血して、取り乱していたようだ。面会謝絶されても仕方なかった。
そんな非常時に、カーテンを閉め切った窓の向こうから私の口笛を聞いて、先生は落ち着きを戻したという。けれども、先生はすぐに顔を青ざめた。こんな情けない姿をあの子の前では一生見せられないと泣いていたらしい。
私はお葬式の日、先生の家族や友達、集まった人々のすすり泣く声を聞いて涙を流した。もらい泣きだ。しかし、泣いても私の心はすっきりしなかった。先生の為に泣いたという私の想いがなかったのだ。
ああそうか、だからかと先生の墓前に向かって、私はつぶやいた。先生の三回忌をきっかけに、私は再び墓参りをしている。
三回忌は家族の人だけ集まる予定だったが、私は頭の中に何かの知らせを受け取り、無理強いに参加したいと申し出た。先生の弟さんにまた会うと、もしかしたら兄さんは君のことが好きだったかもねと笑った。先生によく似た笑顔だった。
その顔が脳裏に焼き付いて、私は思わず先生のお墓の前で口笛を吹く。もちろん、二回も吹こうとした。不意に、先生の待ってましたという顔が目の前に浮かぶ。
驚いて瞬きをしたが、そこにあったのは長方形の石であった。渡辺家と機械で刻まれた墓石しかなかった。
ああ、本当に先生はいなくなったんだなと私は涙を流した。もう口笛なんて二回も吹けない。こんなに、ぼろぼろと波を流したってわんわんと大声で泣いたって、先生は私の泣き顔を見ずに死んでいった。それこそ情けないじゃないか、渡辺先生! Bye byeって、格好よく別れるわけないじゃないか!
(250322 byebye…)
3/22/2025, 1:43:06 PM