夜のとばりと共に舞い降りた、暗く凍てつく空気を呼吸よりも先に肌で感じ取る。凍える潮風に皮膚が湿って、だんだんと体温を奪われていったその時に、やはり私の鼻先に煙草の煙が燻る。湿り気で身体が冷えているから、皮膚にも紫煙がまとわりついて、より匂ってくる。
塩竈に居た祖父と伯父どちらか忘れたか、帰省から戻る私たちを夜にも関わらず、煙草を咥えたまま見送ってくれた。その時の残り香が私の記憶に染み付いたかもしれないが、本当に2人が寒空の中、家族の帰る姿を見届けたのか、記憶が霞んではっきりとは覚えていない。
どうであれ、星のまたたきがひどく目に刺すほどに眩しい凍空の下にいると、潮騒に応える彼らの喫煙が私の鼻腔をくすぐってくる。幼い頃の走馬灯に灰吹かす白煙が薫ってきたら、冬のはじまりだ。
(241129 冬のはじまり)
終わらせてほしくないほどに名残惜しいのなら、大変思い出深いことなのでしょう。
思い出せば、また最初から始められるから安心しておやすみよ。
夢の中でも続きを見られましょう。
明日起きたら、どうぞ思い出の話をもう一度聞かせてくださいね。
(241128 終わらせないで)
塩ひとつまみの愛情。
三本指に掬われた塩を、しょっぱくなれと念じて塩辛く味付けをしたり、甘くなれと思いを込めて甘さを引き立たせたりする。
海と空の青さを語った北大路魯山人にそう教えてもらったので、今日から鍋の中の味が分かる人になれるように愛情を込めて料理をしよう。
まずは、一服のお茶にひとつまみの塩を入れましょか。
(241127 愛情)
人に甘えられる体温。
人に移せられる熱温。
平熱が恋しくなる苦しみもあれば、いっそ高熱になってほしい心地よさもある。
けれども、私は微熱さえも休養を許さぬ社会に慣れてしまった。
胃酸でしか溶けない風邪薬で、ひたすらに微かな熱の火元を消している。
微熱だった時の体温も熱温も、気がつけば副作用で記憶から消え去った。
人に甘えたり移したりできる熱を忘れた私に、人肌の温もりは残っているだろうか。
何年も誰の手にも当てられていない額は、ただただ無機質に青白いだけだ。
(241126 微熱)
陰鬱そうな暗緑の中庭に降り注ぐ幾筋の光。
夜露から生まれた白く淡く発光する朝の霧。
朝霧を喫する鮮やかな若葉のもみじと燻んで老いた竹林。
お行儀良く空を仰ぎ、ゆらゆらと揺れる浅緑の芝生。
芝生を囲う木々の群れから溢れる木漏れ日を、白い水のように味わう草花の朝食。
風のようにそっと庭の真ん中に立った私と目が合った木陰の中に瞬く青い瞳。
おはようと太陽の下で私はおじぎをする。
陽光の照明がご機嫌麗しゅうと一層輝いた。
(241125 太陽の下で)