誰も見たことのない景色は描けないが、
自分のまだ見ぬ景色なら描けるだろう。
無数のたましいが群がる記憶を形態化した
脳味噌を引き摺り出して、手のひらで握り潰し、
滴り落ちる脳髄を指先に染めて描けばいい。
空想から生み出された風景と人物なのに、
私のこころが畏れおののき震えるだろうよ。
確かに私はそこにいた、その人と出会ったと、
古の記憶が再び新しい海馬の渦となっていく。
(250113 まだ見ぬ景色)
床に垂らした長い髪を気にもせず、
椅子に座る私に跪く彼は次に腰掛ける者の為に、
椅子の前でずっと髪を河のように流せばいい。
女のくびれをした彼も、
私が寄りかかった白樺のような厚き胸板から
響く鼓動を誰彼構わずに聞かせればいい。
詩歌を載せた宛先の紙を私に贈った彼も
憂鬱なる廃屋に薔薇の如く咲き病めながら
夢見る人に夢見鳥の羽ばたきを教えればいい。
あの夢のつづきを見なくていい。
誰かがそのつづきを見ればいい。
私の夢を皆で好きに見てほしい。
(250112 あの夢のつづきを)
「あなたの手はあたたかいね」
「お前の手は冷たいな」
「頬も赤くてあたたかいね」
「そっちは髪の毛先まで冷えているな」
「まつ毛がふさふさであたたかそうだね」
「お前の目元も冷ややかだ」
「すっかりあたたかくなってきたね」
「お前の手もあたたまって、心が冷えていっただろう」
「わたしの心を触ってみる?」
「氷漬けになりそうだからいい」
「あなたの手はずっとあたたかいね」
「生まれた時からずっと心が冷めているからな」
「今触ったら溶けちゃう?」
「あまりの熱さに溶けて死んでしまうよ」
(250111 あたたかいね)
自分ができる仕事さえ分からないから、未来への鍵をいくつも手にしても、やがては埋もれていき、自己の失望により窒息してしまうだろう。
金欲しさにできぬ仕事に手を出して、自ら破滅する結果と一体どちらが悲惨か。世間様はやたらと比べたがるが、その行為さえもできぬ仕事の末路と同じだ。
自身の行く末を開く鍵は、ポケットにうっかりと入っている手頃な大きさと軽さと覚えやすさでいい。
矢立のように、ものを書きたくなった時にすぐに筆を持つぐらいの身軽さがちょうど良い。
息を吸うように筆先で文字を書くように、未来も呼吸と共に開け放つぐらいが、生きやすいだろうよ。
(250110 未来への鍵)
ひと月以上も久しぶりに雨が降った。雨が止んだ後の夜空には、星がいつもより多く瞬いていた。
あまりにも綺麗に煌めいていたので、雨が空を穿って光の穴を開けたような美しい風景に見えた。空から溢れた星のかけらは地に落ちた瞬間、雨しぶきとなって露となり宙に散っていったのだろう。
墨色に湿った地面は、どこまでも広がっていた。たくさんの星のかけらが、雨となって大地をきらびやかに潤したと想像すると、やはり雨の日も悪くない。
窓を叩く雨粒も星々のご機嫌な拍手だと思うと、より一層1/fのゆらぐ音に耳を傾けたくなる。
(250109 星のかけら)