「こんばんは、お月さま。最近夜になっても光が眩しいよ」
「こんばんば、星の坊や。人間が夜空を駆けたくて、科学の力で、鳥になったり、飛行機を飛ばしたり、光線を使って世界と繋がったりしているの。彼らの夢や希望や憧れが、光って夜も眩しいのよ」
「へえ、そうなんだ。それにしても、眩しすぎるよ。夜空を照らす僕たちなんて、もういらないんじゃない?」
「まあ坊や、悲しいわね。確かに、今の人間たちは、私たちに祈ったり願ったりしなくなった。それでも、生き物と一緒に時間を過ごす為に、光年を告げる役目を忘れてはいけませんよ」
「そうは言っても、僕たちはいつか、あの科学の光に溶けてしまうかもよ。今だって、自分の体が霞んで消えてしまいそうだ。僕も人間みたいに鳥や飛行機、光線になれば、夢や希望、憧れを持って輝くのかな」
「まあ、坊や。どうするつもりなの」
「お月さま。僕、人間の所に落ちてきます。僕も夢と希望と憧れを持って輝きたい。流れ星の僕を見たら、人間は夜空に浮かぶ仲間の星やお月さまを思い出してくれるかも」
「坊や。あなたが落ちたら、人間は弱くて耐えられないわ。それこそ、あなたと同じお星さまになってしまうわよ」
「素敵だね、お月さま。人間が星になったら、明るい夜はすっと消えて、夜空を照らす仲間がもっと増えるんだ。僕、やっぱり落ちてくるよ」
「あら、本当に行ってしまった。今日の夜空は、切ないほどに眩しくて目に痛いわね」
(250221 夜空を駆ける)
文字通り、ひそひそと話すぐらいが良いよ。
そんな無理して言わなくてもいいし、
わざわざ液晶画面に載せなくてもいいし、
SNSに挙げてもタイムラインに流されてしまうでしょう?
うっかりと見たり聞いたり読んだりしても、
胸の奥に閉まって置くのが礼儀さ。
だから、私は心の中に秘め事を隠すよ。
世の中には、秘かに脈打つ想いが多く眠っている。
たましい目覚めるまで、そっとしておいてね。
(250220 ひそかなる想い)
お前は誰だと言われて、ブレーカーを落とされた。湯船に浸かっている私に構わず、電気を消されてしまった。
真っ暗だ。黒一色だ。今まで私の目に色を映していた家具たちは、暗闇の中へと消えていった。私自身も真っ黒だ。
とにかく、私は明かりを探しに風呂から立ち上がった。思い返せば、この時の自身の空間把握能力にとても驚いた。突然の出来事に慌てながらも、湯船の角や水道の蛇口、浴室用の椅子にぶつからずに済んだ。
私は、折り戸を開けて、2階にある自室に向かおうとした。シミュレーションをしていたのだ。
今、目の前にある暗闇の中には、カーテン、扉、廊下を渡って、玄関近くの階段を手探りで登り、左手にある私の部屋の扉を開け、部屋の角に置かれた机の上にあるスマートフォン。
そう、私は携帯器の明かりを求めている。実は脱衣所にブレーカーがある。しかし、そこは普段から窓に光さえ入らない。驚きの空間把握能力を駆使すれば良い話だが、この盲者はスマホ依存者だ。明かりさえも、スマホがなければ生きていけない。
つまり、これが私なのかと暗闇に応えようと思ったが、腑に落ちない。では、キルケの家にやってきたオデュッセウスなのかと言われても、英雄と盲者では天と地の差がある。ならば、ノーバティと自ら偽名をつけて相手を騙せるか。私はクソ真面目だ。自ら誰でも無いと名付けたら、ずっとそのままだ。
それだったら、水に濡れた裸のまま永遠に暗闇の中に隠れて、いつか溶け込んでいくまで待ってやる。私はそういう生き物だ。明かりを消した者よ、どうぞ遠慮なく咀嚼して嚥下して消化して排泄しやがれ。
(250219 あなたは誰)
親愛なるあなたさま。
私、手紙の中に花びらを入れて送ってみたかったのです。いつか見た歌舞伎で、妻の手紙に同封された江戸の桜を夫が京の都で舞い散らす場面を見ました。風情があって良いですよね。
夏ならひまわり、秋ならコスモス、冬なら山茶花の花びらが良いでしょう。チラチラと舞い散る花びらと共に、文を読むあなたの姿を思い浮かべて、この手紙をしたためました。
ただ私は、普通なことは好きではありません。至るところに咲き乱れる花を入れても面白くありませんよ。封を切るまで手紙以外に何が入っているのか、胸を膨らませる期待をあなたに与えたいのです。
だから、この前作った削り花の花びらを入れました。おばあさまの墓前に飾るヒガンバナの花びらです。くるくると赤く巻いて、まるで蛇の舌みたいでしょう。別にキスをしても良いのですよ。あなたは、たくさんのお相手と上手にお付き合い出来ますからね。舌はたくさんありますから、どうぞ、たっぷりと愛情を注いでください。
私は、あなたの無知な博愛に舌を噛み切ったので、削り花の花びらを代わりに舌を巻いています。あなかしこ。
(250218 手紙の行方)
見慣れたものの中には、物陰に隠れて輝きを失うものもある。
水の入ったコップも、必要な水分を補給できる道具であるが、ただそれだけしか利用されない。
しかし、qpという写真家が撮ったコップは芸術品に昇華されている。彼は『喫茶店の水』という変態的な写真集を出した。喫茶店に置かれたコップだけの写真しかない。シンプルな被写体には、自然光に照らされた喫茶店の歴史の明暗が、ガラスに反映されている。
たかが一杯の水、されど一杯の水。窓に差し込む日差しや店内の照明、観葉植物や家具、テーブルなど、あらゆるものが、小さなコップの水の中に映されている。さながら、宇宙を眺めているようだ。角度を変えて見れば、宇宙もその変化に合わせて数多の生命を輝かせる。
写真は、撮影する前から何を撮ろうかと、目の前に映る多くの被写体を切り落とす。そして、目について残されたものをカメラに収めて、シャッターを切る。
qp氏が、世界に多く溢れたものから喫茶店の一杯の水を選んでくれたおかげで、私はコップ一杯の輝きを芸術として楽しめるようになった。
(250217 輝き)