「時よ止まれ、お前はいかにも美しいから」
ファウストが求めた悪魔的な願望だ。神さえも止められない時間の流れに、必死に立ちはだかった彼の姿こそが、儚げで美しいだろうよ。
ただ、その美しさは現代でもう見られない。その言葉を言うのは、大人になれない子どもだけだ。地団駄踏んで、幼い頃、両親に愛情を受けられなかったことに死ぬまで悔やみ憎み狂い、大人になれなかった責任を親に求めて、自ら心の成長の時間だけを止めている。
幼心を抱えた大人の希少性を自慢したいだろうが、やはり時間の流れを止めた者は醜い。時移ろい衰えていく身体と時止めて幼稚にしかならない心は、実に見ていて不愉快だ。
少子化だと言うのに、子どもが増える矛盾した世界で、私は仕方なく大人になるしかないと腹を括った。子供騙しに妖精の羽を背中にしょって、目の覚める針の粉を子どもらにばら撒いてやろう。その針を目に突き刺して、内なる大人を叩き起こせ。さあ、もう新しい朝だぞ。
「時よ流れよ、お前はいかにも美しいから」
(250216 時間よ止まれ)
「君の声がする」
「違うよ、あばばばばってあやす母親の声だよ」
「それでも君の声がするよ」
「そうかな。沼近くの屋敷まで啜り泣く墓場に埋められた骨の音じゃない?」
「本当に君の声がするって」
「さあどうだが。きゅろきゅろと小鳥のように鳴く乳母車の子守唄だろうよ」
「結局君の声って何なの」
「家族みんな豚にしたキルケの脱糞音に掻き消された」
「そうなの。じゃあ、この杯の水をお飲みよ。喉が生まれ変わるように潤うわ」
「……モン、ヴェエル、ネエ、バア、グラン。メエ、ジュ、ボア、ダン、モン、ヴェエル」
「アニムス、ようやく君の声が聞こえたね」
(250215 君の声がする)
ありがとうと何度も言えば、
自分の想いが相手に伝わると身勝手に思うな。
感謝の台詞と共に頭を下げればいいという
無様な態度を示しているだけだ。
目も合わせないその顔が何よりの証拠だ。
ありがとうの言葉の中に、
お前の想いを無理やりに詰め込むな。
ちゃんと言葉にしろ、声に発しろ。
口に出せ、舌を鳴らせ、歯を噛み締め。
お礼の重みで潰された本心をすくい出せ。
今日あなたとお会いして心から嬉しいです。
六十にして耳順のあなたは、
いつでも初心を忘れず、瞳を輝かせ
だれにも分け隔てなく、笑みをたたえ、
耳を傾けた知識を皆に分けてくださる。
三十にして立つであろうわたしは、
あなたとは何度生まれ変わっても
お会いしたいから、
あなたの想いを私の遺伝子の中に取り組み、
後世の人々にお伝えしていきます。
あなたの意志を受け継ぐたましいを
この世によみがえらせます。
今日は、私の為に微笑んでお話してくださり、
ありがとうございます。
(250214 ありがとう)
樹の葉嚙む牝鹿のごとく背を伸ばし
あなたの耳にことば吹きたり
そんな短歌に今でも恋していると、暴風止んだ夜風に載せて、そっとお伝えしたいです。
【引用:『安野光雅きりえ百首』歌人/早川志織】
(250213 そっと伝えたい)
多分私の未来にも文学を捨てる道があるだろう。
それこそ、検閲が厳しく、表現も制限された戦前の時代に生きていたら、果たして文学を好きでいられるのかと考えてしまう。
つい好きすぎて辛くなって捨てざるを得ないほどに苦しくなり、自身も時の政府の権力によって、文学を検閲し表現を制限して、文章全てを××××××××××××に書き換えてしまうかもしれない。いっそのこと、華氏451度の炎に熱してしまえば、苦しみから解放されて気持ちが良いだろう。
だが、文学とは国の大業にして永久不滅の存在。愛憎の火に何度焚べても焚べても不死鳥の如くよみがえり、そのペンの如く鋭き嘴に心臓を射抜かれてしまうだろう。そうしてまた憎悪の業火が不死鳥に火種を与えるのだ。永遠の苦痛である。
文学青年だった彼の未来は、生きる術を失った私のIFルートであり、私の中に潜む可能性でもある。悪役は自身に秘められた未来の記憶なのだなと腑に落ちた。
(250212 未来の記憶)